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――んなこと言われてもさあ。だから“神隠しが頻発する”廃屋について調べて来いって言われても。なにも起きなかったらそれこそ無駄足じゃないの……。
それに、廃屋と一言で言っても、どこかしらに所有者は存在しているはずで。近隣住民などに見つかったら、不法侵入で通報されかねないのではないだろうか。
確かにこの仕事は、法律ギリギリに触れなければいけないことも少なくない。それこそストーカーだと喚かれようがなんだろうが、報道の自由を盾にして“密着取材”を続けなければいけないケースも少なくないからだ。特に、凋落を続ける週刊千秋を立て直すためには、今まで以上に“バレないように危ない橋”を渡る必要があるのも事実なのだろう。
だが、今まで芸能人のゴシップばかり追ってきた雑誌で、いきなりオカルトっぽい話題を持ってきても。果たして、今までの購買層はついてきてくれるのだろうか。彼らが見たいのは死んだ人間のきな臭い噂や都市伝説ではなく、生きている人間の恥や秘密の類であるはずだというのに。
――まあ、これも仕事と割り切るしかないわね。売れなかったら、ネタ持ち込んで私に押し付けた編集長の責任よ。私のせいじゃないもの。
どこの地域でもままあることだが。G県N市N地区もまた、駅から離れるほど店も人も少なくなり、昼間だというのに寂れた住宅地が広がるばかりとなっていた。マンションよりも、古い木造の一戸建てが多い。中には明らかに崩れかけていて、人が住んでいる気配が微塵もない家も少なからずある。
空家問題に悩まされているのは、この近隣も同じということなのだろう。人が住まなくなった家が、そのまま放置されてしまう現象。解体するのにもお金がかかるので、土地もなにもかも手付かずにしてしまう地主が少なくないのだとか。あるいは相続でうやむやになり、結局誰の土地なのかもわからなくなってしまって強制執行を待つばかりになってしまうケースもあると聞く。
人が住む家は、多少ボロくなっていても温かみがある。住まなくなった途端、まるで魂が抜けたように朽ちてしまうケースは少なくない。それはただ、手入れする人間がいなくなるから、というだけではないのかもしれなかった。目に見えない魂やら活気やら、そういうものを信じる質でもないのだけれど。
――このへん、家が密集しすぎてるし番地の境目わかりにくいし……困るわね、ほんと。ていうか人が住んでいる家じゃないから、表札も出てないし。“昔高村さんって人が住んでた三番地”ってどこよ、馬鹿編集長。
これは、聞き込みをするしかないかもしれない。じんわりした初夏の日差しに、湧き出す汗を時折ハンカチで拭いながら。私は近くの一戸建ての前で、花壇に水をやっていたお年寄りに声をかけることにした。
「あのーすみません。ちょっとお尋ねしたいんですけど!」
カメラを首に下げた、三十過ぎの女。記者か、あるいは何かの職員、というのは向こうも見ればすぐ分かることだろう。こういう時、女という自分の性別は多少便利に働く。見目も悪くない自信があるから尚更そうだ。年配の男性なんぞは、それだけで油断してペラペラといろんなことを話してくれることが少なくないからである。
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