9話/鉄籠の鬼

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16.  飛騨の奥地。入り組んだ険しい地形の谷川と、冬の厳しい寒さのせいで人間は住んでいない。  また、住めたとしても他の生き物に捕食されて長居は出来ないだろう。   何故ならここは赤鬼の部族の一つ、薄紅天鬼(うすべにあまき)の領地であるからである。  美しい紅葉に彩られた絶壁のような谷の中腹に、斜面に沿って造られた階段のような建物。木造と石造を併用した美しい館で、川には温泉らしき岩の囲いもある。  館で暮らすのは当然ながら鬼。ざっと見た所、雌鬼が殆どだった。  見張り以外は天鬼も働く人鬼も下鬼もほぼ女だ。歳は幼い少女から年配まで。  腹の大きな妊婦も多く見られる。  ここは薄紅天鬼という赤鬼部族の族長・『薄重(うすえ)』の根城であり、『薄重の館』と呼ばれている。  そして珠の生家でもある。  広い中庭を見渡せる渡り廊下を歩く女。  2本角をもち、金と宝石の装身具など高価な物で身を飾り、付き人を従えているので上級の天鬼である。  歳は人間で例えると20後半だろうか。  怠そうな垂れ目に薄くはたいた墨の粉に、艶っぽい口紅の化粧。  真っ直ぐでサラサラとした長い髪は銀色に薄紅色が滲んだような色だった。  柔らかで豊かな胸と尻が目立ち、腹周りは細っそりとしていて程良く引き締まっている。  服は股下を隠す前垂れと乳房を固定する布当てと言う露出の多い格好に、白い毛皮を羽織っているだけだ。  大胆で妖艶な美女だが、ただ一つ、何かに齧られたように右腕が無かった。  「黄環(おうかん)様。予約の客人がお見えになりました。」  付き人に言われ、黄環は怠そうに竹串付きの飴玉を舌先でチロチロと舐めて生返事する。  黄環の方に大柄で厳つい男の鬼がズカズカとやって来る。  「噂通り雌鬼だらけだな!  俺の相手をして世継ぎを産む奴はどれだ?!」  厳つい鬼は息巻いて手当たり次第、乱暴に雌鬼達の体に触る。  それを側近らしき壮年の天鬼が嗜める。  「わ、若!ここでは行儀を良くせねばなりませぬ!  こちらの一族に産める雌鬼が一人も居らず、『ここで代わりに子を産んで貰う』のですから頭を下げるは私達の方なのです……。」  「馬鹿言うな!何で力の弱い奴に頭を下げなきゃいけない?!」  この世界の鬼は雌鬼の出生率が異様に低く、それにより新生児も少ない。   鬼にとって生殖能力のある雌鬼の有無は、一族の存続に関わる為、雌鬼の奪い合いで戦と言うのも少なく無かった。  そんな中、薄紅天鬼は不思議と雌鬼の出生率も受胎率も高く、出産も安産が多かった。  族長・薄重はそれを強みに自分の娘達に他部族の子を産ませ、『出生を助ける』事で必要不可欠な部族として優位な地位を得る事に成功。現在のように朱天鬼に引けを取らない名部族へと繁栄させたのである。  そして黄環は薄重の娘の一人で、今まさに代理で孕る仕事を受けようとしている所だった。  だが、相手の厳つい鬼は自分の立場がいまいち分かっていなかった。  彼は代理の相手が黄環だと知ると、いきなり彼女の尻を鷲掴みにした。  「少々年増だが悪くない!早速何でもして……。」  黄環は股間に膝蹴りを喰らわした。  生命活動が急停止したような凄まじい顔をする厳つい鬼。  厳つい鬼は痛みに震え、床を踏み壊しながら怒鳴った。  「大変酷い事しやがってボケェっーー!!  弱い雌の癖に逆ら……。」  黄環はもう一度蹴った。情けない声を出す厳つい鬼。  「その『弱い雌』から大事な所を二度も守れぬ『弱い雄』が何か言っておるなぁ?」  艶っぽく、蔑むような目。  「ぉ、俺が弱いだと?!このっ!!」  「おすわり。」  転げ回る彼の眼前で、素足をヒラヒラさせる。  「あ?!」  更に股間を蹴る。半べそをかき始める鬼。  「ふぅ、頭の悪い雄め……。犬の方が直ぐにどちらが上か理解するぞ?」  側近が慌てて土下座する。  「止めてくれ!それ以上は子孫が残せなくなるっっっ!  よく言い聞かせて出直しますから、どうか何卒、何卒、お許しを!黄環様!」  騒ぎは収まり、厳つい鬼は悔しそうに帰って行く。  雌鬼達はいい気味だと腹を抱えて笑った。  「今度来る時は黄環ねえ様に蹴られないように、大事なトコ家に置いて来なさいね〜。」  黄環は溜息を吐いて、飴をガリガリと奥歯で齧る。  「さて、今日の仕事も無くなったし。じゃじゃ馬娘の所にでも行くか。」    館の地下。自然の洞窟を利用した牢屋がある。  薄暗いその場所で、足を伸ばして座っている子供の鬼。  珠だった。  膝にはカムナを乗せている。カムナは珠の足に白く長い髪をしっかりと絡めていた。  「なあ、珠。折られた足はどうだ?」  「う、うん。大丈夫だよ。カムナが髪で縛ってくれたから早くくっついたみたい。」  珠はカムナの頭を撫でる。活発だった前と比べると随分しおらしくなった。  「にしても、いきなり駕籠に詰められて何処かに連れて来られたと思ったら、遠い土地の豚箱とかよ……。」  「わらわが……大江曽城で騒ぎを起こしたから向こうで預かるのは危険だって伯父上(元実)が判断して、生まれ故郷に戻したんだと思う……。」  「だからって、帰ってそうそう膝を割って歩けなくさせるってのか。  鬼がやる躾だから驚きはしねえけどよお。」  「ここでは子供が悪い事するとお仕置きでこうするの。痛いし怖いけど、骨は3日位で治るし、もう慣れたよ。」  「そうかい。お前、最初は甘やかされて育った弱虫だと思ってたが、意外と打たれ強いのな。  ……夜光のガキの頃を思い出すぜ。」  兄に似てると言われ、少し嬉しそうに微笑む珠。  「ごめんね、カムナ。早く兄上の所に帰りたいよね?」  「全くその通りだが俺様も一人じゃ移動に限界があるし、今はいい機会を待つしかねえ。」    そこへ足音が近付いて来る。    「ふーん。甘ったれの赤ん坊が、少しは逞しくなって帰った来たのぅ。」  黄環だった。  「げっ、母上だ!」  「え、アレお前の母ちゃん?!高飛車で面倒臭そうだなあオイ。」  苦い顔で身構える珠と、嫌な顔をするカムナ。  「お前を『作ってる』最中にアタシを拒絶して右腕を食い千切って来た馬鹿緋寒にすっかり似おって。  見てるだけで肩が疼くわ。」  珠は政略で緋寒と黄環との間に出来た子供である。しかし緋寒は彼女を正妻だと思っていない。  「いつもみたいに意地悪を言いに来ただけなら帰ってたも!!」  「まあまあ怒るな。ほぉれ。」   黄環は付き人に命じて壺一杯に入った竹串付きの飴玉を見せびらかす。  「ああーー!蜂蜜の飴さんだあーー!!」    姫リンゴや桑の実、かりんの皮などを竹串の先端に刺して、栄養たっぷりのスズメバチの蜂蜜で固めた飴だ。  身分の高い天鬼しか食す事の出来ない、貴重な甘いおやつである。   珠は一瞬目をキラキラさせたが、ぷいと外方を向く。  「母上なんかの施しなど受けぬ!!帰れ!!」  「ふん、可愛くない奴め。」  黄環は見せつけるように飴を旨そうにしゃぶって舐めて見せる。  「ぅん〜。ほれほれ、甘いの欲しいか?欲しいだろぅ〜。  『お願いです、母上様』と可愛く言えたらくれてやるぞ〜。」    しかし、珠は首を縦に振らない。  次第に口の端から涎を垂らし、腹の虫を鳴らしながらも、正座を崩さず、他所を睨んだままだ。  数分後、黄環は負けたかと言うように、悪態を吐く。  「ほら、もう何も言わんから好きなだけ食え。  ……本当、可愛くない。」  でも嬉しそうにカムナと飴を分け合っている娘の姿を見て、少し心が和んでいた。  「ついといで。  父上……いや、お前のジジが呼んでいる。」  「……薄重のじいじが?」  渡り廊下を歩いて移動する珠達。  ここの族長・薄重の部屋の前まで来ると、中から怒声が聞こえた。  障子を乱暴にぶち破って出て来る少女。 10代前半で、あまそぎの髪型に男物の小袖を纏っている。  その後ろから、背の高い男の鬼も出てくる。  淡麗な顔付きに、銀に薄く紅が滲んだ長い髪を後ろで丸くふわりと結い、小袖を乱れなく着ている。厳つく豪快なイメージが多い鬼にしては、清潔感と妖艶さもある天鬼だった。  歳は30代前半に見える。  「おいおい喧嘩かあ?」  ボヤくカムナ。  「まーた、やっとるのか。  父上の薄重と私の20人目の末の妹・コマクサだ。」  黄環の言葉に、二度見するカムナ。  「父上?!あの野郎、アンタの兄弟とかじゃねえのか?!  それに妹って……、孫(珠)もいるのに、こんなガキの娘もいるのかよ!」  「因みに兄と弟はもう20人程いる。」  「ど、どんだけ子作りしてんだ、このジジイ……!見た目も妖力で若作りしてやがるし……。」  薄重は珠達には目をくれず、コマクサにジリジリと寄る。穏やかで濁りのない声。目は笑ってない。  「何十回この話をしただろうな。  固く反対だとも、反対の理由も丁寧に時間を掛けて説明して来たつもりだが。  それでも、出て行きたい理由は?」  コマクサは息巻いて拳を握りしめ、構える。  「理由?こんなろくに戦えない弱い一族を見て理由を述べさせるのか?!  一度きりしか会わない雄共の子を死ぬまで産んで手渡し続ける生活のどこが鬼らしいのだ?  私はこんなふざけた場所で終わりたくない!  鬼らしく戦いに生きて、戦いに死ぬ!兄上達と同じように、朱天鬼と人間達の戦いに参加する。」  「駄目だ。  朱天鬼達と共に戦うにしても基礎的に体力が無さすぎる。それに戦いに向いてるならとうに送り出している。」  「私は父上や姉上が呑気してる間にずっと鍛えてきた、やってみなくては分からな……!!」  「無駄だと言うのだっ!!」  怒号を放つ薄重。  急な圧に少し怯むコマクサだが、恐怖を振り切るように変化する。  「本当に私と戦うんだな?容赦せんぞ?」  「怖いのか父上!?この腰抜けの老ぼれが!」  彼女が駆け出しても、変化しない薄重。  蹴りや突きで素早く連撃技を繰り出すコマクサ。  防御をせず、しなる枝のように受ける薄重。  コマクサの攻撃は姿勢もしっかりしており、悪くなかった。  だが、痛手を負わせるには圧倒的に筋力が足りなかった。    薄重はコマクサの腕を捕まえ、頭部に拳を喰らわす。  コマクサは中庭まで突き飛ばされ、木や花を潰して仰向けに倒れる。  ざわつく他の娘達。    軽い脳震盪を起こし、なかなか立てないコマクサ。  薄重は薄紅色の鬼に変化し、彼女の腹に馬乗りになる。  大熊と成人男性程の体格差があり、その重さに彼女は逃げられない。  薄重は彼女の額を何度も何度も殴った。  コマクサは恐怖を必死で堪えようと、奥歯を噛み締め、声を抑えた。  薄重は言い聞かせるように叫んだ。  「怖いか……!?痛いかっ……!?  私より大きくて力のある雄鬼はもっといるし、殴るのもこんな物では済まんぞ!  それに奴らは……もっと酷い事をする……!  お前は弱い身でこういう世界に行こうとしているのだ!」  珠は二人のやり取りを見て、冷や汗を流す。  「母上、二人を止めて来る!」  「止めておけ。……こうでもしなきゃ止まれん。」  コマクサは我慢の末、遂に変化を解いて泣き出した。  薄重は直ぐ変化を解き、そのまま踵を返す。  コマクサは『泣く』と言う弱さの証を示してしまった悔しさで血が出るまで奥歯を噛み締め、地面を抉れる程殴った。  「殺してやるっ!殺してやるっ!!  いつかお前を殺す程強くなってやる!!」  娘の金切声の怒声に、薄重は振り返らず悲しげに呟く。  「何度だって死ぬ気で止めてやる……。お前の為に……。」  珠は薄重を問い正そうとしたが、黄環はそれを止めた。  「アタシの母上達から聞いた話だ。  父上は昔、私達の姉上”だった”初子(はつご)の『薄雪』と赤鬼の部族戦争に参加していたのだが、ある日、薄雪は雄鬼と戦いで負けた挙句、そいつらの仲間に散々いいようにされて酷い姿で死んだ。  薄雪は戦いの才はあっても元々体が丈夫ではなく、そんな身で『どうしても父を手伝いたい』、と無理を言って戦いに出て負けてしまったのだから本当は彼女の責だ。  でも、父上は薄雪の死を悔い、争ってでも彼女を止めなかった自分の甘さを責め続けた。」  「だから、同じにならないようにコマクサ姉ちゃんを止めたの……?」  「恐らくな。  それだけでなく、こんな館を作って娘達を安全な手元に置きながら一族を存続させる政策に拘ったのもそれが原因かもしれん。」  カムナは二人の話を聞き、行く先に不安を感じた。  (このジジイがいるんじゃ、ここから出て行くのは骨が折れそうだぜ。特に珠と一緒は諦めるか……?)
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