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それから雪の日が続いた。沿道の雪は溶け残り、街のあちこちに白い塊を作っている。登校時間には止んでいたが、外は一面の銀世界だった。
「今日は歩いていけよ」
自転車の鍵を取ろうとしたシン兄に、タケ兄が言った。昨夜は朝帰りせず、きちんと朝食も共にした。シン兄はスニーカーに足を入れながら答える。
「大丈夫だよ、道路の雪はもう溶けてるから」
玄関の扉を開けると鼻先が凍ってしまいそうな寒風が入ってきた。パジャマ姿の私は「早く閉めてよー」と文句を言う。
「鈍くさいんだからやめとけ。ひっくり返ったらどうするんだ」
「自転車でも歩いても、ひっくり返ったら同じだよ」
軽い調子で返してシン兄は「行って来まーす」と出て行った。珍しくタケ兄がその後についていく。
外から自転車のスタンドを蹴り上げる音が聞こえた。家に戻ってきたタケ兄が時計を見上げてため息をつく。
高校まで自転車で三十分程だけれど、今からバスに乗ると一時間以上かかってしまう。完全に遅刻だ。
「マナ、早く支度をしなさい」
お父さんに言われて「はーい」と二階に上がった。タケ兄があんなに心配するなんて珍しい、明日は吹雪かなと思った。
窓の外はまた雪が降り始めていた。
***
その日の午後、お母さんが高校に駆け込んできた。授業中に何事だとあきれていると訳も分からずタクシーに詰め込まれた。
お母さんの手が震えていたのでただ事ではないと感じた。けれど何を聞いても首を振るばかりで答えてくれない。窓の外は深々と雪が降り積もっていた。
連れていかれたのは総合病院だった。タクシーは救急病棟の前で止まり、お母さんは私の手を握りしめた。何か言おうとしても声にならないみたいだ。
親戚の誰かが亡くなったのかなと考えていると、エレベーターホールにタケ兄が立っていた。
今の時間、タケ兄は新聞の取材が入る大事な収録を控えていたはずだ。
「お兄ちゃん……何があったの……」
「おまえは何も心配しなくていい」
そう言ってお母さんの肩を支えた。お母さんは泣いてしまってまともに歩けなかった。
看護師さんに言われるがままに大きなガラス窓をのぞいた。集中治療室に横たわっていたのは、頭に包帯を巻いたシン兄だった。
***
雪道でスリップしたトラックに自転車ごと押しつぶされたのだと誰かに聞かされた。モニターのピッピッという音とシン兄のゆっくりとした呼吸音、お母さんのすすり泣く声ばかり聞こえた。
手術を重ねたけれど、シン兄は三日後に息を引き取った。最期に「小雪に会いたい」と言って一粒、涙を流した。
泣いたらシン兄の顔が見えなくなるから嫌だと思うのに、いくら泣いても涙は止まってくれなかった。
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