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悪代官に誘われて
私が時代劇に興味を持ったのは幼少の頃だ。
祖母の家でお昼の時代劇劇場を見ていた時、こう言われた。
「葵ちゃん、ほら見てみなさい。あの斬られ役の人が着ている紋付き袴。あの家紋は葵ちゃんのお家と同じ『抱き茗荷』っていうんだよ」
「そうなの?」
「このマークに見覚えがあるだろう? 葵ちゃんのお墓に付いてるのと同じものだよ」
祖母が皺のある手でテレビの画面を差す。
場面はちょうどクライマックスに差し掛かっており、お忍びで城下の町人に紛れ過ごしていたお殿様が、悪代官の住まう武家屋敷で悪者達を成敗している真っ最中だった。
ばったばったと斬られていく羽織袴姿のご家来さん達の中で、祖母はたった今主役の人に斬られて地面に倒れた男の人を指差している。
男性は父より少し年上くらいで、髪にはところどころ白髪が交じっていた。
見事に斬られ役を果たしたその人が着ている袴に、お墓参りで必ず目にするマークがあった。
それが家紋であると知ったのは後々になってからだったが、この時の私はうちと同じマークがテレビに出ていることにそれは感動したものだった。
そして悪役だというのに自分の家と同じ家紋をつけたその男性が、主役の俳優さんよりずっと格好良く見えたのだ。
◇◆◇
「葵さんお疲れ様」
「あ、螢沢さん! お疲れ様です……!」
撮影終了後に道具の手入れをしていたら螢沢さんに声をかけられた。
女忍者役である私にとっては相棒とも言える小刀を鞘に収めて顔を上げると、悪代官メイクを落として素顔になった螢沢さんのご尊顔が目に入る。
カツラを取り払った髪は全体的に後ろに流され、横側に数本落ちているのが色っぽく、きりりとした眉はそのままに、優しげな奥二重の目尻には薄らと笑い皺がある。
男性らしいのにどこか柔らかな風貌はきっと芝居を見ている誰もが驚くことだろう。
螢沢さんは撮影中は老けて見えるように濃いメイクを施されているため、こうして素顔になると年齢相応のとても格好良い素敵な紳士になるのだ。
服装もダークカラーのワイシャツにブラックデニムとシンプルなのに、手足が長いせいでまるでスーツを着ているみたいに見える。
(むしろ私には燕尾服の幻影が見える)
はああ……今日も格好良かった……というか現在進行形で格好良いわ螢沢さん……!
撮影中とは打って変わって優しい眼差しの螢沢さんに内心で感嘆の溜め息を漏らしつつ「今日も合わせていただいて、有り難う御座いました」と殺陣のシーンで変わらず至らない私にフォローしてもらった事に感謝した。
最早私の定型句となりつつある。
「何度も言いますが、葵さんの殺陣には問題ありませんよ。先日の理人の言葉は気にしないで下さい。あれはただの……」
「ただの?」
「あ、いえ。とにかく気にしないで下さい。理人の言葉も、理人のことも」
「は……はあ」
にっこり、と破壊的に素敵な笑顔を見せられて、つい見とれてしまい螢沢さんの言葉の最後が上手く聞き取れなかった。
撮影終わりで周囲が騒がしいせいでもある。
今は皆後片付けに追われていて、現場は慌ただしい雰囲気に包まれていた。
役者さん達も皆着替え済みで、既に帰宅した人もいるくらいだ。
私が残っているのは自分が使う道具の手入れをするためである。
殺陣師の先生に指南を受けた際、自分の得物は必ず自分が管理すべしと教わったからだ。
ちなみに私も今は忍者衣装ではなく私服である。
七分袖のカットソーにスキニーパンツという色気も何も無い格好だが今日は撮影が夜までだったのでこれでいい。
というかこれじゃないとまずい。
これでも一応役者で……位置的には大分端っこだが女優と呼ばれる部類にも入っているのだ。テレビに出てるわけですし。
これでキャップ被ってマスクすれば一目では私とはわからない。
特に夜ともなればスタッフに紛れれば見つけるのは至難の業だ。
ここまでしているのには勿論理由があり、この時代劇の主役でもある高遠理人さんのファン避けと言えばわかりやすいだろうか。
最近のファンは正直言ってめちゃくちゃ恐い。
SNSで一瞬にして情報が回ってしまうし、たかが誤解が大きなゴシップへと繋がってしまう。
撮影場所から一緒に偶々出ただけでも「仲良く帰宅」とか書かれてしまうのだ。
慎重になるのも致し方ない。何しろ高遠さんは最近人気が出ているというのもあって、共演するだけでも叩かれる位なのだ。
第一話が放送された直後なんてネットで「なんで理人と共演があんな凡顔女優なの? キャスティング下手過ぎじゃない? 一般人と変わらないじゃん!」とか書かれていた。
そんなん自分が一番知っとるわーい!と言いたいがまあ女子の皆様は全員が全員、高遠さんに釘付けらしいのでそれはある意味有り難かった。
誰も螢沢さんの魅力に気付いて無いんだもんね。
こんなに格好良いのに。
でも私も叩かれるのは恐いからスタッフに紛れて帰っています。
ネット恐い。
と少々苦い思い出を反芻していたら目の前でぱたぱた手を振る螢沢さんが困った顔を浮かべていた。
まずい。どうやら私は好きな人の前で意識を飛ばしていたようである。
「す、すみません、今少し意識が飛んでいました……」
「いえいえ。ずっと見上げたままなのでどうしたのかなとは思いましたが、帰ってきてくれて良かったです。僕は葵さんのお顔眺めるの楽しかったですが」
「へ?」
にこにこ。と効果音が付きそうなくらい穏やかに微笑んでいる螢沢さんは、いつの間にか私の目の前にしゃがんでいた。
おかげで目線が同じになって、いつもよりぐっと距離が近くなっている。
静まれ、私の心臓。
「そこどいてくださーい! 機材通りまーす!」
「おっと」
「っ」
螢沢さんに突然肩を抱かれて、瞬間爆発的に顔にぼんっと熱が灯った。
同時に頭の上をカメラクレーンが過ぎていく。
何のことはない、大型機材が通るのに、私がぶつかりそうだったのを庇ってくれただけだ。
だけど、ここまで密着するのは初めてなんだから仕方ない、と自分で自分に言い訳をした。
ぐっじょぶ機材片付けのスタッフさん……!
「あ、ありがとうございます……!」
「いえいえ」
今私達がいるのは、屋内セットと言われる室内での撮影場所である。
簡単に言えばスタジオだ。
かつて江戸は、江戸城を中心とする城下町だったそうだ。
将軍のおわす城の一番近いところに武家の居住地が並び、その外側が町人の町になっていたらしい。
このスタジオには武家屋敷の一角と、町人の家のセットが組まれている。
その道の端っこで、私は他の刀手入れ(と言っても模造刀だけど)をしている皆さんに混じって作業をしていた。
これは撮影時の私の日課である。
「葵さんは自分の演り方に不安がありますか?」
「それは……はい、勿論。殺陣師の先生の所には通っているんですが」
小刀を撮影用具入れに仕舞っていると、なぜか付いてきてくれていた螢沢さんにそう聞かれて素直に頷いた。
殺陣師の先生自体が今は少なくなっているせいか、通っていても直接教えてもらえる機会は少ない。
お弟子さんと一緒に練習はするが、やはり違いが出てしまうのだ。
「もしよろしければ、僕でも良いなら練習お付き合いしましょうか?」
「え?」
事情を説明していたら、螢沢さんから思いかけない言葉が落ちてきて、思わず目を見開いて彼を凝視した。
正直なところ願ってもない申し出だったからだ。
何しろ私が最後に斬るのは悪代官である彼自身。
本人が練習に付き合ってくれるのなら、これほど良いことはない。
「いいんですか!?」
「勿論。ですが広い場所……となると僕の家になりますがよろしいですか?」
「螢沢さんのお家、ですか? 私は全然構いませんが、こちらこそご迷惑ではないでしょうか……」
「とんでもありません。葵さんが来て下さるのは大歓迎です。急ですが今からでも大丈夫でしょうか?」
「っ……すごく有り難いです! ぜひ、よろしくお願いします!」
がばり、と頭を下げる私にくすくすと笑い声を零した螢沢さんは、すうっと目を細めて、それから「こちらこそよろしくお願いします」と低い声で答えてくれた。
―――その声がやたら色っぽくて、かつ流し目気味な螢沢さんにぞくっとしたのは、無論内緒である。
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