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Polar Day, Polar Night(3)
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登場人物
★ハンス・ストラン(Hans Strand)
44歳男性。漁師。右耳の後ろに蝶形の痣がある。
★エーリク・ストラン(Erik Strand)
40歳男性。漁師。昏睡状態になってから約2年が経つ。
★イーダ・リー(Ida Lie)
35歳女性。エーリクの主治医。
★ビョルン・ヨハンセン(Bjørn Johansen)
37歳男性。パブ〝白熊亭〟の店長。
★ガイル・バッケン(Geir Bakken)
44歳男性。オーロラ観光ガイド。
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あらすじ
オーロラが有名な街に住む漁師のハンス・ストランは、2年ほど前から昏睡状態になっている弟エーリク・ストランの見舞いへ、毎週土曜日欠かさずに行っていた。
ある日ハンスは、エーリクの主治医であるイーダ・リーから奇妙な質問をされる。エーリクのドッペルゲンガーを見なかったか、と。
その出来事を変に思ったハンスが、病院から出て街中を歩いていると、知らない男から名前を呼ばれ、馴れ馴れしく話しかけられた。男は何故かハンスの痣のことまで知っており、気味悪がったハンスは男をぶちのめして逃げたのだった。
その夜、殴られた男ビョルン・ヨハンセンの経営しているパブ〝白熊亭〟に、ハンスと同じ名前で、外見も瓜二つの男がやってきた。2人目のハンスはなんと、ビョルンと付き合っているという──。
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────ここはどこだ?
俺は木製の小さな椅子に座っていた。
右手には水彩絵の具のついた筆、左手にはパレットが握られていて。
目の前には紙がセッティングされたイーゼル。未完成の絵。
見間違うはずもなく、俺の描きかけの絵だ。
オーディンの馬、八本足のスレイプニルが空を駆ける、現実世界ではありえない場面。
日中、途中まで描いて、残りの作業は明日にしようと置いておいた絵──。
……夜の8時には自分の家のベッドに入って、ぐっすり寝てたと、俺の記憶は語っている。
なのに、周りには緑あふれる森が広がってる。
季節はまだ冬のはずなのに、白夜の頃みたいに明るい。あたたかな日差しが木々の葉の間から差し込んでくる。
この近辺では見たことないような植物ばかりだ。木々に巻きついたツタは、蛇のようにとぐろを巻き、人間の頭ほどもある白い花を咲かせている。
足元の地面にも、名も知らぬ色とりどりの花々。
……混乱した頭を冷やすべきだ。手にしていた道具を傍らへ置き、水場を探しに行こうと立ち上がったところで。
年輪を重ねた大きな木の下に、寝間着を着た俺が横たわり、草花に囲まれてすやすやと眠っていることに気がついた。
────おかしい。俺はここにいるのに。
アレは誰だ?
俺は──俺か?
思わず自分の手や顔を触って確かめるが、いつも通りの感触で。
でもあそこにいるのも間違いなく俺で。
何がどうなってんだ……?
仰ぎ見た空に、何やら見覚えのあるシルエットの動物が飛んでいた。
見覚えがあると言っても、あれは、現実世界には存在しない生き物。八本足のスレイプニル……?
「……ス、ハ……ッ、ハンス……ッ!」
その時。木々の向こうで聞き慣れた声が響いた。それから、草の擦れる音。
ガサガサと息切れをさせながら走ってきたらしい、厚手の赤いアノラックを着た男が、俺の姿を見つけるなりホッとしたような顔をする。
「……ガイル」
「ここにいたのか」
筋肉質な男がドスドスとこちらに近寄ってくる。近所に住む友人のガイル・バッケンだ。
「探したよ。お前の家の前を通ったら、家がなくて、森になってた……私の頭がおかしくなったのか??」
「俺んちが……ない……だと?」
「周りがもうこんな……広大な、森になって…………これ、何がどうなってるんだ……?」
ガイルが指差した方角、草むらの上には、ドラゴンがいた。大きさは人の背丈の三倍ほど。
身構えたが、襲ってくる気配もなく、大人しく尻尾を身体に巻き付けて眠っている。
暑かったのか、ガイルがアノラックを脱いで地面に投げた。
「よく分からない動物がいっぱいいるぞ……? 現実なのか??」
「うーん……俺にもよく分からんが、夢なんじゃないか? 俺がもう一人そこに寝てるだろ?」
俺は俺を指差した。この状況もなかなか奇妙なものだ。
「ハンスの夢ってこと……なのか?」
「いや、お前の夢だってことも考えられるんじゃないか?」
「私はこんなに……美しい夢は見たことないぞ」
ガイルと話している最中にも、極彩色の尾長鳥や、美しい光沢を持った変わった形状の虫、立派な角を持った巨大な鹿のような生き物などが飛んだり跳ねたり、通り過ぎたりしていく。
「夢なら……伝えてもいいか」
「ん?」
イーゼルの側に立ったまま、ガイルは俺をまっすぐ見据えた。
「……………………さっき、私と目が合っただろう?」
「ん? お前は今来たばかりだよな……?」
「ハンス。お前が深夜に、〝白熊亭〟って店の前にいたのを見たんだ。私とバッチリ目が合ったよな?」
「そんな店知らねえし、深夜は出歩いちゃいないさ。お前も分かってるだろう? 俺は遅くとも夜8時までに寝ちまうって」
そう言うとガイルは、しかめっ面のまま黙った。
平日と土曜は、朝早くから漁に出るから、早寝しなきゃいけない。おまけに一日のサイクルを崩したくない俺は、次の日が日曜日でも、就寝時間を大幅に変えるようなことはしなかった──不慮の事故が起こらない限りは。
物心ついた頃からつるんでいるガイルも、それを知っているはずだ。
なのに、人違いだという選択肢も出てこないとは──。
そこまで考えてから、一つの可能性に行き当たった。
一卵性双生児みたいに、俺と同じ顔の奴が、この街にいる……?
病院を出た後に声をかけてきた男も、おかしなことをほざいていた。ただの変態だと思っていたが……。
「……なあガイル。そいつは店の前で何かしてたのか?」
「え……あ……その…………」
もじもじと口ごもるガイル。表情を確認しようと覗き込むと、何故か赤面していた。
「おいどうした? そんな変なことでもしてたのか??」
「いや、まあ……うん……」
ガイルは言いにくそうに、後頭部をポリポリ手で掻いていたが、30秒ほど経ってから意を決したように口を開いた。
「舌を絡めたキスをしてたんだよ……男と」
奴の言葉を理解できるまで………………たっぷり10秒かかった。
「ハァアアア??????」
ガイルに摑みかかった勢いで危うく、筆を入れた道具類を踏みつけるところだった。
「私は付き合いで何回か〝白熊亭〟に行ったことがあるから、店長の顔を知ってたんだが……ハンス?が店の入口の前で、店長とキスしてたんだよ」
「だから俺じゃねえって……しっかしなんだそりゃ……」
自慢じゃないが俺は、少なくともここ14年はそういう色事と関わりのない人生を送ってきた。恋人を作ろうと躍起になっていた時期もあったが、俺がダサすぎたからか誰も相手にしちゃくれなかった。しかも俺の恋愛対象は女性で、44年の人生において揺らいだこともなかった。
俺と同じ顔をしたそいつは、一体何をやってやがる……?
いや、これが夢だとしたら、ガイルの言ってることも現実には起こってないに違いない。そう信じるしかない……。
不意に俺の正面に立ったガイルは、俺の両肩を手で摑み、俺の顔を覗き込んで言った。
「私はそれを見て……どうしても我慢できなくて……」
「……? ああ、そうだよな。もし俺にそんな一面があったとしたら、驚くのも無理はないだろうが、そいつは俺じゃない」
「いや、私は……お前が……」
ガイルは俺の肩を摑む手に力をこめて、
「私は……お前が男とキスするのを見て……我慢できなかったんだ……他の男とするくらいなら、私を選んでほしいと」
と静かに言った。
奴の左手が、俺の右耳の後ろを撫でる。蝶形の痣のあるところを。
「????」
こいつは何を言っている?
「…………ハンス。私はお前のことを……愛してるんだ」
ガイルは俺の背に手を回し、力強く抱きついてきたが、俺の頭の中の処理は追いついていなかった。
ドラゴンがあくびを一つして、ゴオオオッという大きな音が森に響く。
我に帰った俺はガイルを引き剥がそうとするが、ガタイが良すぎてびくともしない。
「離せ、ガイル」
「知ってるさ。お前は私のことを、ただの友達と思ってるって」
「おい離せって……!」
「だからずっと黙ってたんだ。私も墓場まで持っていくつもりだった……この想いを」
ガイルは少し身を離して、俺の目を見つめてきた。いたたまれなくなって俺は目を逸らす。
「むしろ相手が女だったら、諦めもついたのに。結婚式にも出席して、祝福してやっただろう。
だが……お前のあんな姿をみたら、私は、もう……嫉妬で狂いそうだった」
ウワアアアアアアッ!!!!
という悲鳴とともに、俺は飛び起きた。額にひどく汗を掻いている。見回すと輝ける森はもうなく、寒くて暗い自室の、ベッドの上にいた。
俺の夢だったのか?
夢だったにしても、ガイルがあんな……俺のことを愛してるだとか、どうかしちまってる……。
枕元の灯りを点け、手で汗を拭う。ぐじゃぐじゃとした思考を整理しようと、文字通り頭を抱えていると、突然部屋のドアが開けられた。
──そこには赤いアノラックを抱えたガイル・バッケンがいて。まるで度肝を抜かれたように、目を見開いていた。
なんでここにいる……? さっきのは夢だったはずだろう??
ガイルもどうやら同じことを思っていたらしい。二人とも頭に疑問符を浮かべていたが、先に口を開いたのは奴の方だった。
「……ハンス、私は見てたんだが……草むらで寝ていたもう一人のお前が、急に大声を上げて起きたんだ。そしたら森が消えて……腕の中にいたはずのお前も消えて、いつの間にかお前の家の中にいた」
「……? それはどういうことだ……? 」
「私にもよく分からないが……一つ言えるのは」
ガイルは何故かもじもじし始め、顔を赤らめた。
「なんでそこで赤くなる……?」
「いやこの事実を認めたら、私はとんでもないミスを犯したことになってしまう……」
「ミス?」
疑問形にしたわりには、俺もどことなく分かりかけていて。それは、認めたくないがゆえの少しばかりの抵抗だった。
落ち着かない様子のままガイルは、舌打ちをして。羞恥心を絞り出すように、言った。
「────どうやらさっきのは…………夢じゃない、ようだ」
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