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布団が一式敷かれただけの殺風景な六畳間には秋人と充しかいない。
「ご指名いただきありがとうございます、旦那様。」
充は諦めたような表情で秋人にゆるく腕を絡ませると、服をはだけながら、艶っぽい声でそう言った。行為に及ぶつもりのない秋人は、即座に彼の両手首を掴み、壁に優しく押し付けることで脱ぐ手を止める。
「それはしなくていい。」
秋人の言葉に驚いたのか、充は身体を硬直させ、目を大きく見開き、顔を見上げてきた。そして、不安そうに首を傾げる。まるで、それをしないで他になにをするのか、と尋ねているかのように。
肩まで伸びた艶のある黒髪に、凛とした端正な顔立ち。至近距離で目を合わせたことにより気づいた、先程まで気にしていなかった彼の相貌の美しさに少し驚きながら、秋人は充の言葉を待つ。
「では、なんのために僕を…?」
彼は、ふるえる声でそう言った。猫のような瞳は潤んで、今にも雫が溢れ出しそうだ。
…悲しい子だなと、秋人は思った。自分のできることは身体での奉仕しかない、と思い込んでいるのだろう。
何も言わずその頭を撫で、手を離し、はだけた着物を着せてやると、充の身体の硬直が解けた。
「冷泉春臣、という人物を知らないか…?」
落ち着いたタイミングで聞いてみる。
充との距離が少しだけ縮まったと感じたところで秋人は問いかけたのだが、充は再び黙りこくってしまう。
「……… 」
明らかに長い沈黙が流れた。充は自分の記憶の中を探っているわけではなく、どう答えるかを迷っているようだった。
「…知らない。」
知らない、と彼は言ったが、その様子から、完全に嘘をついていることが見て取れる。
「そうか。また来るよ。」
今聞いても教えてくれないだろうとさとり、ただ一言そう返した。
「えっ…?」
頭に疑問符を浮かべる充には構わず、秋人はそのまま部屋を出た。ただ障子を一枚開けただけなのに、あちこちから男女の喘ぎ声が聞こえてくる。
「用事は終わりましたか?秋人様。」
聞き慣れた声が聞こえてきてその方を向くと、見計らったように仁が立っていて。
「いや、どちらかと言えば始まった。」
そう答えると仁は、
「なるほど。」
とうなずいた後、全てを理解したような言い方でよかったですと微笑みを浮かべた。
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