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最終話(春臣side)
身請け…とは言っても、別に派手に送られるわけではない。
とくに充が大袈裟に送り出すことを拒んだため、春臣と充は早朝にひっそりと、それぞれ秋人と仁に手を引かれながら娼館を出た。
まだ日が昇っておらず、青みがかった空にはぼんやりと星が浮かんでいるのが見える。
「きれい… 」
思わずため息を漏らすと、先ほどまで申し訳なさそうな顔をしていた秋人がそうだな、と優しく笑った。秋人は、身請けの話をした日を境にしばらく来れなかったことを、とても申し訳なく思っているらしい。
むしろあんなことを言われたら会いに来なくなる方が普通だろうに…と、春臣は言いたかったが、うまく言葉にできずに諦めた。
薄暗い、木々に囲まれた道を抜けると、その先に馬車が止まっている。
そして馬車に乗って、秋人の住む屋敷に着いた。
「…おっきい…。」
「仁もここに住んでるのかい…?」
九条家は大きな洋館だった。春臣が昔住んでいた屋敷も大きかったが、それよりさらに大きい。
驚いてぽかんと口を開けている春臣とは反対に、充は慌てたような声で仁に説明を求めた。
「ええ。ここに住ませていただいています。充には、一緒に私の部屋に住んでもらいます。」
「…こんな広いところで、迷子になったりしないのかい?」
「一緒にいれば大丈夫ですよ。」
充が照れてそっぽを向く。その様子を春臣は少し羨ましいなと思った。
自分は言葉にすることが下手だから、どうしても無口になってしまうから。
ふと、前方から声がした。こんな時間に起きているなんて、何をしている人なのだろう。
「…そう言えば、はるに客人がいるんだ。本当ははると相談してから会いたいと思ったのだけれど、いかんせんあちらがすぐにでも会いたいと聞かなくてね。」
秋人の言葉に、さらに訳が分からなくなる。自分に客人だなんて、娼館の常連客くらいしか思いつかない。
怖くなって、秋人の手を握り締めると、不安を察してくれたのか、優しく頭を撫でられた。
「…怖がらなくていい。はるのよく知る人だ。」
思い当たる節がなく、疑問に思いながら歩を進めていると、こちらに気づいたのか、人影が駆け寄ってきた。
「「はる!!」」
2人分の声。その声を聞いた途端、思わず涙が出そうになった。
「ちーちゃん、けーか!」
まだ世も開けてないのに、かまわずに大声を出してしまう。気にしている余裕などない。
秋人が繋いだ手を離し、春臣に行ってこいと促した。
それは、もう二度と会えないと思っていた、春臣の大好きな2人だった。
一方は慶榎。春臣の腹違いの兄である。歳が15ほど離れているが、とても優しく、尊敬する兄だった。そして、その隣にいるのが、慶榎の番の千尋である。彼もまた、春臣とはとても仲良くしていた。
母親が死んでから、父は春臣に養子に行けと言った。もしも春臣がいかなければ、千尋と慶榎の息子を行かせるとも。
そして2人とその息子が大好きだったからこそ、二人に二度と会えないとわかっていながら、春臣は自らが行くしかなかった。
いまだに父の意図はわからない。けれど、2人に会えたことが本当に嬉しい。
「ごめんね、はる!!…こんなことになっているなんて知らなくて。ずっと、義父様と暮らしているって聞いていたから…。ずっと苦しい思いを…ごめん…。」
千尋は春臣を固く抱きしめて、何度も頭に頬を擦りつけてきた。おそらく千尋は泣いている。
「んーん、でも、…どうして、ここに?」
なぜ秋人の屋敷に慶榎と千尋がいるのだろうか。
「秋人さんの扱っている絵画を購入しようと赴いたところ、お話を聞きまして。」
春臣の疑問には慶榎が答えてくれた。
千尋も慶榎も、とても苦しそうな顔をしている。会うことができて、春臣はこんなにも嬉しいのに。
だから、春臣は涙を拭いて、笑った。
この気持ちをうまく言葉にすることはできないけれど、今自分はとても幸せで、同じようにみんなに、笑って欲しくて。
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