深夜のチョコレート

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「おまえ、彼氏とかいんの?」  それは世間話だったのかもしれない。けれど私はクソ真面目に受け取ってしまって胸がつぶれそうになる。 「……いないけど。本命が受かるまで遊ぶ暇もありませんから」 「おまえのことだから、国立とか受けんの?」 「……まあ。センターも悪くなかったし、本命で勝負かけるつもりだけど」 「おまえ五教科全部できたもんなー。ただでさえでも英語と社会は太刀打ちできないのに、最後は数学まで抜かされちまってさー。おまえんとこの高校に落ちたときは、まあしゃあないかなーって思ったよな、正直なとこ」  初めて聞く話だった。三月最後の試験にも落ちた彼とは、卒業後一度も会っていなかった。さばけた様子でそう言う彼は、今どんな顔をしているのだろうと懐かしさがこみ上げてくる。 「大谷君は、どこか受けたの……?」 「あー推薦でもう決まってるよ。俺、世界史と古典ぜんっぜんだし、物理と数学で受かるとこ見つけたから。晴れて自由の身よー」 「じゃあ彼女さんに会ってあげなよ」  友人の睨みがきつくなってきたのもあって、私はそう言った。その言葉に彼女は目を輝かせてウンウンとうなずく。 「いいよもう。どうせ別れるつもりだったし」 「はあ?」  つい大きな声が出た。私がどんな剣幕をしていたのか知らないが、友人が目をぱちくりとさせる。 「そこにいるんだろ? そう言っといてよ」 「……なに言ってんのよ、ばかじゃないの! なんで私がそんなこと言わなきゃいけないのよ!」 「いいじゃん、昔のよしみで」 「ふざけんな、この甘ったれが!」  つい弟を怒るときの調子で叫んでしまった。  まずいと思ったときはすでに遅し――彼は電話口でゲラゲラと笑い転げているようだった。 「懐かしいねーその切れキャラっぷり。クラスの男子連中がさー、溝上だけは怒らせんなって口そろえて言ってたんだよね」 「話をごまかすな! ちゃんと本人に言いなさいよ!」 「わかったよ。明日言う」 「なんで明日なのよ!」 「もとからそのつもりだったんだ。四月から遠距離になるし」  彼の落ち着いた声が、胸の中にすとんと落ちた。湯気が出そうなほど煮えたぎっていた頭が、急速に冷えていく。 「電話をかけてきてくれたのが溝上でよかったよ。おかげで決心ついた。ありがとな」 「……どういたしまして」  思わずそう返答してしまった。ありがとうと言ったのは十五歳の彼のままで、今の彼がどんな表情をしてその言葉を口にしたのか、見えないのがもどかしかった。 「……ははっ、ほんとクソ真面目だよな。溝上も大学でいいやつ見つけろよな」 「……大谷君みたいな人ではなく?」 「そう、俺みたいなサイテーなやつじゃなく。じゃあな、切るよ」 「じゃあね……」  話の流れのまま受話器を置いた。チンというむなしい音が響いてテレホンカードが吐き出される。呆然としていた私に、友人がすかさずつかみかかってくる。 「彼、なんて言ってたの? 会ってくれるって?」  私は無言で電話ボックスを出た。彼との会話は一言一句漏らさず記憶している。その中から、彼女に伝えるべき言葉を探す――  藍色の空から粉雪が降り落ちてくる。言葉は何も見つからない―― 「……会えないみたいだし、帰ろっか」  にこりと微笑むと、友人はまた涙目になった。何とか慰めたくて、肩に手を置く。 「作ったチョコレート、私でよかったら食べるからさ」  その言葉にさすがの友人も悟ったのか、こくりとうなずいた。私は彼女の背中をぽんと叩いた。うつむいたまま歩き出した彼女の肩は震えていた。  雪が降る中、二人で公園のベンチに腰を下ろしてチョコレートを食べた。  彼女が作ったチョコレートはとびきり甘いはずなのに、涙の味しかしなかった。
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