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第一話(秋人side)
「…冷泉春臣について親族に聞いてみましたが、今どこにいるかは分かりませんでしたわ。」
その言葉は、秋人に明けない冬のような絶望をもたらした。
…わかっていた。切れてしまいそうな細い糸を必死で手繰り寄せ集めたツテも、彼女で最後なのだから、最後の最後で運良く見つかるだなんて劇的な展開が起こるわけがない。
しかし、ろうそくの火よりも淡い希望でも、それがあるだけで人生に光を見出すことができた。
「礼を言う。時間を取らせて悪かった。」
「いいえ。お会いできて光栄ですわ。
・・・あら、もう行ってしまわれますの?」
頬を淡く染める女性を横目に、秋人はコートをまとった。秋人の帰りを惜しむかのように女性は寂しげな声をもらす。
彼女のその儚い声音はきっと多くの男性を虜にするのだろうが、秋人の心には響かない。
「ああ。仁、礼を。」
付き添いで来た執事に礼を渡すよう言い、彼が渡し終えるのを待つことなく秋人は邸を後にした。この辺りで最も腕の立つ鍛治職人が十日もかけて作った帯飾りは、精巧な細工が施されており売れば相当な額になるだろう。
秋人の家、九条家まで続く大きな通りでは、さまざまな花が顔を覗かせる。
水仙、菜の花、寒椿。秋人はこの時期に咲く花が好きだ。
まだ空は寒いのに、色彩豊かな彼らがもうすぐ来る春を告げることで、どうしてか心の臓がじんわりと温みを帯びる。
けれど、これだけは少し苦手だ、と、視界に入った美しい木々を見て、秋人は思った。
雅な細枝に点々と顔を覗かせている薄桃の花。秋人を孤独にさせる花。
秋人は心の中で小さくため息をついたが、身体はいつもと同じように言うことを聞かない。
意識が朦朧とし、茉莉花を思わせる艶やかな香りに誘われるようにして、秋人の意思に関係なく身体がその木の方へと歩みを進めたのだ。
見た目は春に美しい花びらを散らすあの木とどこか似ているが、秋人はその見た目が嫌いなわけではない。むしろ好きだ。けれど、この花の香が苦手だ。胸が締め付けられるように苦しくなる。
そう、その花の香りはあの子と酷く似ているのだ。
「秋人様、どうかいたしましたか?
…ああ、そういえば、梅の木の下には死体が埋まっているとかなんとか… 」
はっと我に帰り声の方を振り向くと、後ろからついてきた仁が心配そうに秋人を覗き込んでいた。
「…仁、それを言うなら桜だ。」
「…失礼いたしました。
それで、秋人様、大丈夫でしょうか…?」
「いや、なんでもないよ。足を止めてすまなかったね。暗くならないうちに帰ろうか。」
「はい。」
梅の木から足を遠ざけ、今度は行きたい方へと歩き出す。
「…ところで。」
何か困ったような顔をして仁が言った。
「どうした?」
「…秋人様は、想い人をおつくりにならないのですか?」
「もうわかっているだろう?君は。」
秋人はあえてはっきりとした答えを出さず、仁に笑いかける。
「ですが… 」
仁は何かを言おうと口をモゴモゴと動かしたが、結局それ以上は何も言わない。
風が吹く。
それに乗って再びあの香りがやってきて、秋人の鼻をかすめた。
九条秋人には2年間探し続けている人がいる。その人物は、3年前に一ヶ月だけ秋人とともに暮らした子供だ。梅の花のような香りの持ち主で、性別は男のΩ。
孤独を抱える人にぴったりと寄り添い、その孤独を埋めてくれるような不思議な子であった。そして、人生の中でその子と過ごした30日にも満たない日々が、そこだけ春色を帯びて見えた。
別れてから3年、気づけばその子のことばかりを求めるようになっていた。その無垢な瞳が、幼く舌足らずな話し声が、纏う香りが、いつでも思い出されてどうしようもなく愛おしくて。
それを口にするような柄でもないが、あえて言葉にするなら、運命という言葉以外では例えられない。
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