Polar Day, Polar Night(2)

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Polar Day, Polar Night(2)

———————————————— 登場人物 ★ハンス・ストラン(Hans Strand) 44歳男性。漁師。右耳の後ろに蝶形の痣がある。 ★エーリク・ストラン(Erik Strand) 40歳男性。漁師。昏睡状態になってから約2年が経つ。 ★イーダ・リー(Ida Lie) 35歳女性。エーリクの主治医。 ★ビョルン・ヨハンセン(Bjørn Johansen) 37歳男性。パブ〝白熊亭〟の店長。 ———————————————— あらすじ  オーロラが有名な街に住む漁師のハンス・ストランは、2年ほど前から昏睡状態になっている弟エーリク・ストランの見舞いへ、毎週土曜日欠かさずに行っていた。  ある日ハンスは、エーリクの主治医であるイーダ・リーから奇妙な質問をされる。エーリクのドッペルゲンガーを見なかったか、と。  その出来事を変に思ったハンスが、病院から出て街中を歩いていると、知らない男から名前を呼ばれ、馴れ馴れしく話しかけられた。男は何故かハンスの痣のことまで知っており、気味悪がったハンスは男をぶちのめして逃げたのだった。 ————————————————  道端で立ち止まり、店のウィンドウに映った自分を見て、(ああ、この男(・・・)は今日も完璧だ)と自賛する。  片側だけ垂らした前髪。左右対称に整えられた髭。フードにフェイクファーのついたコート。内側に着ているのは黒のジャケット。紺色のジーンズと革のブーツが、長い脚を際立たたせている。  毎日の仕事のおかげで自然な筋肉もついている。同年代の男と違って腹も出てなくて、むしろこの歳にしては抜群にスタイルが良い──。  顔をにんまりとさせて、雪を踏みしめ、パブ〝白熊亭〟へ向かう。極夜が近いこともあって、まだ19時だが暗闇が深い。  地下への階段を降り、ドアを開けると、見知った顔がカウンターの中で酒を用意していた。ここの店長のビョルン・ヨハンセンだ。少しウェーブがかった黒髪が、暖色系の照明に照らされてきらめく。  俺はカウンター席に座り、忙しそうにしている彼に声をかけた。 「よう、また来たぞ」 「……!」  ビョルンはカウンター越しに俺の顔を両手で挟んできた。ちょっと待てよ、ここでキスでもする気か……?  実のところ、俺とビョルンは恋人関係にある。でも、人目が多いところでそういうのは勘弁してくれよ──。  そう思いながら淡い期待を止められず、彼の唇を待った。  けれどもビョルンの目的はキスじゃなかったらしい。何故か俺の存在を確認するように、顔のパーツというパーツをじろじろ見つめてきた。 「ハンス……ハンスだよな?? ストラン家のハンス……」 「おいおいどうした、どこからどう見ても俺だろ?」  左を向かせられ、右耳の後ろの痣まで見られる。生まれつきある蝶形の痣だ。ようやく納得したらしい彼は、俺を開放した。  その時になって、ビョルンの左頬が少し腫れ、赤くなっていることに気がついた。 「お前その顔どうした? 誰かに殴られたのか??」  俺は思わず腕をのばし、ビョルンの頬を撫でる。彼は小声で「痛ッ」ともらし、顔をしかめた。 「……本当にアイツは別人、なのか」 「ん?」  何やらもごもご呟いている彼の頬から手を放す。ビョルンはショットグラスにアーケヴィットを注ぎ、さらにウル(ビール)を大きなグラスで出してくれる。恋人の特権として、酒をタダで飲ませてくれるから、俺はほとんど店の常連のようになっていた。 「……もしかしてハンス、よく似た兄弟とかいたりする? 実は双子だとか??」 「兄弟? 弟が一人いるが……俺には全然似てないぞ」  弟のエーリクは父親似で細面の俺と違って、母親似の丸顔だ。  しかもエーリクは今…………  ────────あれ、どうしてるんだった?  頭に靄がかかったように、思い出せない。  得体のしれない感覚を振り払おうと、ウル(ビール)をあおり、アーケヴィットもちびりと飲む。  ビョルンは他の客から注文を受け、酒を出した後にまた俺の目の前へ戻ってきた。 「ハンス、今日の朝食後にまたいなくなったろ? ……まあ、いつものことだけど」  そう言われて自分の行動を振り返り、またヤバい事実にぶち当たってしまう。朝は確かにビョルンの家にいて、朝食を食べた記憶はあったが、その後どうやってビョルンの家から出たのか──全く覚えていないことに。  逃避するように、また一口ウル(ビール)を飲んだ。くらくらと心地よい酔いが回っていく。 「なんとなく気になって外を探したんだよね。まだ近くにいるかと思って。そしたら君と瓜二つの男がいてさ」 「瓜二つの?」 「そう。服装がダサいこと以外は君に生き写しでさ。てっきり君かと思って声をかけた。でも『お前なんか知らねえ』って言うから、耳の後ろの痣で確認しようと思って触ったら、怒らせちゃって……」  それでこうなった、と彼は自分の左頬を指差す。  それから腹を蹴られた、と臍のあたりを指す。さすがに着ているセーターをめくって見せてはくれなかったが、それはあとで二人っきりになったときにじっくり拝ませてもらえばいい。 「でも……触ったってお前……」 「言っとくけど浮気じゃないからな。ハンスに似すぎてるアイツが悪い──紛らわしいから〝偽ハンス〟って呼ぶけど」  ちょっと待ってて、と言ってビョルンは一旦バックヤードに向かい、しばらくしてから、紺色の毛糸の帽子を手にして戻ってきた。 「偽ハンスの帽子。痣を確認する時につい脱がせちゃって……」 「お前……ったく何やってんだよ……」 「ハンス、この帽子に見覚えはある?」  渡された帽子はトナカイの柄で、耳あてがついていた。内側はボアになっている。長い年月使い込まれているようで、色は煤け、一ヶ所小さな穴が空いていた。  そう言われてみれば、どこかで見たことがあるような気もするし……見たことがないような気もする──。 「……あるわけない、か」 「まあ、俺じゃないことは確かだ。でも紛らわしいったらありゃしないな……」 「ドッペルゲンガーだったらどうする? ハンスが偽ハンスにばったり会ったら──」  自分のドッペルゲンガーに会ったら、死ぬ。  都市伝説のようなものだったが、その瞬間を想像し身震いしてしまう。  俺はまだ死にたくない──。何故だか分からないが、そう強く思った。  女の店員がポテトフライを俺の前に出してくれたので、ソースをからめていただく。 「とりあえずさ、偽ハンスと区別をつけたいから、オレたちの合言葉を決めておこうよ。また間違って殴られたら嫌だし」 「合言葉か……そうだなそうしておこう。何にする?」 「うーんじゃあ……〝ザリガニは〟?」 「〝夏のごちそう〟」  合言葉が決まったところで、パブ仲間が何人か入店してきた。軽く挨拶をし、酒とつまみを持って席を移動して、話の輪に加わる。  ビョルンの仕事が終わるまで、まだまだかかる。俺は適当に時間をつぶして待つことにした。  大丈夫。極夜が近いから、夜明けまでは何時間もある──。  と考えてから、なんで夜明けの時間を気にしてるんだと、自分でも疑問に感じたが。  そんなささくれのような疑問は、仲間との語らいで霧散していき。楽しい夜が過ぎていった──。    * 「────ハンス! ハンス起きて」  テーブルに突っ伏して寝ていたらしい俺は、ビョルンに肩を揺さぶられて起こされる。  既に店じまいを済ませていたらしく、店内には俺と彼の二人だけしかいない。ビョルンはコートを着て俺の傍らに立っている。 「ビールとアーケヴィット一杯ずつで酔いつぶれるなんてさ……奢る方としては安上がりでありがたいけど」 「ケッ……俺の家系はみんな酒に弱いんだよ」 「へえ。そういえば君から家族の話って詳しく聞いたことなかった。後で色々教えてよ」  ビョルンが差し出す手を摑み、ゆっくり立ち上がる。 「面白い話はそんなにないぞ」  地上へ向かう階段を上り、路端へ出る。外灯以外はほとんど電気も消え、ひっそりと暗い。ひんやりと雪の存在を感じる──。  不意にビョルンが俺の腰を抱き寄せ、唇についばむようなキスをしてきた。  こんなところで……? と思ったが、人の気配もあまりなかったので、まあ良いかと俺も乗り気になる。深く深く舌を絡める。お互いに息が上がってきたところで、道路の向かい側からの視線を感じた。慌てて唇を離す。静かにリップ音が鳴った。 「ちょ、お前……なんで、ここで……」 「……さっき、カウンターで話したとき、物欲しそうな顔してたから。今した方が良いかなって思って」 「タラシかよ……」  押し殺したと思っていた淡い期待を、見透かされてたってわけか。  だが、さすがにここでこのまま続けるのは、色んな衛生上良くないだろう。何より、寒い。 「帰ってから、ゆっくり楽しもうぜ」  そうビョルンに囁くと、彼はギュッと俺を抱きしめてくる。  あたたかな腕に包まれたまま、ビョルンの肩越しに道路の向かい側を眺めると、人影があった。その場から動かないのでおかしいと思い、目を凝らしたら……バッチリ目が合ってしまった。  あれは──知ってる顔だ。オーロラ観光ガイドのガイル・バッケン。  ガイルは俺たちのことを驚愕の眼差しで睨み、踵を返すとどこかへ行ってしまった。  ヤバい、兄貴に報告されて怒られる──。  おい、なんだ〝兄貴〟って? 俺が長男だろう??  さっきからなんだか、思考がおかしい……酒にやられたのだろうか。  混乱する頭に土足でズカズカと入り込むように、ビョルンが熱の入った愛の言葉をつむぐ。 「愛してる、ハンス。愛してるんだ」 「……ビョルン」  ビョルンの背を抱き返す。なんでこの歳下のいかした男が、俺を愛してくれるんだろう。  確かに俺は完璧だ。スタイルにもファッションセンスにも自信がある。  でも俺という存在は、なんだか足が地についていないようで、あやふやじゃないか?  そこまで考えてから、ビョルンに対してドロドロに溶け切った感情を持て余し。  もう、なんだって良いと思った。 「……早く、お前んちへ行こう」 「いい加減、〝帰ろう〟って言ってくれてもいいのに。あそこは君の家でもある」 「いいや、偽ハンスと俺をちゃんと見分けられるようになったら、俺んちとして認めようじゃないか」  笑い合いながら俺らは、急ぎ足でビョルンの家へと向かう。  静かに、雪が降り始めていた。
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