その後の日々 『冬郷家を守る人』 13

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その後の日々 『冬郷家を守る人』 13

 瑠衣をパントリー(食品倉庫)の中に誘い、棚に押しつけると、彼の背後には、英国製の紅茶やジャムの瓶がずらりと並んでいた。 「ん? ……なんだ、この紅茶は全部グレイ家の物じゃないか」  祖母がパッケージデザインした紅茶缶が目に入り、じっと見られているような気恥ずかしさを感じてしまった。 「アーサー?」  少し躊躇していると、瑠衣の方から朝の挨拶をしてくれた。俺の肩に手を乗せ背伸びをし、可愛い顔を少し傾けてチュッとリップ音を立ててくれたのだ。 「わっ」  不意打ちを食らった気分だ。瑠衣からキスを仕掛けてくれるなんて滅多にないので嬉しくなった。 「珍しいね。君からのキスなんて」 「ぼ、僕だって、そんなつもりでは……その、君が変な所でやめるからだ」 「ふぅん、よほど欲しかったんだな」 「ち、違うって」  彼の耳朶に指の腹で擦るように優しく触れて、長い前髪を梳いてやると、みるみるうちに赤くなる。いつまで経っても何度躰を重ねても、瑠衣の初々しさは変わらない。  柊一も初々しいが、瑠衣はそれ以上だ。そう思うとまた愛おしさが込み上げて、俺の方から顎を掴んで、そっと唇を重ねた。  その時、扉の向こうから無邪気な声がした。 「瑠衣……いないの? 」 「あっ雪也様の声だ、ごめん、もう――」 「やれやれ、ここでの君は手強いな」 「ごめん。雪也様の執事の続きが出来るのが嬉しくて、つい」 「いいよ。分かっている。しっかりお世話しておいで」 「ありがとう」  瑠衣の笑顔に滅法弱いので素直に解放してやると、棚の後ろのジャムと紅茶を抱えて、嬉しそうに飛び出していった。 「お待たせしました。雪也様」 「あ、ごめん。忙しかった? 」 「いいえ、お腹が空きましたよね」 「うん、もうペコペコ」 「今、お紅茶をいれますね。サンドイッチを作りましたよ」 「わぁ」  雪也くんはちょこんと椅子に座り、瑠衣の紅茶をいれる作法をうっとりと眺めていた。 「あっアーサーさん、そんな所で何を? もしかして……僕、お邪魔でしたか」 「大丈夫だよ。俺たちはちゃんと起きていて、偉いだろう」 「そうですね。ふふっ」  楽しそうに笑う様子を見て、この子は全部何もかも知っているのだと悟った。同時に幼い頃から心臓病を抱えて、さぞかし不安で辛い思いをしてきたことだろうと思った。 「雪也くん、少し話そうか。君の手術は、もうすぐだと聞いたが」 「はい、年が明けたらすぐに受けます」 「頑張れよ。応援しているよ」 「……はい。ありがとうございます」  雪也くんは、少し不安そうに、微笑んだ。 「だが、手術は怖いだろう? 」 「あっ……実は……少し怖くて」  もっともな話だ。俺だって怖かった。まして雪也くんはまだ中学生なのだから、怖くて当たり前だ。 「怖いのは誰でも一緒だよ。俺も胃癌の手術をしたが、とても怖かった」 「そういえば、アーサーさんも重大なご病気だったと」 「そうだよ。もう悪い所は全部取ったから再発しなければ完治と言えるが……まだ5年経過していないので、今でもたまに不安になるよ」  雪也くんには包み隠さず、俺の気持ちを伝えた。 「あ……不謹慎かもしれませんが、何だかそれを聞くとホッとします。『大丈夫、きっと良くなるよ。頑張って』と言われることが多いのですが、術前も術後も不安になるのは、おかしなことじゃないんですね」 「あぁそうだよ。それで合ってる。間違っていない。君を愛する人が周りには沢山いるよ。期待に応えるのではなく、もっと彼らに甘えていいんだよ。もう君は、急いで大人にならなくていい」 「あっ……」    図星だったのか、雪也くんはハッとした表情を浮かべた。 「俺にも年が離れた弟がいるんだよ。だからかな、君を見ていると弟のノアを思い出す」 「知りませんでした。アーサーさんもお兄さんなんですね。それを聞いたら親近感がわきました」 「ははっ、俺もだよ。君の弱い部分を見せてもらえて嬉しい」  瑠衣が目を細めて、俺と雪也くんの会話を聞いていた。 「手術への不安、俺に何でも話して」 「……いいのですか」 「もちろんだ。俺は体験済みだから」 「とても心強いです」  日本での俺の居場所を見つけた。  滞在中は、この子の話し相手になってやりたい。  瑠衣は当分じゃじゃ馬、桂人への教育で忙しくなるだろう。  だから時間はたっぷりある。  
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