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最終話 「マスカレード」
家族の温かさや先輩の心遣いに触れて、俺は人間を信じることができていた。
世の中には間違った人間もいる。でもそれはほんの一部で、ほとんどの人間は正しい生き方をしているんだ。
そう信じることで、俺は苦しいことがあっても我慢して、正しく生きていこうと努力することができた。
でも、どうやら俺は勘違いをしていたらしい。
人間は皆仮面を被ってる。醜い素顔をそれで隠して、さもその仮面が素顔であるかのように振舞っている。
人間が時折見せる温かさは、全部正しい人間を演じるための道具。
気持ち悪い。反吐が出る。
俺は宮下を徹底的に苦しめて殺した。
課長と同じようにしっかり時間をかけて傷つけながら、そして楽しみながら、最期は思い切り喉笛を切り裂いた。
綺麗になったばかりの部屋は、またも大量の血や吐瀉物で汚された。
「あ……」
ジャージに着替えるのを忘れていたことに気付く。
まあいい。
もう、関係ない。
「失礼します」
受付の女性スタッフが入室してきた。
「さきほどからお客様のスマホに何度も電話がかかってきているようで、念のためお伝えに参ったのですが……」
預けていた俺のスマホを手に持ったまま女性が言う。
そこにまたちょうど着信が入ったようで、画面がパッと明るくなる。
「分かりました。わざわざありがとうございます。確かスマホの持ち込みは禁止されてたと思いますけど、ここで通話しても大丈夫ですか?」
「ええ、本来は良くないことですが、緊急の可能性もあるので少々は目を瞑ります」
「すみません」と俺は会釈をして、血だらけの手でスマホを受け取った。
女性は会釈を返して退室していく。
画面を見ると、着信の相手は父さんだった。
「もしもし?」
「今、どこにいるんだ?」
「まだ会社だよ」
「莉久からは何か連絡あったか?」
「いや。相変わらず」
殺されたよ。殺されて当然の人間だったよ。とは言えなかった。
「そうか。……あのな、今から話すのは別件なんだが、聞いてもなるべく取り乱すな。俺もまだ色々と確認中で……」
語尾に行くにつれて父さんの声のトーンが下がった。
「どうかしたの?」
少しの間を開けて父さんが口を開く。
「……母さんが逮捕された」
――騒がしい一日だな。今日は。
「詐欺グループの一員としてかなりの期間悪事を働いてたみたいだ。さっき警察から連絡があったばかりで、とりあえずまずは弁護士を――」
特に動揺はしなかった。
むしろ俺の中では呆れの方が大きかった。
あんたもか。母さん。あんたの優しさも仮面だったのか。
「……父さん」
何か喋っていた父さんの話を遮って俺は呟いた。
「何だ?」
「知ってたの? 母さんの裏の顔」
「ば、馬鹿を言え。俺も今初めて聞いて混乱してるんだ。とにかく一旦弁護士に連絡を取って――」
かつてないくらいの早口だった。
ああ。知ってたんだな。
そうか。俺は二人のクズに育てられたのか。……莉久も。
親がこんなんだから、子供もクズになるんだ。出来損ないの子供が出来損ないなのは、至って自然なこと。
『蛙の子は蛙、無能の子は無能なんだろう。さぞかし親もロクな人間じゃないんだろうな』
課長。あなた見抜いてたんですね。凄いな。ほんと、ロクな親じゃなかったよ。
俺は通話を一方的に切ると、血塗れのスーツのまま荷物も持たずに部屋を出た。
そして受付に向かい、殺人用の道具を選ぶタブレット端末を借りた。
「ちょっと聞きたいんですけど」
担当の女性に声をかける。
「はい、何でしょう」
「銃の使い方って教えてもらえるんですか?」
「ええ、専門家とアドバイザー契約を交わしていますので、ご希望に応じて指導を受けられますよ。お呼びしましょうか?」
「お願いします」
受付前で数分待っている内に、エレベーターから大柄でカジュアルな服装の男性が現れた。
その男性は俺に近付くと「お待たせ致しました」とにこやかに声をかけてきた。
「銃の使い方を知りたいとのことですが、どの銃をご希望ですか?」
見た目に似合わず品のある声色で男性が尋ねる。
「そうですね。大勢の人間を殺せるやつで」
「おお、これはまたザックリな。かしこまりました。ではいくつか紹介しながらレクチャーしましょう。7階までお越し頂けますか?」
俺は男性の後に続いてエレベーターに乗り込んだ。
そのエレベーターの中でスマホのコロホアプリを開き、『ターゲット情報送信』で父さんの情報を送信する。
7階に到着してエレベーターを出ると、そこは射撃演習場のような施設だった。そこで色々な銃の使い方を教わる。
まさか日本にこんな場所があるとは。ここを運営している組織の巨大さを想像すると恐ろしくなる。
俺は数種類のアサルトライフルやサブマシンガンを試し撃ちし、比較的反動が軽めで使いやすそうな銃を選別した。
「ちなみにこれ、建物の外に持ち出してもいいんですか?」
俺の質問に対し、男性は怪訝そうな顔になった。
「まあ構いませんが、もしかして外で殺人を行うつもりですか? 施設外での殺人に関しては、我々は関知できませんよ。当然あなたは罪に問われます」
俺は口角を上げながら答える。
「大丈夫です。捕まる前に自力で妹の元に行きます」
「妹? ……うーん、よく分かりませんが、まああなたが良いなら銃は好きなだけ持ち出してください」
俺はその言葉に甘えてアサルトライフルを2丁借りることにした。その銃を体にぶら下げられるよう、専用のスリングも借りる。
さらに男性の提案で、予備弾倉も携行できるようにタクティカルベストも借りることができた。
「ありがとうございました」
一通り準備を終え、男性に礼を告げてエレベーターに乗り込む。
3階で降りて宮下を殺した部屋に戻ろうとすると、受付の女性に呼び止められた。
「あ、お客様。ご指定のターゲットが確保されて、間もなく収容されるようです」
ほんと早いな、対応が。まあユーザーとしてはありがたいけど。
俺は5番ルームでシャワーを浴びながら父親の到着を待った。
◇
俺の希望で、父さんは宮下と入れ替わりに5番ルームへ収容された。
俺がシャワーを浴びている内に全てが完了していたようで、部屋に戻ると宮下の死体の代わりに父さんが椅子へ縛り付けられていた。
俺はジャージに着替え、タクティカルベストを装着する。
「んんん!」
目と口を封じられた父さんが呻いている。
「父さん。あなたと母さんが俺をここまで育ててくれたのは確かだ。だから父さんは楽に殺してあげるね」
「んん! んん! んん!!」
俺はじたばたと騒がしい父さんの額にアサルトライフルの銃口を向け、一切躊躇うことなく脳天を撃ち抜いた。
そしてわずかに痺れを感じる手でジャージのポケットからスマホを取り出し、今度は母さんをターゲットに指定した。
◇
警察に捕らわれているはずの母さんがちゃんと運ばれてくるのか不安だったが、一時間もしない内にその身柄はここへ収容された。
スタッフが複数人で父さんの死体を運び出し、代わりに母さんを椅子へ縛り付けにする。俺は隅のテーブルへ腰かけながらその様子を眺めていた。
作業が終わってスタッフが退出すると、俺は母さんの頭も躊躇なく撃ち抜き、スリングで体に2丁の銃をぶら下げながら部屋を後にした。
受付に向かい、女性に「本当にお世話になりました」と深く頭を下げる。
女性は俺の異質な格好を特に気にすることもなく、「ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」と立ち上がって頭を下げた。
さて。始めよう。
このくだらない世界に銃を突き付けてやろうじゃないか。
多分、人々は俺のことを狂人と呼ぶだろう。
でも、俺を狂わせたのはお前達だ。
俺を苦しめた課長。俺を裏切った先輩。俺を欺いた家族。そしてどこかの誰かが作った『殺人サブスクリプション』。
お前達の間違いが俺を生んだんだ。俺は悪くない。先に俺を傷つけたこの世界が悪いんだ。
建物を出る。
仮面を被った人間達が行き交っている。
俺はアサルトライフルを胸の前に構え、トリガーに指を掛けた。
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