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願いの星
奇跡の星は地球だけではなかった。
地球からいくつもの銀河を越えた先に存在するその星には、実に多種多様で高度な文化と人々が息づいている。
その星のとある草原で、今一人の少女が、大きな泡のような何かを抱きかかえながら青空に想いを馳せていた。
「何してるの?」
友人である少年が、少女の姿を見つけて声をかけた。
「えっとね、今からこれを空に投げるの」
少女は空を仰ぎながら言う。
少年はその大きな泡を不思議そうに見つめて「それ、何?」と聞いた。
「この泡の中に大切な物を入れるとね、泡がそれを守ってくれるの。この星も、実はこれと同じような泡で守られてるんだよ。たとえば、大きな隕石がこの星に落ちて来たとしても、星を包んでる泡がちゃんと守ってくれるんだ」
少女が振り返って少年に微笑む。
少年は「ふーん」と愛想のない声を出す。
「信じてないでしょー」
無邪気に笑う少女の銀髪が、風になびく。少年は「まあね」と答える。
「じゃあ、見てて」
そう言うと、少女は抱きかかえていた泡を地面に置き、何かを祈るような仕草をしてから再び泡に触れた。
すると泡が仄かに光を帯び出し、形を変え始めた。泡が段々と少女の体を包むようにして大きくなっていく。
「うおっ」
少年が思わず声を漏らす。やがて少女の体を泡が完全に包み込んだ。
「へへー。ねえ、わたしに触ってみて」
「え?」
「いいから」
少女が腰に両手を当てながら得意げに言う。
少年は戸惑いつつもゆっくりと泡に手を伸ばす。
「あれっ、硬いね」
少年は純粋に驚いた。泡は一見柔らかそうに波打っているのに、いざ触れてみると岩盤のような感触がした。
「すごいでしょ。わたしが大切だと思ったものは何でも守ってくれるんだよ」
「うん。ほんとにすごい。……これ、どこで手に入れたの?」
少年が泡をつつきながら訊く。
「それは秘密。お母さんに怒られちゃう」
少女はそういたずらっぽく笑ってから、ゆっくりと泡の外へ出た。
「どうしても秘密?」
「秘密!」
泡が少しずつ縮小し、少女が抱きかかえていた時と同じ大きさに戻る。
「そっか。気になるなあ。……まあいいや、でもさっきそれを空に投げるって言ってたけど……それは何でなの?」
「うーんとね、これはお父さんが言ってたんだけど、この宇宙にはわたし達以外にも生き物がいるらしいの。どこにいるのかはお父さんにも分からないけど、絶対どこかにいるんだって言ってた。それを聞いたらわたしもすごくわくわくしてきたの」
「僕たち以外にも生き物が?」
「うん。あの空よりももっと遠いどこかにいるんだよ」
少女が体ごと振り返り、再び空を仰ぐ。少年もつられて空に目を向けた。
「この泡を投げるのはね、その生き物を守りたいからなんだ。たぶん、わたしがその願いを込めてこの泡を投げれば、きっとその生き物のところに届くはず。たくさん時間はかかるかもしれないけど、ちゃんとたどり着いてその生き物を守ってくれるはず。だから投げるんだ」
「あの空に?」
「うん」
「……なるほどね。……ロマンってやつか」
「へへ。大人だね。わたし達」
空を見上げたまま二人は言葉を交わした。
そして少女は瞳を閉じると、泡に祈りを込め始めた。
「いつか、あなた達と会えますように」
そう呟く少女の後ろ姿を少年が見つめる。頬を撫でる優しい風の心地と相まって、心が穏やかになっていくのを感じた。
「この泡が、あなた達を包み込んでくれますように」
少年も瞳を閉じて祈る。
この優しい想いが、宇宙の果てまで届くように。
「さあ、行ってらっしゃい!」
少女の手から、泡がふわっと離れる。
淡い光を帯びた泡は少しずつ、揺られるようにして空へと上がっていく。
少女と少年は、その姿が見えなくなるまで静かに見送り続けた。
◇
その泡は長い時間をかけ、地球まで届いた。
だが、少女の祈りは届かなかった。
少女の手元を離れたその泡は、宇宙を漂う惑星の欠片や残骸を少しずつ飲み込み、速度を増しながら巨大化していった。
本来は彼女の住む星を守るためだけの兵器に過ぎないその泡にとって、少女の未だ見ぬ生命体への願いなど関係なく、泡はただひたすらに道中のあらゆる物体を喰らいつくした。
そして宇宙に点在するいくつものワームホールを抜けて地球へ近づく頃には、小惑星と呼ぶ方が相応しい大きさになっていた。
――衝突の瞬間、地上を闊歩していた恐竜達は何を思っただろう。
この絶滅が、一人の純粋な少女の想いによって引き起こされることなど想像できただろうか。
泡の衝突によって無数の命が消失し、抉られた大地は砂塵を巻き起こしながら地球の空を覆いつくした。
「この泡が、あなた達を包み込んでくれますように」
そして、激変した地球の環境はありとあらゆる生命を絶滅に追い込んでいった。
「この泡を投げるのはね、その生き物を守りたいからなんだ」
少女の願いは、結果的に地球の生命の80パーセント以上を消滅させた。
◇
それから数千万年後、地球の支配者は人類に移り変わったが、地球と時間の流れ方が違う少女の星では、まだ数十年しか時が流れていなかった。
「何をしてるんだ?」
白髪混じりの男性が、草原へ佇む女性の背に声をかける。
夫婦になった少女と少年だった。
「……昔を思い出してたの。あの泡はどこかに届いたのかなって」
女性は少女の頃のように、空を見上げながら言った。
「ああ、あれか」
男性が当時の記憶を思い出し、微笑む。
「届いたはずだよ。今もきっと、誰かを守り続けてくれてるさ」
「そうだといいな。……ねえ、これ見て」
女性が振り向く。その手には、見覚えのある泡が抱えられていた。
「それは……どこで手に入れたんだい?」
「ふふ、秘密」
「またか」
男性は苦笑いで首を傾げる。女性は昔のようにいたずらっぽい笑みを浮かべている。
「この前あの娘に泡の話をしたら、わたしもやってみたいって聞かなくて。今度は、この泡をあの娘に送り出させてあげようと思うの」
「そうか。いいんじゃないか。せっかくだから僕もやってみたいね」
「それはダメ。この泡は貴重なんだから、無駄遣いできないの」
「無駄遣いって、何だか僕の扱い酷いなあ。女王様権限か……」
男性がタジタジになる。
そして数日後、夫婦は娘と共に再び草原を訪れた。
「ちゃんと祈りは込めた?」
「うん!」
娘の快活な声が草原の風に乗る。
彼女は決して届くことのない願いが込められた泡を、愛おしそうに抱きかかえている。
男性の視界では、その姿が昔の妻の後ろ姿とオーバーラップしていた。
「じゃあね。……行ってらっしゃい!」
泡が少女の手を離れる。
泡は、再び長い時間をかけて数多の星の残骸を飲み込み、その果てに地球へ辿り着く。
かつての恐竜達に続き、今度は数々の自然災害を乗り越えながら歴史を重ねてきた人類に、少女の純粋な願いが込められた星――打つ手の無い絶望が降りかかろうとしていた。
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