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「今日もメンテにきましたー!」
島田弦楽器工房に入るなり声を上げると、カウンターの中でビオラのリペアをしていた小雪が顔を上げた。
「お客様、ついにご購入ですか?」
「うーんそうね、この私に見合う楽器を選んでちょうだい」
他にお客がいなかったのでふざけて言うと、奥から出てきた島田さんが小雪と一緒になって笑った。
あれから十二年の月日が流れた。私は日々ライブに追われ、小雪は弦楽器のリペアラーとなった。松脂に汚れたエプロンが彼女の素朴な美しさを引き立てる。
「マナ、今夜は行けなくてごめんね」
「いいの、来てたらキリないでしょ。私、売れっ子だから」
「たいした自信だな」
そう言って入店したのはタケ兄だった。短くした髪をきっちりとまとめている。スーツは自社ブランドの新作だ。
「二人とも今からリハーサルじゃないの?」
小雪は腕をぐるりと回した。私がニヤニヤしているとタケ兄は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「昨日の動員数でお兄ちゃんに勝ったら見せていいことになってたんだ。ほら見て!」
小雪に古びた写真を突きつけた。「近すぎて見えないよ」と笑うので「ほーらだんだん見えてくる~」と言うと、タケ兄は店から出ようとした。
「あっどこ行くの、話が違う!」
「何の話……」
写真を手にした小雪が息を飲んだ。
「シン……」
それはあの日撮った写真だった。怒っている私をなだめるシン兄、手前に大きく小雪の横顔が写っている。
「ポイントはここ。小雪のどアップ!」
「え……?」
「これはタケ兄の隠し撮り。ほら端っこがすり切れてるでしょ。ずっと持ち歩いてたらしくて……ってタケ兄どこ行ったの!」
憤慨しながら兄を探す間、小雪はずっと写真を見ていた。幼かった自分たちの楽しい思い出、果てない夢を追いかけ、未来は明るく輝いていた。
もう戻れはしない。けれど小雪の穏やかな微笑みを見ていると、戻らなくていいと思える。
出入り口の影に隠れていた兄をとっつかまえて中に入ると、オリエンテのベースが青い台座に乗せられていた。
ビンテージの域に入るこのベースは依頼を受けては貸し出されて全国各地を旅して回っている。
「調子はどう?」
「上々ね。もうすぐ春が来るから、いい音色を響かせてくれるわ」
「シン兄も春が好きだったもんね」
「そうね」
そう言って手元の写真を見た。小雪はそっぽを向いたままの兄に余裕の笑みを見せる。
「こんなの持ってたんだ」
「たまたま挟まってたたけだ」
「ふーん、私もたくさん持ってるけどね。あなたの隠し撮り」
彼女が携帯電話を取り出したので私と兄は同時にかぶりついた。「見せて!」「今すぐ消せ!」とカウンターごしにすったもんだしていると、島田さんが「君たちは本当に仲がいいなあ」と笑った。
「よくないです!」
またしても兄と同時に叫んでしまった。嬉しいやら腹が立つやらで笑ってしまう。
「マナ、時間大丈夫?」
はっと我に返ってカウンターの中にかけ込んだ。「エネルギーチャージ!」と言って小雪に抱きつくと、兄は面食らった顔をした。
「小雪の心にもメンテが必要かなーと思ってその写真を持ってきたの。本番、がんばってくるね!」
兄の手を引きつかむとあわただしく店を出た。車のガラス越しに小雪が「ありがとう!」と手を振っている。
「お兄ちゃん、車出して」
「おまえそういうとこ、ほんっと変わらないな……」
ハンドルに腕を乗せてげんなりしている兄に私は言葉を重ねる。
「お兄ちゃんはお兄ちゃんだもん。タケ兄もシン兄も、ずーっと私のお兄ちゃん」
にっかり笑ってそう言うと、兄は観念したようにエンジンをかけた。
血のつながりはない、けれど私たちは兄弟妹。泣いても笑っても天地がひっくり返っても決して変わらない絆。
「会場に向かって出発進行!」
「はいはい」
やる気のない返事をして兄はアクセルを踏んだ。
じつは楽譜ファイルの中にもう一枚、隠し撮り写真がある。といっても堂々と撮ったのだけれど。
あの日の最後の一枚、私の自撮りの後ろに笑いあっているタケ兄とシン兄が写っていた。
(おわり)
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