幻風景

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 依頼人の自宅を訪ねた俺は、渡された写真を一目見て軽く溜息をついた。 「妻が身に付けているものしかなくて…やはり、小さすぎましたか?」  依頼主であるこの家の主人は、心配げに声をかけてくる。写真には口元に手を当てて微笑む年配の女性が写っていて、その指には小さな赤い石の嵌まったリングが輝いていた。 「いえ、これで問題ありません。では、幾つか質問にお答えいただけますか?」  依頼は、写真に写っているルビーの指輪を見つけてほしいと言うものだった。依頼主の奥方が数ヶ月前に亡くなり、形見となった指輪を娘さんに譲るつもりだが、どうしても見つからないのだと言う。  テーブルに写真を置くと、俺は、を補填するための質問を始めた。 「最後にご利用になったのは、当然奥様ですよね? それがいつ頃だったかはご存じですか?」 「はあ…どうでしょう、正確にはちょっと…。床に伏せる前ですから、一年以上前だったとは思いますが…」  ご主人は腕組みしながら眉を寄せた。思い出そうと頑張ってくれているようだが、その答に期待はしていない。 「じゃあまあ、一年くらいは誰も触っていないんですね。ちなみに、保管場所はどこですか?」 「寝室のタンスの引き出しです。でも、そこはもう何度も探したんですよ」  眉尻を下げ、疲れきった様子で彼は言った。 「ですよねえ。そのときは、娘さんも探すのを手伝われました?」 「いえいえ。娘は県外に住んでいますから、葬式以来帰ってきていないんです」 「県外にと言うと、ご進学かなにかで?」 「結婚したあと、婿が転勤になりまして…、この質問、何か関係があるんですか?」  真摯に答えてくれていた依頼主だが、娘の事ばかり訊かれて怪訝に思ったようだ。胡散臭そうに首を傾げながら訊き返してくる。 「まあ、参考までに」  全くないって訳じゃないんですけどね、と胸中で付け加える。とりあえず、質問はこの辺でいいか。「では」と話を切って立ち上がり、寝室に案内してもらえるように頼んだ。この妙な能力に感づかれないよう、探したり推理したりしているふりをしなければいけない。そのためには、ちょっと解決までに遠回りをしなければ。 「この、一番上の引き出しです」  居間の向かい側が寝室だった。六畳程の和室には、きちんと畳まれた寝具と、シンプルなタンスが置かれている。傍まで行くと、タンスの角が、重みで畳についた窪みと僅かにズレているのが判った。どかせて後ろまで探したのだろう。  タンスには横長の引き出しが五段あり、一番上だけ二つに分かれている。示された左側を開けると、扇子や小物と一緒に小さなアクセサリーケースがあった。 「遺品整理をしようと開けてみたら空でした。元は妻の母親の形見ですから、とても大切にしていて、外すと必ずこのケースにしまっていたのに…」 「……」  ご主人は苦々しい顔をして目を伏せる。そっと引き出しを閉めながら、この質問をするなら今かな、と俺は考えた。 「誰かに持ち出されたかもしれないと、お考えですか?」  相手ははっとしたように顔を上げ、ぐっと息を飲んだ。拳を握り、怒りでか、声を震わせながら言った。 「…その通りです。妻の性格からして、失くしてしまったとは思えません。しかし、だからと言って迂闊に盗難届を出すわけにも…」  彼は俯きがちに目を逸らし、言葉を濁した。恐らく、持ち出しそうな人物に心当たりがあるのだろう。俺はそこには突っ込まずに、話を切り替える。 「娘さんのお部屋を見せて貰っても構いませんか?」  急に話が変わった上に、思いもよらない場所を出されて面食らったようだったが、拒否はされなかった。 「え? …ええ、今は本だらけで物置みたいになっていますけど…」  怪訝な表情のまま、ご主人は「こちらです」と先に立って、壁の手すりに掴まりながら階段を上る。二階には部屋が二つあり、片方は大学生でやはり家を出ている息子さんの部屋だそうだ。 「はあ…凄い蔵書量ですね」  そこは女性の部屋というよりは、まさに“物置”という表現がぴったりな有り様だった。壁一面の本棚はもちろん、机の上にも、マットレスだけになったベッドの上にも、床にも、大量に本が置いてある。 「結婚したとき、新居には持ち込めないからって、ここに置いていったんですよ。いい加減処分すればいいものを…」  溜息混じりに苦笑しているが、置いていったまま残してあるのは、娘の気持ちを汲んでいるからに他ならない。 「娘さんにとっては大切なものなのでしょう? 奥様にも、それが解っていたんですね。だからこそ…」  俺は、床の本を避けながら室内に入った。本棚をゆっくりと見回し、タイトルを探す。 「大切なものを隠すのに最適だとお考えになったのでしょう」  背に『紅い雫』と書かれた分厚い本を引き出した。背を下に持ち、白地に赤いタイトル文字のシンプルなケースをそっと引き上げる。 「あ…!」  ケースから出た本の前小口に、赤い石の指輪がそっと乗せられていた。 「ど、どうしてこんなところに…!?」  俺は指輪を摘まみ上げ、目を丸くしているご主人に差し出しながら笑った。 「奥様が隠したんだと思います」 「妻が…、なぜ…?」 「ご主人と同じ懸念を、奥様も抱いていらっしゃったのでしょう。その相手が絶対に探しそうになく、うっかり処分されることもない場所として思い付かれたのが、この部屋の本の中だったと俺は考えました」  半分くらいは嘘だけど。もっともらしいことを言ってはいるが、理由なんかはこじつけだ。俺は、ここにあることしか知らないんだから。 「…妻の義理の妹が、これをしつこくねだっておりまして…。手に渡ればきっとすぐに売り払われるから、それだけは絶対に嫌だと…。実際に、妻の入院中にも何度か勝手に家捜しをしていたようなので、もう持っていかれたかと思っておりました」 「そうだったんですか…」  推理は穴だらけで、突っ込まれたらどうしようと内心穏やかじゃなかったから、説明に納得してもらえたことにほっとする。 「確かに、あの人はこの部屋には入りそうもない気がします。入ったところで、本には手を触れないでしょうし」  そう言って、ご主人は指輪を元のように本の中にしまい、本棚にそっと戻した。 「娘が帰ってくるまで、このままにしておきます。その方が安全でしょうから」  ご主人は胸に手を当て、安心したように微笑んだ。
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