【 13 】

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【 13 】

 鄭欣(ていきん)は犬へ目をやったままで、寛承(かんしょう)君にうなずく。 「ああそうだ。(まさ)に」  肯定するかのように、ガっ、とその犬はごく小さく吠えた。近くにいる主人に伝えるための、声量を抑制(よくせい)した吠え方だ。 「カラッシ? 見つけたの?」  そこへ馬の(あら)息と砂利を踏み進む(ひづめ)の音に乗って、犬に呼び掛ける嶺鹿(れいが)烏毛(うぐろ)()と共に姿を見せ、巧みに手綱を操りながら近寄って来た。崩れた土壁の陰で焚き火に照らされる鄭欣と目が合って、 「今晩は、(かみ)()いさん! 追いつけて良かった!」と破顔する。 「ど、どうも……」鄭欣は、思わぬ人物の来訪にたじろいだ。「なぜここに? 」 「お忘れ物があったので、届けに参りました」  音もなく下馬すると、少女は(てのひら)に載せた一粒の透明な石を差し出した。 「お帰りになってから絨毯(じゅうたん)を敷き直す時に、毛足に絡まっているこれを英璉(えいれん)が見つけたのです。きっと、大切な物だと思って」  集光のために(みが)かれた、曲面を持つ水晶だ。  (あわ)てて(かたわら)の壊れた木箱の表面をさらい撫でた鄭欣は、針穴像(しんけつぞう)の小穴が空洞で、何も(はま)っていない事を知った。 「本当だ、抜けている …… それです、この箱から落ちたようだ」 「倒れた時に外れたのね」  少女は広い足どりで鄭欣に近付いて、指につまんだ水晶を手渡した。  揃えた両手で慎重に受け取った鄭欣は、感謝すると共に疑問にも気付く。 「(まこと)にわざわざ、ありがとうございました。それにしても、よくここがおわかりになりましたね。北側からは火が死角になる地勢(ちせい)なのに」  当然のように現れた少女には、人を捜して闇雲(やみくも)()迷った疲れがなかった。全く手間を掛けず、無駄なくこの場所まで来たように見える。 「そんなこと」  嶺鹿は小さく自慢するように微笑(ほほえ)んだ。 「カラッシがいますもの、馬車の匂いを辿(たど)ったのです。あの鼻で雨の中、二百里先まで逃げた羊泥棒を捕まえた事もあるんですよ」  泥棒、という主人の言葉の響きにピクリと反応して、犬の毛が少しづつ逆立っていく。 「あいつ、俺を見てるぞ」 寛承(くん)がひるんだ。「犬が俺だけを見始めた。あー、失礼だが、お嬢さん ─── 」  そう言って焦る寛承君をじっと見定めると、少女は古来からの典礼に従い二歩退がった。 「遼俄(りょうが)族長キエンルイの長女、リェーグァ、と申します」  正対(せいたい)し、鳩尾(みぞおち)に掌を重ねて軽く頭を下げた嶺鹿は、その姿勢を保ったまま地を見つめて、息継ぎをしないまま次の身上(しんじょう)朗々(ろうろう)と名乗り上げる。 「かつて周王より(たまわ)った御言葉により、(きん)(こう)(げっ)()(りょう)()(えん)(てき)の姓名に連なりを許されております、(なんじ)ら一族は、北域(ほくいき)の遼俄なりと」 「あ …… 」  諸侯の礼を()ったのである。 「ええと …… 」  王族であれば、ここは(しか)るべく答礼する必要があった。 「そ、(そう)の、寛承君 …… 周玄(しゅうげん)である」  観念して答えると素早く鄭欣を向き、声なく『なぜ分かったんだ』の動きで口だけをぱくぱくするが、今さらどうしようもない。  一拍置いて顔を上げた少女の瞳が、正解を見出(みいだ)した誇りできらきらと輝いた。 「あなたが寛承君さまなのですね」 「なぜ、君は、その」  「落とし物を見て、最初は、髪結いさんが寛承君さま御本人かと考えました。妹に下さった石もよくよく見れば水晶でしたし、出稼ぎに来た修行中の方としては、お持ち物が高価すぎますから」  焚き火に手をかざして(だん)を取りながら、姫君は記憶を振り返る。 「でもそれだと辻褄(つじつま)が合わないわ。結婚相手がどんな女なのかを見たくて長城の奥からはるばるやって来るくらいに寛承君さまが酔狂(すいきょう)なお(かた)だとしても、ただ私を見る事だけが目的なら、英璉の髪結いを終えたところで帰るのが一番自然です。どうして、幕舎(オルド)()続けなければならなかったのか …… そこが分からないの。考えつくのは、髪結いさんは実は絵描きさんで、連絡がつけやすい所、つまりここで待っている寛承君さまからの指示を細かく受けて、私の顔をできるだけ正確に描こうとしていた …… 、 …… か、それとも ─── 」  そう話しながら移した視界に火明(ほあ)かりを受ける月光(げっこう)(らん)が入った途端、ちょっとだけ得意(とくい)意地悪(いじわる)顔になっていた嶺鹿は、その植物の葉の中にくっきりと写し取られている(おのれ)自身の姿を認めて息を()んだ。 「それとも ——— 」  驚きに見開かれた瞳が、そろそろと植物に近付いていく。緑色の陰影(いんえい)で記録された少女の像は、人の手技(てわざ)とは明らかに異なる精妙さで作り出された、ありのままの記録、もう一人の嶺鹿だった。 「 ——— それとも、思いもよらない …… 、何か別の理由が、あって …… 」  少女の震える指が葉の表面に近付いて(つい)にはほとんど触りかかり、しかし奇跡の受容を恐れるかのような(おび)えを見せて最後はぱっと引き退()いた。  「これは …… ? 」 「あなたです」 「『白緑(はくりょく)写像(しゃぞう)』といいます」 「この服は、私が今日の昼に着ていた踏草衣(ンジャル)だわ」  葉から目を上げた嶺鹿と鄭欣は想いを分かち合うように見つめあった。 「あの時なのね」 「そうです。半分は、事故の影響を未然に防いだあなたの機転によってなし得た成果です。実にお見事な判断でした」  鄭欣の賛辞に、嶺鹿はなぜか反応しなかった。しばらく無言でランの葉に写る自分を凝視していたが、ものすごくゆっくりと首が(かし)げられていく。 「んー。んー、…… 私は …… 、ちょっと、不満」 「ああ確かに、像外縁(がいえん)の一部に余分な着光(ちゃっこう)痕跡(こんせき)が見られます。ですが初期状況の過酷さを考えれば……」  少女の見ているものは全く違っていた。妥協(だきょう)を許さない後悔をにじませて「取っておきの服を着ておけば良かった。だってこれ、普段着なんですもの」と言い(つの)ってから、 「いつかまた私を写してくださる?」  と可愛くも真剣な口調で問いかけた。    ◇ ◇ ◇ 「『写像』にびっくりして後回しになってしまったのですが …… 最後にもうひとつだけ、直接お(たず)ねしなければ知り()ないことがあります」  少しの時が()って衝撃が弱まった頃、ランをより近くで(なが)めるために(ひざ)まづいていた姫君の声が急に一転して、不安と(はじ)らいを帯びた。 「実は、こ、これを聞くために来たのです、長城を(おか)して、私、ここまで」  ああ、そうか。  そういう事だな ─── 少女のいじらしさを見て取った寛承君は、即座に事態を呑み込んだ。  この娘を動かしているのは鄭欣への想いに他ならない。  ほんのごく短い出会いのひと時が、彼女の一生に関わる何かを変えたのだろう …… ごく稀に男女の間を結びつける奇跡が起きたのだ。 麗しいことよ、と友の幸運を密かに祝福する。 「分かります。よく分かりますとも」  鄭欣の返事に熱い情熱がこもった。 「真理の探究は、常に決意と冒険の連続です。あなたには危険を(かえり)みず知識を求める真の勇気と聡明(そうめい)さがある。お会いした時から、僕はそれを確信していました。僕の知る限りの全て、針穴像だけでなく、いかなるコウモリの特徴とその詳細についてもお答えしましょう」  いや分かっていないぞ鄭欣。 お前は女性というものを何も分かっていない …… と寛承君は(かたわ)らの鄭欣を呆れて見やるばかりだ。 「か、かっみ、髪結いさんの、お名前を教えてください」  耳まで真っ赤にした少女は幸いにも極度(きょくど)の緊張()にあって、鄭欣の筋違(すじちが)いな返答がすべては聞き取れなかった()しくは理解できなかったようで、 「どうか、御本名を。ただの髪結いさん、だと …… 心の中でお呼びしにくいのです」と震え声で彼女なりに(おも)いの(たけ)()げると、後は消え入りそうにうつむいた。   
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