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「10時に予約してる安永です」  そう言って受付に保険証と診察券を出しているのは、この俺、安永玲次…ではない。俺の本体は、診察室の入口から一番遠いソファの隅に座っている。  入口をくぐった瞬間から、もう嫌だ。  いや、ちょっと嘘をついた。  朝、起きた瞬間からもう嫌だ。  玄関に一歩足を踏み入れた瞬間に、もう帰りたい。 「あーもう…」  小声でそう呟きながら、龍樹が隣に座る。 「ほんとさぁ、毎回恥ずかしいのは僕なんだからね。いい加減一人で来てくれないかな」 「いいだろ別に。どうせお前暇だろ」 「あのねぇ。お前がここ来てる間に、家の掃除したいし、せめて隣のスーパー行きたいんだよ。わかる?」 「後でいいじゃねぇか」  おわかり頂けただろうか。  生後45年。龍樹が付き添ってくれないと、俺は歯医者に来られない。  俺が診察室に行ってる間も待合室にいてくれるように、高圧的にお願いしてある。高圧的な言い回しをするけど、言ってることは「絶対ここにいてくれ」なので、恥ずかしくなくはない。  恥ずかしくなくはないけど、それより、こんなところに一人で取り残されることの方が恐怖だ。  観覧車と歯医者のどっちかを取れって言われたら、俺はその場を脱走する道を選ぶだろう。 「…情けないなぁ」 「うるせぇ」  自分でも情けないとは思ってるよ。一人で来て、涼しい顔で終わらせて、何事もなかったように帰れたらカッコイイと思うよ。  それは人並みって言うんだ、って龍樹には言われたけど。  ここに初めて来た時は、スタッフの女性陣が俺を代わる代わる見に来て、「カッコイイ」とか言ってくれてんのも聞こえてた。でも、毎度毎度必ず龍樹が付き添って来て、龍樹が受付して、龍樹が待ってるのに気付かれた後は「カッコイイ」って声が1ミリたりとも聞こえなくなった。  カッコ悪いか…。  最早、彼女達の視線は王子様じゃなくて残念キャラを見る目になっている。  予約をすっぽかさずに来てることだけは、評価してくれ。 「お前は次いつだよ」 「僕? こないだ終わったばっかじゃん」  龍樹も一緒に定期検診に来てたんだけど、こいつだけ何事もなく毎回一回で終わる。こいつの方が歯並び悪いのに。  俺は何だかんだと一回では済まなくて、最近は1ヶ月単位で検診の時期がズレちまった。それも文句を言われる原因だ。同じサイクルなら龍樹はこんなにしょっちゅう来なくて済むのに、ズレてるから来なくていいはずの龍樹まで来る羽目になってる。 「…だな」 「でも、今回は虫歯じゃないんだろ?」 「まあな」 「じゃあいいじゃん。削られるわけじゃないんだし」  心底治療は嫌だ。嫌なのに、毎回小さいのを発見されたり、歯が欠けてたり、詰め物が取れてたりする。
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