9話/鉄籠の鬼

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8.  遠くの山に稲光が見える。  そして閃光に遅れて聞こえる雷鳴。  大江曽城の門外から少し行った所にある、ススキが群れる野原。  秋風に吹かれながら横並びに陣を組む朱天鬼とその人鬼の精鋭達。  赤鐘、東雲、大志摩、万耀、紅鳶、その他。両端には茜が操る岳鬼も跪いて控える。  彼らが静かに殺気を抑えて睨んでいるのは青鬼だ。  ススキを倒しながら肩を揺らしてのしのしとやって来る蒼。  一歩前に出る赤鐘。  にこやかな顔と美しい所作で一礼する。  「どうも数日ぶりですね。正直もうお会いしたくなかったですけど。  ここに来るまで下鬼どころか働き盛りの貴重な若い天鬼までやってくれたようで……。」  笑っているが、声に皮肉がこもっている。  「黒髪の娘を返せ……!」  歩みを止めない蒼。  赤鐘にどんどん接近するので、後ろの天鬼達は瞳孔を細くして殺気を高める。いつ一斉に飛び出してもおかしくない。  「ってことは、貴方はやはり角狩のお仲間ですか?  頼光さんがこんなお友達を隠してたなんて。もー、見誤ってましたよ。」  普段は笑って表に出さないようにしている赤鐘だが、昨今の計画の遅れや邪魔に相当イライラしているようだ。  「角狩は関係ない……。  俺の意志でその娘を助けたいだけだ。  渡してくれるなら無闇に戦わない。だが拒むなら殺す。」  舌打ちする音。赤鐘からだ。  笑い顔がひきつっている。  「……あんた、馬鹿ですか?  ここまで喧嘩売って散々やらかしてくれた後に、私達が素直に要求を聞くと思ってるんですか?煽ってるんですか?  そりゃ、もう一択ですよ。    だから……ここで死ねや。このクソ青鬼……!」  赤鐘は手の甲に光る赤い鱗模様を浮かび上がらせる。また、彼の足元の影はマグマのようにドロドロと渦巻いていた。  赤鐘の気迫に感化され、東雲や大志摩達も野次を飛ばして仕掛けようとする。  その時、「待て」と下腹の奥まで響く怒号が響く。  元実だった。上半身裸の軽装に着替え、怪我などしてないかのような素振りで堂々と歩み寄る。  「誰がまた束になってかかれと言った。  醜態を重ねて他の赤鬼達を笑い死にさせる気か?  私が方を付ける。下がれ。」  すぐに陣を解いて道を開け、跪く赤鐘と天鬼達。  (元実様……。来るとは思いましたけど、道連れで倒して一族の体裁を保とうなんて考えてないでしょうね……?  嫌ですよ……。そんな興ざめなやり方で死なれては困ります。)  首を垂れながら背中に鋭い視線を送る赤鐘。  赤鐘の視線を察し、一瞬だけ彼を見る。  「変化などいらん……。  今度はこの姿だけで十分だ。」  元実は胸や腕に巻いた包帯を片手で破き、毟り取って風に流す。  緋寒と同じく、傷口が霜のような組織で覆われていた。  「……いいだろう。  どの道お前は『娘の為』に殺める予定だった。」  蒼は自分から拳を構えた。  今度こそ開始か、と思われたその時。  「父上!!お待ちを!」    声がした方向。城の最上階から滑空してくる髪の長い、変化した天鬼。  夜空を背に、月から来た天女のような美しさと、朱色と角の禍々しさが混在する。  空気や翼を使わず、何の前触れも無く飛べる程の鬼というのは相当な妖力に溢れている強い個体だけであり、そんな鬼は天鬼でも一握りだ。    「あれは……陽光様?!」  大志摩が叫ぶ。    ただ黙って息子を見守る元実。   思わぬ幸運に袖の下でニヤリと笑う赤鐘。  陽光は髪の毛全てに妖力を巡らせて浮遊し、蒼を目掛けてやって来る。  八重を横抱きにしていた。  彼女は寝巻き姿で気絶し、髪は群青色のままだった。    一方、八重の匂いを辿って山道を駆けるいろは。  蒼達のいる地点まで後もう少しの所に迫っていた。  傷を自然回復させながら、いろはの背にしがみついている夜光。   「ここへ来るまで鬼の死体ばかりだ……。  獄鬼とか雑魚だけじゃなく強そうな天鬼まで死んでいる……!  それに俺達の向かう先に別の鬼の匂い……。そいつが全部やったのか?」  「少し黙ってろ……!」  顔をしかめるいろは。  八重をさらった本人への怒りとは別の怒りが、彼の走りを速くした。  ふと、気配を感じて空を見上げる夜光。    「あれは……、陽光!!八重!  八重は気絶してるのか?何をしたんだ……?!」    上空の陽光と目が合う。  グッタリとした八重の姿と彼の冷ややかな眼差しに、夜光の中で怒りとそんな筈無いと言う否定が渦巻く。彼の中でまた一つ崩れて欲しくない何かが崩れる。  陽光はゆっくり高度を下げて地面に着陸しようとする。  その背後から、雷火を散らして走り迫る蒼。  背後から雷の拳を打つ蒼。  殺気を読んで間一髪で避ける陽光。髪を揺らして優雅に舞い、地面に着地する。  蒼の殺気で内心震えているが、落ち着いて八重を地面に寝かせる。  「さあ、起きて帰るんだ……。」  陽光が彼女の両こめかみを軽く撫でる。  横から腕を伸ばして八重を奪い返す蒼。  下がって様子を見る陽光。  蒼は八重を胸に抱き、安心したように表情を緩ませる。  その時、八重は開眼した。  皺が寄るほど目を大きく見開き、瞳は色濃く金色になる。その目は蒼を認識していなかった。  蒼は異変を察するが、時は既に遅く、八重は彼の首に齧りついていた。  鮮血が彼女の着物に飛び散ってシミになる。    「八重ーー!!」  やっと追い付き、八重の姿を捉える夜光といろは。  そして、その異様な光景に混乱する。  彼女は大柄な青鬼を投げ飛ばして来た。  「なっ!?」  蒼とぶつかるいろは。いろはの背から投げ出される夜光。  「ぃああ……ぁあああああああーーっ!!!」  八重は苦しそうに唸った後、髪を振り乱しながら腰を後ろに反らし、血涙を流して吠える。  細くなめらかだった四肢から筋肉が盛り上がり、着物の帯や裾や襟を破ってはだけさせる。筋肉が通常では有り得ない太さまで膨張し、それに神経が圧迫されて全身に激痛が走っているのだ。  頬や手足、素肌の一部が、変化した鬼のように硬化していく。  最後にこめかみの肉を裂きながら小さな角が二つ生える。  「八重が……鬼に変化しかけている?!」  「いや、浄化の血の影響でできるはずねえ!  まさか……その力が上手く働いてない、もしくは暴走してるのか?!」  八重は仰向けの蒼の胴に跨って、体をかじったり顔を殴ったりして攻撃を仕掛ける。  蒼は血だらけになりながら、目を瞑って一切抵抗しない。  痛みに呻くが、何処かそれを望んでるかのような、捨て鉢になったような表情だった。  「すまぬ……。すまぬ……。」  夜光は蒼を見て閃く。  (あの青鬼の匂い……やっぱ八重に似てる……!  道中もまさかと思ったけど……。)  「八重!止めろ!」  夜光は八重を羽交い締めにする。暴れる八重。  「あああっぅあああっ!!!」  「あれはお前の親父だ……!お前が会いたいって言った親父だ!  殺すな!!」  彼女が暴れる度に回復中の傷が裂けて痛みが出てもそれを堪える。  八重は夜光の鬱陶しさに堪らず彼を押し倒す。  (今度は俺が……肩が千切れても止めてやる……!!)  夜光は噛まれる覚悟で自ら八重を抱き締めて動きを止めた。  八重は夜光の肩に歯を当てる。  だが、歯の先を当てた所で止まり、ブルブルと震える。  目の色が元に戻りかけていた。  そこにいろはも加わる。二瀬渓谷の戦いで掛けられた呪縛のせいで地面に這いつくばってしまうのを堪えながら進む。  「八重!お前だけは完全にそっち(鬼)になるな!それだけは俺は……俺は……許せねえ……っ!」  怒りが入り混じった泣きそうな声。  八重は体の暴走に抵抗しながら、どうにか夜光の肩から歯を離した。  全身の筋肉が萎み、角が引っ込む。  八重は二人の頭を同時に抱き寄せた。  「いろは……夜光……大丈夫?  私、自分でも何が起きたのか分からなくて……!」  「気にするな……。こっちこそ遅くなって悪かった……。」  いろはは八重の濡れた頬を舐める。  「俺達が川に落ちた後、いろははずっと飲まず食わずでお前を探してここまで走ってくれた。」  夜光は代わりに彼の事を話してやる。  八重は直ぐに手の平でいろはの顔の汚れを拭ってやる。   「こんなになるまで……ごめんね。」  いろはは安堵したように目を細め、彼女の裸体を温めるように尻尾で包んでやる。  「お前が無事ならそれでいい……。」  「苦しかったよね。命令、解いてあげるね……。」  八重はいろはの首の巻き毛から紫色の小さな巾着・封印の呪具を取り出し、呪縛を解いてやる。  3人でほっとしたのも束の間。  「んっ……!!」  急に力が抜けたかのように、いろはに身を預けて動かなくなる八重。  「八重!どうした?!  しっかりしろ!」  声を掛けても反応が無い。  「息が弱い……!胸の音も弱すぎる……!」  ***  一方、陽光は城に帰還していた。  変化を解いた所に、赤鐘が声を掛ける。  「細かい突っ込み所は色々有りますが、まあ良しとしましょう。  カラクリを詳しく聞かせていただけますか?」  陽光は浮かない顔で語り出す。  「巫女様から知恵を借りて、あの娘の能力を失わせたんです。  叔父上(緋寒)が浄化の毒を抜く治療に使っている『穢れの間』にあの子を入れて、わざと浄化をさせて……。  あそこは人間にとっては正気を失い精神を壊す程の濃い邪気に満ちている。  あの子の体はその濃い邪気を浄化する為に、通常よりも体力を消耗しながら防衛反応を起こし、その力の働かせ過ぎで浄化能力と身体を壊したんです。  その結果、あの子の鬼の部分を抑えていた力が無くなり、あの様になったのです。」  「成る程。これであの角無しの女子さんは鬼を殺す事が出来なくなると言う事ですね。  おまけに、あんな暴走状態になってくれて青鬼を後退させてくれたと。   あの角無しさん、娘なんですって?あの青鬼の?だから、反撃しなかったんですね。」  ああ、と深くは語らない陽光。  「でも即興過ぎて、策……とは言い難いですね。  まあ、近くで隠れていた他部族の間者さん達には、陽光様が一人出て行って青鬼を追い返して城に帰ったと言う風に見えたようですからね。表面的には。 結果、全て良し。大恥を重ねなくて済んだという事です。」  最後に、と赤鐘。  「元実様には悪いですけど、元実様があのまま戦っていたら……、私にもちょっと結果が分からなかったので本当に助かりました。  今後も楽しみにしてますよ。」  赤鐘が微笑んで会釈し感謝の気持ちを表しても、陽光の表情は晴れなかった。  (私は夜光の大切なものを壊した……。私が赭を失った時のような悲しみを与えてしまった……。    しかし、余計な物は全部殺して捨てて、強くならなければならない。 これでいいんだ……。これで。)  自分を見上げていた夜光の軽蔑の表情を思い出し、拳を握りしめる。
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