深夜のチョコレート

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 駅に着いた私は電光掲示板を見上げた。最終電車まで二十分以上ある。暖房のついた休憩室に入って腰を下ろす。  ふとトートバックに入った小箱が目に入った。先輩に渡すはずだった例のチョコレートだ。地味なその小箱を見ていると腹の虫がなった。無性に甘いものを口にしたくなってリボンを解く。  中には小さな銀紙におさまったチョコレートが四個入っている。本命の彼の箱には八個入っている。そのことを知っているのは私だけだ。  つまらない意地だが、渡せただけで十分だ。これは自分への褒美として食べてしまおう。  銀紙を外して不細工なチョコレートを口に放りこむ。溶かして固めただけなのだ、味の保証はある。なのに――  ひとつ食べても、ふたつ食べても、チョコレートは涙の味しかしなかった。  高校三年生の冬、友人が彼に渡すはずだった手作りチョコと同じ、わずかな塩味――  鼻の奥から逆流してくる涙をこらえながら、どうしてダミーなんか用意したのだろうと思った。素直に本命チョコだけ作って、ちゃんと告白すれば彼はどんな反応をしてくれただろう。  想像するのも怖いなんて、本当に情けない。  待合室に人がいるのに涙がこぼれ落ちてしまった。恋に真剣だった友人が渡せなくて、ごまかした私が渡せてしまったチョコレート。  あれだけモテる彼なのだから、もっと立派で素敵な本命チョコをもらっているに決まってる――  私はアレルギーで目がかゆいんですと言わんばかりに目じりをこすった。  またひとつチョコを口に入れる。深夜のチョコレートは口腔にしみわたって、胸の痛みを呼び覚ます――  その時、ポケットの中で携帯電話が振動した。涙でみじめに濡れた指をぬぐって画面を見る。  着信:大谷  やっぱりあんなもの受け取れないんだろう、と思いながら震える指で画面を押す。 「……もしもし」 「溝上、今どこ?」 「どこって……終電待ってるんだけど」 「今からそっち行っていい?」  彼の言っていることが理解できず、私は「はあ?」と声を上げる。 「大谷君を待ってたら、終電逃すんだけど」 「そうなったら朝まで付き合ってやるからさー」 「何言ってんのよ!」  思わず声を荒げてしまい、冷たい視線を投げられた。膝の上に乗せていた小箱をトートバックに放りこみ、あわてて待合室の外に出る。 「あ、おまえ今やらしいこと考えてたな。駅前のファミレスに決まってるだろ」 「どっちだって同じことでしょ! どうして待たないといけないのよ」  駅のホームではもうすぐ最終電車が着くというアナウンスが鳴っている。もしかするともう近くまで来ているのかもと、携帯電話を耳に当てたままあたりを見回す。 「電話でもいいかなって思ったんだけど、やっぱり顔見て言いたいからさ」 「……何を?」  膨張した心臓が全身を支配するように鳴り始める。ホームに駆け込んでくる人の波を見つめながら、耳に神経を集中させる。 「おまえにチョコもらったの、嬉しかったから」  その言葉を聞いた瞬間、私の心臓はぎゅっと縮んだ。彼の言葉をどう受け止めればいいのかわからなかった。ただうなずいて、携帯電話のスピーカーから聞こえる街の音に耳を澄ませた。 「すぐ行くから、待ってて」  私が返事をするのも待たず、通話は切れた。熱を帯びた携帯電話を握りしめたまま立ちつくす。  最終電車に乗る人の群れが背中を押し始める。私はあわてて列の外に飛び出した。ホームにいた人たちがみな電車の中に吸い込まれる。笛をくわえた車掌が訝し気な目で私を見つめてくる。  首を横にふった。車掌が笛を吹いて、電車は静かに発車する。  人生で初めて最終電車を逃してしまった――白い息を吐きながら、去っていく電車のライトを見つめた。左手の中には最後のチョコレートが残っている。  地下街を歩きながら深夜のチョコレートをかみ砕く。やっぱりそれは涙の味しかしなくて、古傷にピリピリと染みこんでくる。  そのとき、地上に続く階段の端に黒いジャケットが見えた。またしてもアナウンスが流れる。駆け下りる人たちの流れに彼の姿が隠れる。私は必死なって流れに逆らい、何度も彼の名前を呼ぶ。  届かない、行ってしまう。けれどもうあきらめたりしない。 「大谷君!!」  私は叫んだ。爆発しそうな心臓を押さえて階段を駆け上がる。  彼がふり返った。頬にえくぼを浮かべて手を上げる。  立待月の下、私は涙をぬぐって大きく手をふった。
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