8.殺意

1/1
前へ
/18ページ
次へ

8.殺意

8.殺意  その晩、私は男と入れ替わった夢を見た。  美しい妻子に囲まれ、楽しい夕食を食べている夢だった。  目を覚ました私は、男の家に行き、奥さんと子供を見たので夢を見たのだと思った。  男と入れ替わることはできないと思った。容姿が似ていても、妻子や会社の仲間にばれるに決まっている。簡単な仕草、例えばお茶を飲む動作、話し方や、声音、どれも違うのだと思った。なりすましなど映画の世界の話だと思った。そもそも、私に男を殺すことなどできないと思った。    翌日から、私は、スマートフォンでバイトを決めると働いた。男のことは考えないように努めた。毎日汗を流し、疲れてダンボール小屋に戻って、ビールを飲んで寝る。今までの日常が戻ってきた。ブルーシートを跳ねのけ、夜空を見ると南東の風が顔にあたり心地よいことに気づいた。男のことは忘れることができたと思った。  ところが、2週間後、私は男に会ってしまった。  バイトが早く終わり、午後3時頃だった。JRに乗ると、男が乗っていたのだ。打ち合わせの移動中なのかもしれない。  こんな偶然があるのか? なぜ、また会ったのか? 私は、男に早く降りてほしいと思う心と、男をもっと見ていたいという妙な興奮に包まれていた。男が電車を降りて、視界から消えると興奮は収まった。  私はダンボール小屋に戻る前にコンビニで弁当と缶ビールをいつもより余分に買った。妙な考えが浮かんだら、飲んで寝てしまおうと思ったからだ。  ダンボール小屋に戻ると、弁当を食べたが、味がよくわからない。頭の中は男の事で一杯だったからだ。一度は犯罪など無縁だと自分に言い聞かせた。ところが、相手が私の前に現れた。まるで私に挑んでいるように思えた。  その晩、私はまた、男と入れ替わった夢を見て夜中に目を覚ました。ブルーシートを跳ねのけ夜空を見上げた。昼間、男と再会した時の興奮に襲われた。  電車の中でいろいろ考えたことを思い出した。  男と入れ替わることはできない。容姿が似ていても、妻子、会社の仲間にばれるに決まっている。簡単な仕草、例えばお茶を飲む動作、話し方や、声音、どれも違うのだ。なりすましは映画の世界の話だと思った。そう思って、同じことを2週間前に自分に言い聞かせていたことを思い出した。  不思議な感覚だった。今度は心の制御が働かない。男を殺しても、いい生活をしたい、そんな欲望が心の中でずっと燃え続けていたのだと思った。  その時、敷布代わりに敷いていた古新聞の記事を思い出した。 『交通事故死、年六千人を割る』  車に轢かれて一時的に、記憶がない事にすればどうか? 入れ替わることはできるかもしれないと思った。都合の良い話だと思った。そんなことができるなら、今までだって、同じような事件が起きているはずではないか? だが、似ている人間を殺して入れ替わった話など聞いたことがない。小説ならある。『犬神家の一族』は映画にもなった。しかし、スマートフォンで検索してみても、そんな事件はなかった。    それでも、私の妄想は膨らんだ。  二人は双子のように似ている。右顎のアザもそっくりだ。だから入れ替わりは可能だ。  なぜ、人はなぜ罪を犯さないのか? 道で100円玉を見つけても警察に届ける者はいないだろう。100万円の入ったカバンを拾ったら、誰でもカバンを届けるに違いない。誰かが無くしたことを警察に届けていて、捕まると思うからだ。罪の意識は、捕まるか、捕まらないかで、大きく作用されるのだと思った。  もし捕まらないなら犯行は可能ではないか?   記憶喪失を装って、本当に家族や会社の者に別人と見破られないか?  私は、インターネットで、事故にあって、記憶をなくし、そのため、仕草や動作、性格まで変わった事例がないか探した。  そんな事例はいくらでもあり、記憶障害は短期で回復しない場合もあることも分かった。  私の場合は自分に入れ替わるだけだから完全犯罪だと思った。  しかし、『男を殺そう!』明確に殺意を意識すると、初めて心が折れた。今までは男と入れ替わる犯行を妄想していたにすぎない。しかし、ゲームの中で相手を銃撃したり、刀で殺したりするのとわけが違う。死ぬか生きるかの戦いであり、負ければ一生獄中で暮らすか、逆に命を失うのだ。  ダンボール小屋は隅田川の10メートルのテラスの防潮堤側にある。防潮堤の壁が刑務所の壁のように見えた。  しかし、それでも心の暴走は止まらない。 男の家を突き止めた時、男を出迎えた奥さんと娘さんは幸せに見えなかった 事を思い出したのだ。奥さんも子供も、おどおどした感じだった。もしかしたら、家庭内暴力があったのではないか? 私は妻子が不幸だと思う事で自分の殺意を正当化しようとした。  私は再び寝ることはできなかった。まだ3時だったが、犯行を考え続けた。朝日が上がる頃、私は、男の帰宅途中に、男が近道をした公園の中で、ハンマーで男の頭を打撃し、公園に隠すことを決めた。    私は、ハンマーとスコップを購入した。公園に行き男が公園をショートカットした道をたどった。どこなら男を隠せるか調べるためだ。あまり人が通らない所で、発見されにくい場所。私は、怪しまれないようにするため、背筋を伸ばし目だけを左右にふって場所を探した。  高さ1メートル位の茂みがあり、柵がある所を見つけると、公園を後にした。  深夜に、公園に戻ると、幅50センチ長さ180センチ、深さ60センチの穴を掘った。深夜とは言え長時間は危険だ。私は4日かけて穴を掘り、中にスコップを入れると、その上にシートを敷き上から土をかけた。
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加