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12.懺悔
12.懺悔
男の家は未知の空間だ。
10疊程のリビングに革張りの白いソファーがあり、その前に50インチのテレビがある。落ち着きがあり、整頓された部屋だ。
妻は、写真を取り出して私に見せ、楽しかった思い出を聞かせた。
子供の幼稚園のビデオを見せた。
テレビ画面の中で男が笑っている。
私は、この男と家族の生活を奪ってしまったのかと思い瞳が潤んだ。
妻は、私の涙に「何か思い出した?」と、表情が明るくなった。
「……いや」
妻の明るい声に罪の重さを知った。私の目は真っ赤になっていた。
「そう……」
妻は、悲しそうに視線を逸らした。
妻は、料理を出した。
私は反応に困った。きっと男が好きっだった料理に違いない。記念の料理かもしれない。だから、適当なことを言ってはいけないと思った。
思い出したと言えば話が膨らみ話のつじつまが合わなくなる。
寝室はシングルベッドが二つだった。妻と肌を合わせれば別人だとわかってしまう。私は、体調が悪いと言って妻に触れることはなかった。
会社に復帰することになり、若い社員が私を迎えに来た。
電車に乗ると、社員が、「まだ何も思い出せないのですか?」と不思議そうに聞いた。
私は目の前の社員にああ」とだけ答えた。慎重に対応しないといけないと思った。ちょっとした仕草で別人だとわかるに違いないからだ。
会社に着いた。
なぜか懐かしい妙な気分だった。下見をしていたからかもしれない。
役職は課長だった。
部下から拍手で迎えられた。だが、全く面識のない人たちの前で、どう挨拶していいかわからない。私は自動車事故で何も覚えていないことになっているが、仕草や話し方まで変わることはない。そこで、事故で顎を痛めてうまく話せないと釈明してから、短く挨拶した。それでも、社員たちの顔は私の異変に気づいているようだった。
問題は机に座ってからだ。パソコンが使えない。パスワードがわからないからパソコンが立ち上がらない。机の中を探したが、パスワードを書いたようなメモはなかった。免許証から、推測してパスワードを入れてもダメ。すると、総務のIT担当が助けに来た。
「課長、パソコンが使えないのでは仕事にならないですね」
IT担当の社員は別のパソコンを持ってきて机に置いた。
机には新旧2台のパソコンが並んだ。
IT担当の社員はLANケーブルを新しいパソコンにつなぐと各種設定をしてくれた。
1台は私が殺した男の記憶が残っている。死んだ男をパソコンになって私を睨んでいるような気がした。
「課長、記憶が戻ったら、古いパソコンにLANケーブルを差し替えて再立ち上げしてください」
IT担当の社員が言った。手際のよさに天才かと思ったが、パソコンがフリーズ(固まって動かなくなる)したり、ハードディスクが壊れることがあるのだという。
「慣れですよ」
IT担当の社員は簡単に言ってのけた。
私は総務の担当から午前に会社のレクチャーを受け、午後は課の係長から業務の進行状況の説明を受けた。とりあえず、大まかな仕事の内容は理解できた。
社員が相談に来ると、社員の考えを聞いて、それでいいと答えた。
案を持参した場合は、利益の高い案を進めるように指示した。
「課長、ちょっと変わった?」社員達が子声で話すのが聞こえてきた。
私は会社をクビになってわかったことがある。
私は仕事ができたというのは間違いだった。
仕事は肩書でしてきたにすぎない。
肩書があったから、相手は話を聞こうとし、部下は指示に従ったのだと。
だから、課長の仕事もそのうち慣れるはずだと思った。
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