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凛太郎しか触れたことのないそこに別の人が触れたとき、違和感とも不快感とも言えない気持ちがせり上がってきた。
掴まれたままの手首を思い切り振り払って、悟くんを突き飛ばす。
──今、わたしの唇に、悟くんの……。自覚すると、一度は止まった涙が溢れ出して、ひび割れたアスファルトの上に染みを作っていく。
「悟く……やだ、信じられない……」
「わからなかったなら、もう一回しようか?」
手首を再び掴まれて、真剣な眼差しを向けられる。それは紛れもなく「男の子」の力で、女のわたしでは太刀打ちできない。……悟くん、本気だ。こんな顔をした悟くんを、前に見たことがある。ひどい雨の日、二人きりの部室で──。
「だめ、やだ。やめて。……凛太郎」
悟くんの顔が近づいてくるのがわかって、ぎゅっと目を瞑った。唇だけは避けなくちゃ、ここは凛太郎にしか触れてほしくないの。今もこれからも、ずっと。
「おまえ、なにしてんだよ」
焦ったような声が降ってきて、わたしを掴んでいた手が乱暴に振り解かれたのがわかった。肩を強く抱かれて、身体中がほのかなムスクの香りに包まれる。
「凛太郎……」
「まな、ごめん。俺……」
傷ついたような表情の凛太郎に痛いくらい強く抱きしめられて、ほっとしている自分と、どうしようと思っている自分がいる。だって、わたし、悟くんに……。
「凛太郎、遅いよ」
悟くんがいつもの軽い口調で言って、「もうしちゃったよ、残念だけど」と続けた。凛太郎の動きがぴたりと止まる。
「……しちゃったって、なんだよ」
「凛太郎だって留依さんにされてたから、おあいこでしょ」
その言葉に、凛太郎がひゅっと息を呑んだのがわかった。一瞬わたしの髪に優しく触れたあと、「おまえは俺の後ろにいろよ」と背中に回していた腕を解く。
「悟……ふざけてんのか、おまえは」
いつもと変わらない笑顔を浮かべる悟くんの胸ぐらを掴んで、凛太郎が大声を張り上げた。ちょうど近くの居酒屋から出てきた人たちが、何事かとわたしたちを見ている。
「ふざけてるのは凛太郎でしょ。不器用だかなんだか知らないけど」
「は?どういう意味だよ」
「まなちゃんのこと、なんだと思ってるんだよ。大事なの?いらないの?」
口調こそ軽いけれど、その鋭い視線は凛太郎を突き刺しているようだった。
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