81人が本棚に入れています
本棚に追加
6.
燃える森。八重と紅鳶が始めに戦った場所。
火の粉が舞い、視界を奪う白煙が立ち込め、あっという間にその領域を広げていく。
為す術もなく森が燃え尽きる。かのように思われた。
急に灰色の雲が空を覆い、日が陰る。
雫が一滴と、雨の匂いが風に乗ってやって来る。
と、思った瞬間、激しい突風が森を吹き抜ける。
木の枝がしなり、弱い木の葉は全て吹き飛ぶ。それが止むと、今度は水をひっくり返したかのような土砂降りの雨になる。
しかし、その雨も数分で止み、何事も無かったかのように太陽が顔を出す。
その荒々しい天候の変化によって火は完全に消えていた。
「……ったく、こんな何もない場所で山火事起こしゃーがって。
鬼神様はこの通りお怒りだぜ?」
変声期を終えたばかりの少年の声。
その声の主は木の上にいる人型の何かだった。太い枝の上で足を広げて寝そべっている。
***
煙の立ち込める森の中を馬が全力疾走する。
そこには八重と珠が乗っている。
八重は珠を庇うように膝の間に座らせている。肩に峰を担ぐようにして大太刀を片手持ちし、険しい顔で後ろを振り返る。
後ろからは鬼形態に変化した紅鳶が追いかけて来る。
体長は人間の3倍近くあり、筋骨隆々な四肢と虎のような体毛があった。
丈夫な四肢が力強く地面を蹴り、森の木を薙ぎ倒しながら跳躍する。
「やっぱり駄目だよ!八重ねえ!
相手がアイツじゃ!」
珠が叫ぶ。
「大丈夫、絶対助ける……!」
八重は穏やかな声で囁く。
今度は怒りではなく、守りたいという闘志が彼女の瞳と髪を発光させる。
(都のいろは達の援助も直ぐには期待出来ない。鷹で文を送る間もない。)
そうこうしている間に、馬は深い谷に差し掛かる。
断崖絶壁に縄の吊り橋がかかっているのが見える。
「いい、珠ちゃん?
この先の山道を道なりに。後はこの子が都の五暁院まで連れて行ってくれるわ。」
八重はそう珠に手綱を握らせると、馬から跳び下りる。
「八重ねえ?!」
吊り橋の入り口で、八重は迫る紅鳶を見据えて構える。
そして、馬が吊り橋を渡り終わるのを横目で見届けると、縄を斬って橋を落とした。
珠は後ろを振り返る。
八重と紅鳶の姿は森の茂みに隠され、既に見えなくなっていた。
(八重ねえ、怪我してるのに……!
いくら強くても死んじゃうよお……!)
珠は手綱をギュッと握った。
しかし、嘆いたのも束の間。
耳に、鼻に、背筋に、角と角の間に、「何か」を感じ取る。
(この感じは……!)
珠は馬を別の経路に走らせる。
森を抜け、開けた場所に出る。
日に反射してキラキラと輝く水面。
その河原の岩場に佇む、クセ毛で黒髪の少年鬼。
二人の鬼に、他の余計な情報は入らない。
珠はその少年の栗色と黄金の左右非対称な瞳の色を、少年は珠の瞳だけを見つめた。
「お前、鬼か?」
夜光は閉じ気味の瞼を少しだけ開き、静かに構える。
「て、何だガキじゃねえか。とっとと穴にでも帰んな。ぺっ!」
カムナが舌を出して挑発する。
珠は夜光から視線を外さず馬から降りる。
「……微かだけど、父上の、酒呑童子の匂い!
お主が、わらわの『兄上』……?」
「酒呑童子……!おいガキ、何故それを?!
それに、あ、『兄』だあ?すると、おめえ……んぐもっ!」
夜光はカムナの口を塞ぎ、言葉を遮る。
「俺は、お前なんて知らない……。」
「今は、それでもいい!力を貸して欲しいのじゃ!
兄上は強いって父上が言ってた……!」
「……俺は人間しか助けない。」
ずっと睨み付ける夜光。珠は嘆願する。
「お願い、八重ねえを助けて!!怪我をしてて、人鬼と戦ってるの!」
夜光はその名前に反応し、態度を改める。
「……八重?
そいつ、髪が長くて、デカい刀を持っているか?」
「う、うん!知ってるの?!」
「何処にいる……?!」
「この川のずっと上流!」
夜光は直ぐに黒い鬼に変化した。
光沢のある黒い体が輝き、雲のような銀の髪が揺らめく。
カムナは白い髪を肩に巻いて携帯する。
(黒いし、他の変化した鬼より小さい。
でも、照りがあって綺麗……。)
珠はその姿に暫し見惚れていたが、我に返る。
「八重ねえが心配なの、わらわも連れてって!」
「おいおい、ガキのお守りなんて……、んもげっ!」
夜光はまたカムナの口を塞ぐ。
「じっとしてるならいい。捕まってろ……。」
夜光は珠を小脇に抱える。
そして、川の水面に出ている岩肌を蹴って、どんどん上流に登る。
(これが兄上……。父上と匂いが似ている。)
珠は夜光の顔を盗み見る。
夜光もまた、脇腹から伝わる珠の温もりに思いを巡らせた。
(兄だの妹だのよく分からないが……、こいつの言うことが本当なら、俺の親父の事を聞き出せるかもしれない。)
最初のコメントを投稿しよう!