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第1話 出会い
私はあの人の顔をもう一度見たかった。
あの優しく微笑んだ顔も怒った顔も哀しんでいた時の顔も楽しそうな顔も。
その全てが愛おしくて、私の心を締め付けていく。
もうあなたはいない。
もっとあなたの顔を見ておけばよかったなんて
今更思っても遅いかもしれない。また会いたい。
2017年3月31日
私は5年間付き合っていた彼に突然の別れを切り出された。
理由は性格の不一致だとか何とか言っていたけど、
あまりにも悲しみが大きすぎて、
別れようと言われた後はぼんやりとしか記憶に残っていない。
そんな悲しみを忘れようと自然にグラスは傾いていく。
これで何杯目だろう。
どんどん意識もどこか遠い場所に落ちていくようなそんな感じがする。
目の前にいるバーテンダーの姿がぼんやりとしてきた。
目が閉じそう。
もうこのままここで寝てしまおう。
そんなバーに迷惑をかけるような行動がす~っと脳内に浮かぶ。
駄目だとは分かっていても、本能には勝てやしない
「あ~らら、やっぱり寝てしまわれたんですね」
さっきまで引っ切り無しにお酒の注文をしてくれていた女性から
突然、オーダーが止まってその席を見ると、案の定彼女は寝ている。
来店した時から彼女の顔はどんよりとしていて、瞳に涙を浮かべていた。
何か不幸なことでもあったのかもしれない
正直言えば、そんな顔をしている理由を知りたいと思った。
だけど常連さんでもましてや知り合いでもない。
おそらく今夜が初めてのお客様にそんな気軽にプライベートに
踏み込むものではない。
ここはおとなしく彼女を見守っておこう。
バーカウンターから彼女の飲む速度が徐々に上がっていることにも
涙の量が増えていたことにも気づいていた。
止めてあげることがバーテンダーとしては正しい選択だったのかもしれない。
だけど今の彼女に何を言っても届くことはなさそうで、
今ここで止めたら別の飲み屋で飲み続けてしまうのではないか。
それならば目の届く範囲で飲んでいて欲しかった。
結果として、彼女は寝た。
まだ目の端に涙の粒が残っている。
どれだけ悲しい想いをしてしまったんだろう。
喉が渇く。
砂漠にでもいるかのような喉の渇きが私を襲った。
目を開けようとする。
だけど瞼は予想以上に重くなっていて、開けにくい。
ゆっくりゆっくりと瞼に力を入れていく。
光が差す。
けれどもその光は霞んでいて、ぼやっとしている。
頑張れ。私の瞼。
いつしか自分の瞼に念を送っていた。
そんな私の想いに応えてなのか、霧がかかっていた視界は
徐々に晴れていき、周りの景色、光にも慣れ始める。
ふと肩に柔らかい感触を感じて、目線をそちらへ向けると掛け布団が
背中に掛けられていた。
そしてまた視線を戻して、はっきりとする。
ここが自分の家じゃないことに。
おそらくバーの後からの記憶がないことから、
そのまま寝てしまったのだという事はすぐに分かった。
恥ずかしさのあまり頬に熱が集まっていく。
視界もはっきりとしていくにつれて、
ここがまだバーのカウンターだとも気付く。
同時に焦りを感じる。
(え、私何時間寝てた!?終電、まだ行ってないよね・・・。)
腕時計に目を落とす。
(1:20分・・・?え、あ、)
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
意識は一瞬で覚醒したと共に終電を逃してしまったという紛れもない真実が
私の頭をすごい勢いで殴りつけ、叫び声をあげてしまう。
「あ、お客様。おはようございます」
しかし、そんな私の意識に追い打ちをかけてくるように、
控室のような部屋からふわふわヘアーのかわいい系の女性が近づいてくる。
おそらくさっきの叫び声も聞かれたことだろう。
すごく恥ずかしい。
だけど、さっきの言葉から従業員さんだと推測できる彼女は
そんなことを気にしていないようににこにこしている。
「お客様随分とお疲れだったようですね。あ、これ水なんでどうぞ、」
彼女は手慣れた感じでお水の入ったコップを差し出してくる。
その綺麗な所作に思わず目を奪われる。
「あ、ありがとうございます」
乾いた喉に潤いを与えてくれるその水は特別美味しいとかではなかったが、
気分が落ち着いていく。
「あ、ありがとうございます。それじゃあ、私もう。」
コップの中の水を一気に飲み干した私は、お店とこの女性にこれ以上の迷惑を掛けまいと店を出ようと立ち上がる。
「あの。終電もう終わりましたけど、大丈夫ですか??」
彼女は心配そうに問いかけてくる。
そういえばそうだった。
もう既に終電を逃してしまったため、家に帰る術はない。
タクシーを呼ぶお金を持っていなかったこともあるけど・・・。
(しょうがないか。今日は近くのビジネスホテルにでも泊まろう)
「あ~。う~ん。まあ、ホテルにでも行くので大丈夫だと・・・」
鞄の中から財布を取り出し、一万円を彼女に渡そうとする。
しかし、彼女は私の持っている札ではなく、手を握りしめてくる。
(え、なにどういうこと?もしかして足りないとか・・・?)
「あ、あの、もう夜も遅いので私の家に来ませんか??
ここから近いですし。」
悲痛な別れを経験した日、私は見ず知らずの彼女に突然誘われた。。
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