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2.
「起きなさい変な鬼!」
すずねの声と、頬に熱い物を感じて、夜光は目を開けた。
彼は冷たい地面の上で横になっている。
「ん……。」
胸の前で腕を組んで仁王立ちをしたすずねと、松明を持った子供達が彼を見下ろしていた。
周りは岩肌だらけであった。数本の蝋燭の灯りしかない、薄暗い洞窟のようである。
夜光は手足を動かそうとした時、手足が縄で縛られていることに気が付く。
「逃げようとしても無駄よ。
私たちの要求を聞き入れるまで自由にしてあげないんだから。」
すずねは毅然とした態度で夜光に言い放つ。
「まずあなたの名前は?鬼に名前なんてあるのか知らないけど。」
「夜光……。」
夜光はボソッと答える。
「鬼の癖に陰気ね。
まあいいわ。私はこの洞窟の主、すずね。
こっちの子供達は風太とゆき。」
紹介された丸顔の痩せた少年と少女が頷く。
「ここは私達が暮らすお家よ。
普段はよそ者なんか入れないんだけど、あんたに頼みがあるから今回は特別に招待してあげたわ。」
夜光は怠そうな目で黙ってすずねを見ていた。
「さっきあんたはあの山賊を最も簡単にやっつけた。そして不思議なことに私たちを食べようとしなかった。
そこであんたをこの隠れ家の用心棒として雇いたいと思うの。」
「ヨージンボー?」
夜光は聞き返す。
「見返りとして衣食住を保証してあげてもいいわ。悪い話じゃないでしょ?
でも、暴れたり変な気を起こしたら、こうよ!」
すずねが袖の下から不思議な曼荼羅や筆文字が描かれた紙の護符を取り出した。
「分かるわね?『妖避け(あやかしよけ)』よ。
大概の鬼や妖怪はこのお札で苦しんで動けなく……ってちょっと!」
夜光は細い糸を引きちぎるかのように、いとも簡単に縄を引きちぎった。
立ち上がろうとする夜光を見てすずね達は悲鳴を上げて慌てふためいた。
「言ってるそばから!えいっ!」
すずねは勢いよく夜光の顔に妖怪避けを貼り付ける。
「あびびびびびびび!」
夜光の首からぶら下がっている白骨化した頭蓋骨がカタカタと顎を鳴らしながら動き回る。どうやらもがき苦しんでいるようだ。
「あ。カムナ、起きた。」
夜光は頭蓋骨・カムナを両手に持った。
肝心の夜光にはこの妖避けは効いていないようだ。
「変なの動いたー!」
「骸骨おばけー!」
風太とゆきが叫ぶ。
「落ち着くのよ!ムクロカムリなんて死体にしか寄って来ないし、大した妖怪じゃないわ!」
すずねは二人を落ち着かせる。そして夜光を睨む。
「それより何で?!ムクロカムリには効いて、その鬼には効かないなんて!
ちゃんとお寺で貰ったお札なのに!」
「夜光!は、は、早くどっか遠くにやれー!」
弱々しく、裏返った声でカムナが嘆願する。先程まで目の辺りに灯っていた青い火も消えかかる。
夜光は頷き、妖避けを剥がして破いてその辺に捨てた。
「はあはあ死ぬかとおもた……。
腹の減り過ぎで生死を彷徨っているとこに、妖避けとはやってくれんじゃねえか小娘!」
カムナが夜光の胸元で荒ぶるが、すずねは眼中にないかのようにそれを押さえつける。
「うるさい!ちょっと黙ってて!
あなた本当に鬼なの?」
ここまで微動だにしてない夜光を見て、すずねは混乱している。
「生憎こいつは鬼としては『半端者』でな。妖避けの札でさえも、こいつが何なのか判別出来なくて上手く働かないのさ。
だが俺様はバッチリこの通りだ。
落とし前つけてもらおうかああああん?!」
カムナは怒りを込めて歯軋りする。
「何やってんだい?すずね。」
すずね達の後ろの方から新たな人影が二人やって来る。
一人は藍色の着物に手甲や脚絆を身に付けた旅装束の人物で、艶やかな髪を玉のように綺麗に結って簪を一本挿していた。男装した20代半ばの女のようである。
腰には刀を帯びていた。
もう一人は腰の曲がった痩せた老婆だった。目が塞がっており、盲目のようだった。
「げ、おたま姉ちゃん!」
すずねは男装した女・おたまに気が付くと、引きつった顔で夜光達を体で隠そうとした。
「ちょっと!その角、鬼かい?!」
おたまは夜光の姿を目に捉えると、鋭い顔つきで素早く腰の刀に手を掛ける。
「はっ!」
先程まで呆れるほど無表情だった夜光がおたま達の姿を捉えた途端、目を大きく開き、急に駆け出した。
「お?いつになくやる気だな、夜光?!
よーし、やっちまいなぁ!」
白い髪と一緒になびきながら、カムナが嬉しそうに裏声で叫ぶ。
「子供の鬼なんて……!」
おたまは向かってくる夜光を睨みつけ、抜刀して白刃を光らせた。
夜光はおたまの脇をすり抜けて隣の老婆の前で正座する。
そして、老婆が持っている丸ざるに盛られた干し柿に顔を近付けて凝視した。
腹から物悲しそうな音が鳴り響いている。
「おや、お腹が空いてるのかい?
今をおろしてきたんだよ。お仙ばあちゃんの作った干し柿、いっぱいお食べ。」
目が見えず、状況判断できないせいか老婆・お仙は目の前の鬼である夜光を恐れず優しく言う。
夜光の仏頂面が満面の笑みに変わる。
おたまや、すずね、カムナは落胆して、怪訝そうな顔で夜光を見ていた。
「この鬼は……頭がアレなのかい……?」
おたまはこめかみを押さえながら呆れたように言う。
「……こいつに期待すんじゃなかった……。」
同じく呆れたようにカムナが答える。
***
「そう、あんたが外に転がってた山賊を倒したの。
……鬼とはいえ、助けてくれたのには変わりない。すずね達を守ってくれてありがとう。」
おたまは焚き火に刺した川魚の焼き串の焼き目を裏返す。
夜光、おたま、すずね、子供達、お仙は小さな焚き火を囲んで座っていた。
すずねはむすっとした顔で焼き魚を頬張っている。どうやら、おたまに散々絞られたらしい。
「私はこの場所の用心棒の玉貫行(たまつらゆき)だ。まあ、これは仕事の名前だけどね。」
「変な名前ー。」
「変な名前なのー。」
焼き魚にかぶりつきながら風太とゆきが茶化す。
「剣の師匠からもらった名前なんだけど、見ての通り不評でね。
『おたま』でもなんでも好きに呼んどくれ。」
おたまはクスクス笑いながら川魚の串を夜光に手渡す。
「今更人間が食べたいなんて言わないでおくれよ?」
男の格好をしていても、凛とした顔立ちや立ち振る舞いは美しくどこか艶っぽい。
「心配なら追い出せばいいのに。」
すずねがボソッと言う。
「あんたが言えた事じゃないだろ?」
おたまが膨れっ面のすずねをたしなめる。
夜光は八重歯を見せながら、こんがりと程よく焼けた魚を頭からかじる。
パリパリと香ばしい皮と、ほくほくとした白身。脂は少なく味はあっさりとしていた。
「うまい……!焼くとこんなにうまいのか?」
夜光は驚いたように呟いた。いつも以上に興味を持ったように聞く。
「嘘、今まで生で食ってたのか?」
「鬼のお兄ちゃん、熊さんみたい!」
風太とゆきが口々に言う。
「この近くに水がよく澄んだ川があるんだよ。水が綺麗だから臭みも少ないのさ。」
お仙が手探りで他の焼き串を準備しながら言う。
「人を食べずにそんなものを食べて喜んで、本当に鬼じゃないみたいね。あんた。」
すずねが呆れたように言う。
「ンゴっ、ブフっ。……うえっ。
俺はこんな新鮮なのより腐りかけの人間の髄が吸いてえよ。
こいつが身を守る目的以外で人間を襲ってくれればいいんだがな。」
人間のだけは血も肉も嫌がるからな……。
だからこんなヒョロヒョロなんだよ。」
カムナが同じように魚を頬張りながら、不満そうに言う。
夜光は串を下ろす。
「血は嫌いじゃない。口に含むとあったかくて落ち着く。
でも飲み込もうとすると、なぜか胸の辺りがぎゅっと苦しくなる。だから飲みたくない。」
目を細めながら呟く。片目の黄金の瞳に影が落ちる。
ビュッ
何かが飛んできた。
夜光は後方から飛んできた小石を掴んで、振り返る。
振り返った先の薄暗い岩陰から、5歳くらいの色白の少年がこちらを睨んでいるのが見えた。
少年は洞窟の奥へ駆けて行った。
「……許してやっとくれ。
あの子は雀っていうんだけど、その、昔鬼に両親を襲われてね……。」
おたまは顔を反らしながらすまなそうに言う。
「ああでも鬼にも色々いるし、あんたは野良鬼みたいにやたら滅多に人を襲う鬼じゃないみたいだから、こっちは気にしてないよ。」
周りにいた者も笑うのをやめて目線を下に移してただ焼き魚を咀嚼していた。
「さあ、大したお礼は出来ないけど今日はゆっくり食べて休んで行っとくれ。」
おたまがその場を取り繕う。
「……いや、もういい。
魚、美味かった。」
夜光は無表情で洞窟の奥を見つめたままだった。
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