第14話(充side)

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“私はこの先どうなるのかしら。” 死ぬ前日、姉は充に問いかけた。 充は何も答えることができず、ただ俯いた。 初夜を済ませる前であれば希望のある返しもできていただろうが、充はもう発情期がきており、毎日客の屹立をを受け入れている。 知らない男に耳元で愛を囁かれ、裸体を晒し、みっともなく喘ぎながら足を開く自分には、もう人間としての尊厳も、希望のある未来もない。 そうよね、と、黙ってしまった充に対して笑いながら姉は言った。姉の笑う顔を見たのは久しぶりのことだったが、それは微笑みというには程遠く、姉自身に対する嘲笑に思えた。 「年季が明けるまでここで過ごして婚期も逃して野垂れ死するか、好きでもない男に引き取られて飼い殺されるかよ。 ただでさえΩへの扱いなんてひどいものなのに、娼館で働いていたなんて知られたら、なんて言われるかしら。 ねえ充、そんな生なら、私は終わらせてしまいたい。はるのそばにいるときだけ幸せなの。幸せすぎて、今死んでもいいって思えるの。ここに来てから幸せを感じたのなんて初めてよ。だからね充、私もう、楽になってもいいかな…?」 いつの間にか、姉の目からは涙が伝っていた。感情に任せて泣くのではなく、ただ静かに、涙が頬を伝っていて。 “そんなこと言わないで姉さん、生きていておくれよ。” 言いたかった。けれど、こんなにも悲しい泣き方をする姉に、それを言うことはできなかった。 姉は、頑張ったのだ。もがいて、足掻いて、その末に死を望むただ1人の家族を、止める術も権利も自分にはない。 「次の日、姉さんは二階の窓から、川に身を投げて死んだんだ。」 充が一旦言葉を切っても仁は何も言わず、暫く充の身体を抱きしめた。それはひどく優しい力で、その温もりの中にずっと身を埋めていたいとさえ思う。 「…それで充は、お姉様の敵である彼を恨んでいるのですね?だから、秋人様の申し出を断るよう伝えた…。」 納得したように仁が頷く。その口調は決して、充を責めている風ではない。 …けれど、言っていることが間違っている。 「違うっ!!俺がはるを恨むことなんてありえないだろ。」 そう、恨むわけなどない。春臣のおかげで姉の心はきっと救われた。恨むとしたら、自分自身だ。 姉が苦しんでいることを知っていて、けれど姉の中にある闇に触れるのが怖くて、気づかないふりをしていた。姉の心に寄り添い、ここに来て初めて笑わせてくれた、春臣へは感謝しかない。 「ならどうして、秋人様の話を断るよう言ったのですか?」 仁が問う。 「…女将さん(内儀)に聞いたんだ。 はるはね、母親が死んでから、いろんな家を転々としてきたんだ。そして各家各家で、例えば子供が、例えば使用人が、例えば奥さんが苦しんでいた。はるはどの家でも苦しんでいる人の心に寄り添って、その人たちの希望になったそうだ。 でもね。どの家でもはるの行いは主人に嫌われて、はるは家を追い出された。…毎回毎回、追い出される際には傷だらけだったらしいよ。 しかも、ここではるを指名する客のほとんどが、はるを預かった家の主人なんだ。…大方、加虐趣味でもついたんだろうね。 はるは今、多分預けられた家でのことも、俺の姉さんのことも、ほとんど忘れてる。きっと全部、それだけ辛かったんだ…。」 …そう、春臣はひとつも悪いことをしていなくて、いつだって優しくて。なのに彼ばかりが辛い思いをする。 仁が眉間にシワを寄せ、なんでそんな、と呟いた。 充だって、そう思う。 「あの子が何をしたっていうんだ。いつだってあの子は優しいだけだった。 …言葉を話すのは下手糞だけどね。 俺は秋人のことを信用してなかったんだ。だってあいつ、はるがいた家の子息だろ?でもはるは、秋人のことは覚えてるんだ。きっと信用してるんだ。 …そんな秋人にさえ酷いことされたら、はるのしてきたことはどうなる。俺はあの子にもう誰かを忘れてしまうような辛い思いをして欲しくないし、だから断れって言った。 けど、秋人が来なくなってはるがすごく落ち込んじゃって、何も食べないし、食べても吐くし、どんどん弱ってくし、 …それなのに、はるは俺に、心配しないでって笑うんだ。大丈夫だからって…。 俺、もしかしてすごく間違ったことをしちまったのかもしれない。どうしよう仁。俺が一番あの子を苦しめちゃったのかもしれないんだ。」 再び涙があふれた。仁は長いため息をついた後、手拭いで充の涙を拭い、充の頭を撫でた。 「まず、秋人様は彼を追い出した側の人間ではありません。彼に救ってもらい、そして彼のことが忘れられず、長い間探していたのですよ。」 子守唄を歌うような口調で言い聞かされる。 不思議とその言葉は充の頭の中にすっと入ってきた。そうだったのかと、ひどく納得する。 それと同時に、罪悪感が募る。やはり充のしたことは春臣を不幸にしただけだったのだ。 「…俺、最低だ…。」 「確かに、あなたがしたことは春臣様を苦しめ、秋人様のことも苦しめました。 …しかし、幸い秋人様はまだ諦めていらっしゃいませんし、春臣様は生きています。一緒に謝りましょう。誤解を解いて、今度こそ春臣様を幸せにしましょうね。」 充はその言葉に頷き、仁に礼を述べる。 いい子、と言いながら仁が笑うのを見て、なんだか胸が締め付けられるような心地がした。 苦しいのではなく、甘酸っぱく胸が疼く。このような感覚を、充は知らない。 「…ところで、一旦その身嗜みを整えていらっしゃい。その姿で春臣様の前に行くわけにもいかないでしょう。」 仁にそう言われ、今自分がどのような格好であるかを充は思い出す。 急にとてつもない恥ずかしさがこみあげ、何も言わずに部屋から駆け出してしまった。 そして冷静な仁の表情を思い出し、何か胸のあたりにモヤがかかったような心地がした。夕餉で当たったのかもしれない。
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