初めての夜はやさしく?

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初めての夜はやさしく?

 キャンパス内にある学食に、ようやく西日が射し込みはじめた。  梅雨があけたばかりの夏の始まりのその日。朝からよく晴れていたから、二階の窓際のテーブルはものすごく暑い。  席選び、しくじったなぁ。  私はちらりと向かいに座る人の表情を伺ってみる。  いつも通りの涼しい表情。だけど、眉がちょっとずつ寄りはじめているから、あんまり良くない兆候だ。  とてつもなく言いにくい。  かなり気まずい。  本当に聞く必要ある?  ──もしかしたらないかも。  いやでもやっぱり。     私があれこれ脳内会議していると、ついに「おい、花実(はなみ)。いいかげんに言え」といらついた声がかかった。 「で、ですよねぇ……」  へらりと笑ってみせるも、全くほだされてくれないこの男。名前は渡辺侑児(ゆうじ)と言って、私の従兄弟であり幼馴染だ。  普段はあっさり系イケメンと友達から評判だけれど、今は目も眉毛もつり上がっていて爽やかさのかけらもない。むしろ怖い。猛禽類みたい。  でもまあ気持ちはわかる。  講義が終わって帰ろうとしたところに、突然私から『相談したいことがある』と学食に呼び出され。いざ学食で向かい合っても、のらりくらりとして話を切り出してこないのだから、しびれも切れるっていう話だ。  すでに侑児のアイスコーヒーは半分以下に減っている。喉が乾いているっていうのを差し引いても、ちょっと引き延ばしすぎかも。 「……あのさ、侑児」 「なんだよ」  もう十回以上このやりとりをしているからか、侑児の方の返事は投げやりだ。でもその方がいいかもしれない。最初の方の真剣な表情でのぞきこまれた時など、絶対言えなかった。  私は最後にまわりを確認して、学食内に人がまばらであることを確認すると、よしっとお腹に力をこめた。 「──初めての時のこと、覚えてる……?」 「は? 何の初めて?」  侑児が顔いっぱいに「?」マークを浮かべて、首をかしげた。     幼稚園から大学までずっと一緒のところに通っていて、お互いの成長過程をつぶさに見てきた私たちだから、当然いろんな初めてはあったんだけど……。  だけどなぁー! ここは察して欲しかった!!  女の子が恥じらいながら「初めて」とか言ったらあれに決まってるじゃん!   「ほら、あれだよあれ! あの……血が出たやつ」 「血? 木登りして落ちた時?」 「そうじゃなくて」 「お前が生理になった時?」 「ちっ、違う! でも惜しい!」 「え、惜しいの?」 「血が出る場所は一緒! ほらっ……セのつくあれ!」 「──え……あれって……あれ? いや、そりゃ……覚えてるけど……」  若気のいたり。好奇心の暴走。思春期の発情。  いろんな素因はあると思うけれど、私の初めてのセックスの相手は侑児だった。  しかも、その理由はただ「してみたいから」の一点。  今思うともっと自分を大事にしろ! と思わなくもないけれど、お互い興味津々になったタイミングが同じだったんだ。  ぶっきらぼうだけど根が優しい侑児のことは信頼してたし、恋とかもよくわからなかったし。  だからある日「してみるー?」って軽いノリで試しちゃったのだ。  そして今日彼を呼び出したのは、これについて重大な質問があるから。    侑児はセックスの話題だと知った瞬間から途端に歯切れが悪くなり、しどろもどろになっている。頭をかいて「何だよ突然……お前まさか──」と勝手に先回りしようとするから、「違うから! とりあえず血の量教えて!」と私は喚いた。  正真正銘、侑児の目が点になった。 「は? 血の量って、なんで?」 「参考にするから」 「……意味わかんないんだけど」 「だって先生ってば、私のこと初めてだって誤解してるんだもん」 「は? 誤解? ていうか……え?」  侑児が呆然としたまま、ガン見してくる。その信じられないって言いたそうな顔から、次にくるセリフが簡単に予想できた。   「……お前まだ佐内(さない)とヤッてなかったの!?」  ほらね! 言うと思った! 言われると思った! 「まだだよ!」    負けないくらい声を張り上げると、侑児は「まじか……」と呟いた。急にトーンダウンしたから、私もつられて「まじだよ……」と神妙に答えてしまう。二人で顔を見合わせて、少しだけ吹き出した。  ──そう。  私には、かれこれ一年くらい付き合ってる人がいる。  その人・佐内(はじめ)さんは、私と侑児の通っていた高校の教師で、つまるところ……そういうことだ。高校時代の私の猛アタックが、大学生になってから実を結んだ形。  ただ、いまだ体の関係はなくて、三日後に私が二十歳になった時にしようという約束だけがあった。  私の話を聞いて、侑児は呆然としている。しげしげと見つめられて、恥ずかしいやら何やらで、顔が熱い。それを逃すように私も自分のアイスコーヒーを流し込んでから「いや、これには深い理由があるんだよ!」と返す。 「……なんだよ、言ってみろよ」 「実はね……」  今思い出しても、完全にしくじった。あれは致命的だった。  それは佐内先生と『そういう雰囲気』になった時のことだ。先生があまりにも唐突なタイミングで手を出してきたから、ものすごくびっくりして……ちょっとだけ怯えてしまったのだ。  いや怯えるといっても、震えて泣き出すとかそこまで大袈裟なものじゃなかったけれど。  とりあえず悲鳴はあげたし、体もかたまったし、なんなら逃げ出しそうになったし。  ……ああ、本当に悔やまれる。  あの時の私の反応で、先生は私を『処女』だと勘違いして、なぜだか『二十歳まで待つ』なんて修行僧モードに突入してしまったのだ。あれ以来、キスはしても本当にそれ以上はしてこない。私が実家暮らしでほとんど外泊できないということもあるけれど、先生の忍耐力はものすごかった。  そして私はいまだ先生の誤解をとくことができずに、三日後に誕生日を控えている。 「……で? 何が問題なんだよ。別にお前が久々なのは確かなんだし、素知らぬ顔してヤってこいよ」 「……初めてのフリして?」  侑児は無言でうなずいた。その直後に「ていうか、それ俺に言うなよ……」と頭を抱える。 「いやごめんって。ほんっとこの相談するかギリギリまで迷ったんだけど!」 「頼むから、そこで取り下げる方を選んでくれ」 「だって侑児しか聞ける人いないんだもん! で、血はどのくらい出た?」 「知らねえよ、覚えてねえよ!」 「そうなの!? だってあの後シーツ洗うの大変だったって文句言ってきたじゃん! どれくらい手洗いしたの!?」 「そんなとこは覚えてんのかよ……」  これみよがしに侑児はため息をつくけれど、私としては本当に真剣だ。血の量いかんでは色々と対策を考えているのだから。 「ね、ちょっとついちゃったくらい? それとも、おお、結構出たなくらい?」 「いや……それ聞いてどうするんだよ、マジで」 「血のり買ったから、適量を仕込みたい」 「はあ!?」  お前バカか!? という侑児の反応を受けても、私はめげずに「だって先生にばれたら、絶対大変なことになる……!」と目に力をこめた。私の痛切な思いが伝わったのか、侑児は開きかけた口をつぐんで、ごくりとつばを飲んだ。 「……大変なことってなんだよ……」 「わかんないけど! だって先生すっごい独占欲強いから……」 「それは──まあ、わかるけど」  そう、先生は嫉妬深い。  付き合い始めるまで全然そういうタイプには見えなかったけれど、私が他の男子と関わるとものすごく不機嫌になる。私と侑児がいとこ同士で仲がいいことも、高校時代は全然気にしてなかったようなのに、今はちくちくとクギをさされる。  もしも大学内でこうして二人でお茶をしたことがバレたら、相当ヘソを曲げるだろう。  一瞬だけ背筋が凍ったけれど、今は切迫した状況だし仕方ない。そうやって自分を正当化させていると、侑児は難しい顔をしたまま「まあでも普通にしてればバレないだろ」と肩をすくめた。 「ほんと!? 血が出たかどうかチェックされないかな!?」 「いや、しないだろ、そんなこと……」 「血が出なくても、初めてって信じてもらえるかな……?」 「知らねえよ! そういうのは自己申告制だろうが!」 「ねえ侑児はその後……」 「いねえよ! うるせえな!」  完全に怒らせてしまった。侑児の顔が真っ赤だ。今にも湯気が出そうな感じ。 「……ごめんって」と小さく謝ると、侑児は「アホ」とか色々いいながらアイスコーヒーを飲み干して、また深く沈み込むような息をつく。 「……とにかく、変なこと心配してないで佐内にまかせとけ」  私と先生は、十歳の差がある。セックスの経験だって月とすっぽんなのもわかってる。だから侑児の正論はもうそれはその通りだと思うんだけれど……。  私が黙ったのを気にしたのか、侑児が「──まあ、あれだ」と咳払いをした。  もう普段通りの涼しい表情で、口元だけを緩ませて。 「惚気はもう聞きたくないけど、骨が落ちてたら拾ってやる」  なんだそれ。  私はどんな修羅場へと行く設定なんだか。   それでも、それが侑児なりの激励なのだから、私は笑ってうなずいた。 ◆  結局、侑児から具体的な血の量は聞けなかった。  けれど、ここにきてネットで『初めてでも血がほとんど出ない子もいる』という情報を拾ってきたから一安心。  血のりをどう仕込めばいいか妙案も浮かばなかったから(パンツに仕込んでも途中で脱ぐし、事後にそっとたらすのもかなりの数の奇跡が重ならないと無理そうだ)もう私も覚悟を決めた。  血は出ない。  処女とは言え、血は出ない!  聞かれたらこれでごり押しすることにして、そして三日後の夜、ついに私はその時を迎えようとしていた。  場所は先生の一人暮らしの家。 いつもは居間で過ごしていたから、寝室に入るのは初めてだった。六畳くらいのフローリングの部屋の中には、ベッドがあり、ハンガーラックがあり、机と本棚がある。そこには教師らしい資料がずらりと並んでいて、二年前まで先生と生徒という関係だったことが懐かしい。  授業でわからないことがあるとか口実を作って職員室に通ったこともいい思い出だ。先生は日本史担当なのに、今思うとよくあんなに質問をひねり出せたなぁって思う。 「花実」  先生は本棚を眺めている私の背後に立つと、その手をまわして抱きしめてきた。  お互い風呂上がりでしっとりとした肌触りに、同じボディソープの香りがする。  い、いよいよだ……。  ごくりとつばを飲み込んで、私は体を反転させた。見上げると、目つきの悪い先生の視線がまっすぐに私に向かっている。普段オールバックにしている髪型をおろしているせいで、少し若々しく見えるけれど、もともと先生は人相がいい方ではない。いつも誰かをにらんでいるような目をしているし、体格も良いし、話し方も柄が悪いから、高校ではみんなが恐れていた。  でも、確かに言動は荒っぽいとは思うけれど、長く向き合っていれば先生が案外面倒見が良いタイプということもわかる。そして恋人というポジションになってからは、先生の優しいところも存分に見てきた。  ばっくばくなってる心臓を抑えつつ、私は「先生……あの」と意を決した。 「なんだ?」 「お……お手柔らかに……その……」    みなまで言えずにいる私の頬を、先生がつねってくる。 「いった! 痛いです!」    うそ、今なんか変なこと言った!? 言ってないよね!?  目を白黒させる私に対して、先生は低い声で笑う。とっても楽しそうだ。いや、違う。えーとこれは……舌なめずりしてる感じ?  三白眼が鋭く光って──これはあれだ。  ライオンに睨まれたウサギ。そんな気分。 「安心しろ。痛いのは少しだけだ。……多分」 「……はい……」  痛いのかなぁ、痛いんだろうなぁ。  だって侑児との時なんてもう痛いことしか覚えてないくらいだもんなぁ。あれはお互い興奮してたけど緊張してたし、そもそも挿れる前に何度も失敗したし……。 「おい」  過去を振り返っている間に、先生の眉間にしわが寄っていた。身をかがめて私と視線の高さを合わせるようにしてから「不安かとは思うが、悪いようにはしねえ」と低いバリトンボイスで言ってくる。  そうだ、先生の中で私は処女。  未知なる世界への不安でいっぱい……ってうつっているはず。  不安であること自体は一緒だ。その内容は別として。   「だ、大丈夫です! 先生におまかせします!」  とにもかくにも始めないと始まらない。私は精一杯元気な声で答えて、ほどよい高さにある先生の首元にすがりついた。 「──おう」  がしっと腰に腕が回されて、先生が背中をまっすぐに戻す。簡単に私の体は浮いて、そのまま先生の首にぶらさがった状態でベッドへと運ばれた。どさりとおろされて、すぐさま先生が距離をつめてくる。   「じゃあ始めるぞ」  律儀にそう宣言すると、先生は唇を重ねてきた。先生の案外柔らかい髪の毛がおでこに触って、くすぐったい。はい、という返事は先生の口内に飲み込まれて、私は緊張とともに目を閉じた。
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