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第4話 「アンビバレンス」
俺は急遽会社に欠勤の連絡を入れ、すぐにアプリのガイドに従ってターゲットの収容施設に向かった。
その純白で真新しい施設は市内の大型病院に隣接していて、どうやら表向きは「特別な処置が必要な患者を隔離するための医療施設」として運営しているようだった。
正面玄関横の傘立てに傘を預け、入ってすぐの所にある受付の女性に「コロホの……」と言いかけて思い出す。
そういえば利用ガイドには「受付でアプリのQRコードをお見せください」って書いてあったな。
ズボンのポケットからスマホを取り出し、半信半疑でQRコードを表示する。
受付の女性は俺の手からスマホを「失礼します」と一言添えてから取り、カウンターに鎮座する小型のリーダーに読み込ませた。
女性は俺にスマホを返した後、手元のノートパソコンを何やら操作している。
俺はその間手持ちぶさたで周りをキョロキョロしていたが、しばらくして女性から「お待たせしました」と声をかけられた。
「コロホのご利用誠にありがとうございます。お手数ですが、初回のみこの誓約書へのサインが必要ですので、よくお読みの上ご記入をお願い致します」
女性が一枚の用紙を差し出す。A4サイズの誓約書には、アプリにも書かれていたような注意事項が固い文体で記載されていた。
本当なんだ。殺人サブスクリプションサービス、本当に存在したんだ。
まだ捕らわれの課長と相対したわけではないが、俺はこの時点ですでにコロホサービスが現実であることを確信した。
用紙に自分の氏名を記入し、ペンと共に用紙を女性へ返す。
「ありがとうございます。ではこのまま奥へ進んで頂き、突き当たりを右にお曲がりください。エレベーターがございます。3階がお客様のターゲットの収容フロアですので、エレベーターを降りて左手にあるカウンターで、もう一度アプリのQRコードの提示をお願い致します」
俺は受付の女性にお礼を告げて指示通りに3階へ向かった。
それにしても本当に綺麗な建物だ。殺人が行われる場所とは思えないほど清潔で、心地良い香りが漂っている。
ここにあいつが収容されている。恨みを晴らせる高揚感と、もう後戻りできないという恐怖感。両極端な感情が俺の胸を支配していた。
俺は3階のカウンターに到着し、担当の女性に再びQRコードを提示した。
女性は1階の受付にあったのと同じようなリーダーにQRコードを読ませると、「改めまして、ご利用ありがとうございます」と笑顔で言った後に、「申し訳ございませんがここから先、通信機器やカメラ類の持ち込みは禁止されておりますので、このままスマートフォンをお預かりさせて頂いてもよろしいでしょうか?」と俺に確認を取った。
俺は「大丈夫ですよ」と頷く。
「ご迷惑をおかけ致します。では続けてお客様のターゲットについてですが、対象の人物はこのまま通路をまっすぐ進んだ左手の5番ルームに収容されております。ちなみにお客様は殺人のための道具をお持ち込みされてますか?」
殺人のための道具。凶器とは言わないんだな。
「あ、いえ、レンタルしようかと思ってて……」
「かしこまりました。ではこのタブレットに利用可能な道具の一覧が収録されていますので、ご希望の道具のページを開いて右下の『申請』アイコンをタッチしてください」
女性から大きなタブレット端末を手渡された。
見てみたところ、銃器、刃物、鈍器など様々な道具が用意されているみたいだ。
銃は扱い方分からないしな。とりあえず包丁と金属バットにしておくか。
……あれ。俺、いつの間にかすんなりとこの異常な空間を受け入れ始めている。高揚感の比重が高まり、恐怖感は薄れ始めている。
今から人を殺すんだぞ。もっと罪悪感を抱くべきじゃないのか。
いや。いいんだよ。今から殺すのは、死んで当然のクズ。俺と家族を侮辱したゴミ。
そしてこの空間は、俺に正当な殺人の場を提供してくれる。傷つけられたから傷つけ返す。ただそれだけだ。俺は何も悪くない。
俺は道具を選択して、女性にタブレットを返した。
「かしこまりました、すぐに用意してお部屋までお届けいたします。別の道具を利用したくなった場合などは部屋の中にもタブレット端末が配備されていますので、その端末から申請してください。速やかに準備してお部屋にお持ち致します。それではこのICカードをどうぞ」
女性が5という数字の書かれたICカードを差し出してきた。
「各部屋オートロックとなっておりますので、このICカードを入口の端末にタッチしてご入室ください。ではごゆっくり」
俺はICカードを受け取った。
女性に頭を下げて礼を言い、5番ルームに向かう。
今のところフロアにはスタッフらしき人の姿しか見えないが、他の利用者などはいないのだろうか。
――まあ、普通はあんなメール怪しんで開かないよな。
俺は自嘲気味に笑った。
そういえば、俺はそもそもコロホのベータ版への応募などしていないのに、なぜあんなメールが送られてきたのだろう。どこかから俺のメールアドレスが流出しているのだろうか。
考えている内に5番ルームの前まで来た。
どうも外では雨足が激しくなってきているようで、時折雷の轟く音が聞こえてくる。
扉横の端末にICカードをタッチし、ロック解除。扉は少し重たく、取っ手は冷たかった。
中に入ると、写真で見たように一人の男が椅子へ縛り付けにされて呻いていた。
「んんん! んんん!」
スウェット姿の課長は目隠しされていて、口はビニールテープで塞がれている。
いざ自分が圧倒的優位に立ったことを実感すると、形容しがたい優越感が湧いてきた。
こいつの命は、今俺の手に握られている。
そして俺は、その命をこれから捻り潰す。
「無様ですね。課長」
俺は扉の取っ手から手を離し、鼻で笑いながら言った。
課長は声の主が俺だと気付いたようで、激しく身を揺さぶり始めた。
「んんん! んんんん!」
椅子は床と一体化していてビクともしない。
「うるせえな。静かにしろよ」
後方で扉が閉まり、ロックの掛かる音がする。
「課長。今までお世話になりました。今から、あんたを殺します」
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