9話/鉄籠の鬼

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両者、同時に動く。    三ツ葉はいきなり白い丸薬を投げた。  難なく避ける東雲。  丸薬は地面に落ちて割れ、白い煙幕が広がった。  顔をしかめる東雲。  「……んくっ!またこの嫌な匂い……!」  この丸薬は『鰯団子』と言う鰯粉末や発酵した物を混ぜた投擲武器だ。強い刺激臭で鬼の鼻を効かなくする効果がある。  三ツ葉は毒避けの布で口を覆いその煙幕を馬で突っ切った。  東雲も怯まず追う。  「嗅覚を潰したぐらいで振り切れると思ってるの?」    東雲は跳んで回し蹴りを放つ。  踵から旗のような炎が伸びて揺めき、足の軌道が円を描く。火の粉が旋風の中の花弁のように舞う。  日食の金環のような輝きが見えた瞬間、走っていた馬が細切れの肉塊と血の土砂降りに変わる。ジュウッと肉が焼ける音もし、それは湯気になった。  三ツ葉は先に飛び降りたので辛うじて平気だった。  しかし、前の宮比の蹴りのせいで腹に力が入らないので、立つのに時間がかかる。そこに失血も手伝っていた。  そこへ東雲の脳天からの踵落としーー。  「今度こそ……!死ね!!!」  だが、バチバチッという音と共に、東雲の視界が白い閃光に包まれる。  マグネシウム入りの丸薬、閃光弾だった。  咄嗟に投げつけた無数のそれが、東雲の踵の火の粉に反応したのである。  夜目の利く鬼は、急な強い光には弱い。  東雲は技を外すが、音を頼りに両足を踏み込む。  「これぐらいで……!」  馬での機動力を失い、今度こそ三ツ葉に避ける術は無い。  だが、彼はニヤッと笑った。  キィーッ!  金属同士で思い切り引っ掻いたような音が響く。  東雲の飛び蹴りは三ツ葉から逸れ、代わりに周辺の木、十数本を粉々にした。  見ると、馬に乗った宮比が極楽琴を構えていた。糸が切れて、どうにか正気に戻ったのだ。  「師匠!!」  「三ツ葉、早く!!」  不快な音が東雲の脳をかき混ぜる。盲目な分、より頭に音が響く。  這いつくばって嘔吐しながら、苦し紛れに頭を地面にぶつける。   「ぁあっ!ヴァァアッッッ!!」    「テメエとの再戦の為に何度も策を練った……!そして最後の決め手に迷ったが、武石共のお陰で解決したぜ!」  三ツ葉は火打ち石で指程短い縄2本の先端に火を付け、それらを葉巻のように咥えた。  そして、背中に装備していた何かを取り出し、風呂敷をひん剥く。  出てきたのは重々しく長細い鉄塊。  火縄銃だった。  こちらは通常より銃身が短く設計され、射程は短いもののその威力は凄まじく、鎧を貫通させる。それは鬼の硬い皮膚でさえ例外では無い。  1本の火縄を付けて火蓋を開く。玉は装填済みだ。  銃口を向ける三ツ葉。  東雲は相手の殺意を察した。  そして、徐に自分の両耳の穴に、それぞれ両手の親指を突き刺す。  彼女は極楽琴に対抗すべく、自ら聴覚を破壊したのだ。  (目も耳も匂いも失って、その程度が何だというの……?  私には……気配と、あの方が一度命じた言葉だけあれば十分!!)    「これで終いだ!!」  引き金が引かれ、火蓋を切ると同時に轟く発砲音。  飛び込む東雲。  窮地で研ぎ澄まされた東雲には心で弾道が見えた。  鉄の玉を避け、渾身の膝蹴りを放つ。  骨を砕き、筋繊維を破る手応え。  だが、それは三ツ葉ではなく宮比だった。  馬で特攻し、彼を庇ったのだ。  宮比は不敵な笑みを浮かべる。  「……神仏に見放されてもな、命掛けて譲らぬものくらい……!」  馬と宮比の左半身が粉々に吹き飛んだ。三ツ葉の銃もだった。  三ツ葉は地面に投げ出される。  四つん這いの彼に東雲の影が落ちる。  空中前転から両足踵落としが来ていた。  「じゃあね……。」  嘲笑う三ツ葉。  「お前がな!」  発泡音と、硬い物が破裂し肉が飛び散った音。  東雲は三ツ葉の目と鼻の先で蹲った。  腹に大穴が空いており、血が垂れ流されて大地に大きな池が出来る。  見ると、三ツ葉は火縄銃を構えていた。銃口から白煙が流れている。  実は銃は2丁あった。  地面に投げ出された際、隠していたもう1丁に、咥えていた残りの火縄を付けて彼女を撃ち抜いたのだ。  「玉の装填に時間のかかるこの武器は、装填済みのを2丁以上で交互の使用が基本……。  どうだクソ鬼、朱矢より美味いか?至近距離じゃその硬い皮膚で防ぎきれなかっただろう?」  返事の代わりに、胃に逆流した血を吐き出す東雲。  鬼とはいえ、重要な臓器の破壊と多量の失血があれば再生は不可能だ。  三ツ葉は東雲に鳳凰札を貼り付け、完全に動けなくさせる。  「前に戦った時は刀で首を切れなかったからなぁ……!」  可笑しそうに笑いながら、腰の装備品から小型の斧を取り出す。  そして斧を振り上げ、東雲の後ろ首をガンガンと叩き始めた。  じわじわと死が迫る孤独の中、東雲は無表情で呻き声一つ上げなかった。  彼女の中にあるのは元実への懺悔だけだった。  彼と出会った時の事を思い出す。  ーー私は何処で生まれたかも親も分からない孤児だった。  唯一仲良しの姉がいて一緒に何処かの里に招かれて、訓練を積んで忍になった。  そこで覚えたのは『感情なんて邪魔』だって事と『命令』は絶対だと言う事。  とある任務で、感情で動いてしまった私の失敗のせいで最愛の姉は敵に惨殺された。その苦い経験が、私に骨の芯までそれを覚えさせた。  姉を失った後、私は仕える主の命令なら何でもした。  嫌な事でも、汚い事でも。二度と傷付かない為に。  『嫌』とか『悲しい』とかいう感情は考えないようにした。  だって、私的な感情なんてあるから失敗をする。邪魔なだけ。  無い方が的確な判断ができる。  だから、主が調査で私一人を赤鬼の住処に送り込んで、それは無謀な策だと後から気が付いて見捨てた時も、何も感じなかった。  でもその時、元実様と出会う事が出来た。  元実様は術で私の素性を全部知った上でこう仰った。  『それで、お前は本当に主人を裏切らないのか?このような事をされても反旗を翻し、殺してやりたいたいとも思わないのか?』  私は答えた。  『はい。だって無駄ですから。』  元実様は少し考えて、こう言った。  『では、今からお前を試す。耐える事が出来たら「新しい生命」をやり、私に仕えさせてやろう。』  そして、私は獄鬼のあらゆる責めに耐えた。肉体と精神へあらゆる痛みや辱めを受けても私は今まで通り、何も感じないようにした。  そして1ヶ月後。  私の命が尽きる直前、元実様が再び現れた。  元実様は私の血を全部吸い取った後、ご自分の血を与えて下さった。  『鬼に負けぬ精神力を持つ強者よ、今お前は本当の鬼となった。  今までの世界は紛い物。お前に相応しい勤め場はここだ。    ……お前は私を裏切るな。』   元実様はそう言って汚れた私の手を引き、その腕に抱いて城までお連れして下さった。  高貴で強い鬼が、人間にも鬼にもそこまでするのは滅多に無い事だと、後で赤鐘が教えてくれた。  人鬼になると赤鐘が色々面倒を診てくれた。  『うんうん。洗って綺麗にしたら、子猫みたいな可愛らしい顔じゃないですか。東雲。』  『し、の、のめ……?』  『貴女の新しいお名前ですよお。鬼になって、髪が綺麗な東雲色になったから……。  私も元実様の人鬼です。どうぞ仲良くしてくださいね。』  その時、過去の回想を中断させる声が響いた。  『東雲、屍を置いて恥を晒す気か!  立て!生きて戻って来い!!』  元実だ。瀕死の東雲の痛みを感じ取ったのだ。    この場で彼女にしか聞こえない声。    (元実様……。)  東雲は震える手で鳳凰札を剥がし、三ツ葉を振り切って走り出した。  走る力など残ってない筈だった。  だが、主人の声が聞こえる方へ走り出す。    大江曽城・天守最上階。  廻縁に出て、落ち着かなそうに暗くなった曇り空の遥か向こうを睨む元実。  後ろの壁に寄りかかっている赤鐘。  更に部屋の入り口には陽光が隠れて立っていた。  「……あの女隊長から情報を得られればまだ良かった所、こちらも欲をかき過ぎましたね。極秘任務とは言え、味方を配置すべきでした……。」  小声で呟く赤鐘。今日は作り笑いをしない。  その時、瓦屋根の動く音がした。  柵に血まみれの手が伸びる。  「東雲!!」  赤鐘が叫んで駆け寄る前に、元実が彼女を引き上げる。  東雲は変化を解く。瞳の色が薄くなっていた。  「失敗で貴方を……裏切った……ば、罰を、お与え下さい……。」  掠れた声でそれだけ言うと、目を開いたまま動かなくなった。   鎧が血で汚れるのを気に留めず、彼女を横抱きにして必死で彼女を呼ぶ元実。  「東雲っ!!!  私の……俺の命令だ!!勝手に死ぬ事など許さん!  お前は命令に背くような下鬼などではない!!  お前だけは……俺を裏切るな……!」  元実は自分の手の平を噛んで、彼女に血を飲ませようとする。  鬼の彼ならそうしても無駄だと、分かっている筈だ。  だが、弱き者に言葉は要らぬと、並の手下や家臣の死を気に掛ける事が無かった彼が必死にそうしていた。  赤鐘は「死んでます」と言えなかった。  東雲の意識は既に彼女の体を離れていた。  彼女は元実の中にある龍のような大鬼の影に溶け込み、胎児のように丸くなる。    (鬼になったその時から私はもう存在しないに等しい……。だから貴方の血に還る事は何も怖くない。  なのに……何故、貴方はそんなに泣いて震えておられるのですか……。  主が手下に感情的になるなんて……変なの……。)  元実は東雲の身体が冷たくなるまで抱きしめ、吠えた。  威厳の為、一族の為、族長に一匹の女鬼の為に泣く事など許されない。  彼女の為に怒りを湧き起こし、狂った獣の声を上げるのが精一杯だ。  その様子を見て、悲しい声だと感じる陽光。  (私は子供の頃、父上に大事にされている東雲や赤鐘が羨ましかった。二人と居る時だけ微笑んで、心が安らいでいたから。  父上に微笑みかけて貰いたかった私は、その寂しさを埋めるように、人鬼の赭に甘えた。  でも、父上も家族というのが苦手で、分からなくて、孤独で……、だから黙って側にいて心の隙間を埋めてくれる絶対的な何かを東雲達に求めていたんだ。  私達は悲しい程、親子だったんだ……。) ***  一方、三ツ葉は自分を庇った宮比を介抱していた。  半身が酷く欠損し、長くはない。  三ツ葉は直刀を抜いて逆手持ちにする。  宮比は苦しそうに息を漏らしながらも、三ツ葉の頬を撫でて微笑んでいた。  「……やるが良い。色々と恨みもあるだろうしな。」  三ツ葉は前髪で表情を隠し、遣る瀬無さそうに薄く笑う。  「……ええ、恨んでますよ。  貴女が『酒呑童子』に惚れていたなんて話は……、特に俺に対する最大の裏切りだ。」  「?!」  宮比は角狩への裏切りでなくそちらの話かと言おうとしたが、その首を三ツ葉が両手で絞める。  苦しさで暴れる彼女を前髪の隙間から暗い瞳が見下ろす。  「その長い黒髪や手の温もりだけとはいえ、『姉』の代わりに思えていた貴女が、あのクソ鬼に抱かれてるのを想像すると……本当に、本当に!!」  三ツ葉は頬に涙を流し、乾いた笑みをこぼす。  そして、宮比の腹に直刀を思い切り突き刺した。  ドスッドスッと、何度も突き刺す音と、悍ましい悲鳴が森に響く。    数十分後ーー。  三ツ葉は血塗れですすり泣いた。  「待っててね……。鬼は、みんな倒すから……『姉さん』。」
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