6話/烈風の鬼・後編

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5.  冠羽の祭壇から少し里に下った場所にある小川。  八重は桶に洗い物を入れて運んでいた。  懸命に働いているように見えるが、意識は別の方に向いていた。  彼女は過去のある人物とのやり取りを思い出していた。  『もう。また絵を描くのに夢中になってて、お昼忘れちゃったんですか?!』  『ごめん、ごめん!いま食べるから!』  『またお昼ご飯がお夕飯に……。  あと里芋残してますけど、嫌いなんですか?』  『ま、まあね……!箸でチマチマ時間かけて食べるのが面倒臭くて。』  その数日後の会話。  『八重、この雑炊美味いじゃないか!さらさらと食えるし。』  『ええ、里芋も擦り下ろして入れてるんですよ。』  『うん!今度は栗とか小豆とかもっと甘いものも入れて欲しいな。あっ、柿でもいいなあ!』  『柿はちょっと合わないんじゃないですか?ふふふ。』  ガタンっと言う音で、八重は過去の思い出から我に返る。  彼女の手から滑り落ちた桶から椀が溢れ、川の水の上に浮いて漂っていた。  「あらあら大変!」  タライに水を張って洗い物をしていた雛菊の母親が、椀を拾う。幸い流れが緩やかな場所だった為、完全に流されずに済んだ。  「ご、ごめんなさい!」  「怪我が治りきって無いのに仕事を頼んでしまったのはこっちですもの。傷に染みるといけませんから後はゆっくり休んでいて下さい。」  雛菊の母親が気遣い、八重を送り出す。  八重は申し訳なさそうにその場を後にした。  (もう一度あの場所に行こう。  桜が燃えてしまったし、お墓が無事か確かめたい。)  八重は納屋を借りて、いつもの角狩の装束に着替える。  そして珠を呼んで、冠羽を捕まえようとする。  しかし、夜光との組み手で森に出掛けてしまったようなので、「用があって先に帰る」と村人に言伝を頼んだ。  八重と珠は里の方に下り始めた  「八重ねえ、兄上を待って一緒に行こうよ。」  「ごめんね。大事なお仕事があるから。  夜光はきっと後で都で会えるわ。」  「お仕事……。ねえやっぱり、カムナが言ってたみたいに痛い事する?」  珠は少し弱々しい声を出す。  兄を探すのに鬼を殺す集団に近寄るのだから無傷では済まないかも知れないと覚悟を決めてやって来た為、怯えては居ない。しかし、不安がない訳ではなかった。  「怖いよね……。  でも丈夫よ。私も色々説明するし、珠ちゃんがお利口にしてれば分かって貰えるわ。それに夜光の妹なら尚更手荒な事はしないと思う。」  八重は珠の前でしゃがみこみ、優しい笑みを見せてを安心させてやる。  「八重ねえが言うなら信じる!兄上も!  2人が一緒にいてくれるならそれでいいもん!」    (でも、昨日珠ちゃんを無理矢理捕まえようとしていたあの赤鬼の人鬼……。同じ赤鬼の珠ちゃんを何故あんな風に……?)    八重達は村の外に出た。その瞬間来た道は濃い霧に包まれ、戻るのは困難になった。  「この霧は?」  「この山と村はおじ様の作った特殊な霧に守られているの。おじ様が招待してない人は入れないわ。」  霧が濃く空ははっきりと見えないが、上空から鳥の鳴き声がした。  八重は帯の隙間から小さな竹笛を取り出し、吹く。  すると鷹が降りて来る。  八重は鷹に優しい言葉を掛けてやりながら、 その足に紐で括り付けられている超軽量の竹の筆入れと指一本の大きさの巻紙を外す。  そして、筆入れに同梱された墨で簡潔に報告書を書き、巻いた紙を再び鷹の足に括りつけて飛ばす。  「百之助様への連絡も済んだし、行きましょう。少し寄り道するわね。」  「八重ねえ、その場所って何があるの?そこに何しに来てたの?」    八重は一呼吸置いてから話す。  「……『お墓参り』よ。  本当は昨日、大切な人の命日だったの。」  「『おはか』って何?『めいにち』って?」  珠は無邪気に聞き返す。鬼故に本当に意味が分かっていないようだ。当然、鬼には弔いの概念は無い。  「亡くなってしまった人が眠る場所よ。亡くなった日と同じ日にその人が寂しく無いようにお花を添えたり、私は大丈夫ですって話してあげたりするの……。」  八重は説明がしにくそうだった。目を逸らし、手首をぎゅっと握る。  「なくなった……?死んだって事?  死んだのに、そんなに色々してあげるの?」  不思議そうに言う珠。  「!!」  八重の心が騒つく。  珠は続けて鬼の子供ながらに思った事を言う。本人は慰めようと気遣って言ったのかも知れない。  「八重ねえがそんなにする事ないよ。  その人が弱くて生き残れなかったんだもの。その人がもっと強かったら八重ねえがそんなに悲しい顔する事もなかったのにね。」  珠は八重の影が自分に落ちている事に気が付き、後ろを振り返る。    八重が手を振り上げていた。唇を噛み締め、瞼を大きく開き、瞳を震わせている。  その怒りの表情は、紅鳶に猛攻した時の表情と少し違い、遣る瀬無い深い悲しみが入り混じっていた。瞳の色はほんの僅かに黄金に発光している。  「あの人は大切な人の為に自分の未来を差し出した……!優しくて強い人だった!あの人が生きれなかったのは、あの人のせいなんかじゃないっ!」    珠は「負けた弱い者は見捨てられて当然」と言う、大人達に教えられた鬼の常識を守って発言しただけであった。  しかし、それは人間にとっては余りにも道から外れ、悲しみと怒りのドン底に突き落とす発言であった事を、八重の険しい表情で悟った。 ***  「ほれほれー!村の境まで来ちまったぞ!どうする?!」  青い鬼になった冠羽が挑発する。  夜光は黒い鬼になり、冠羽を捕まえる修行を再開していた。  その時、夜光の耳に八重の怒声が入る。  (八重の声?と言う事はこの鬼の匂いは珠か。  そこに本当に少しだけ『別の鬼』の匂い……。   にしても八重がこんなに怒ってるのは、珍しい……。)  「夜光、どこ行くんだよ!そっちは結界の外だぞ?!」  冠羽の忠告を余所に、夜光は進路を変えて走り出した。   ***  珠は怯えて目をギュッと閉じた。  だが、平手打ちは飛んで来ない。    八重が手を下ろしたのだ。  それでも、体の震えと噛んだ唇は抑えられなかった。  鬼故に、考え方が違う。  そして幼い故に善悪の判断が付かない。  その上で体罰を加えるのは公平ではないと、怯える彼女の顔で理性が働いたのだった。  「……ごめんなしゃぃ。」  珠は裾を両手で握りしめ、涙を溜めながら謝罪の言葉を絞り出す。  「私も、ちゃんと説明しないまま怒鳴っちゃってごめんね……。  でも覚えておいてね。  命を落としても尚、大切な人に想いを託してその人の中で生き続ける事が出来る。その人の背中を押す事が出来る。  それが人間なの……。」  「うん……。」  怒りが冷えてそのまま悲しみになり、八重は穏やかな声になっていた。   八重は珠の前で跪き、珠の背中に手を回して抱きしめる。悲しみの顔を見られたくなかったからでもある。  「わらわは八重ねえがそんな顔をする位、酷い事言ったんだよね……。     それなのにちゃんと叱ってくれて、嬉しかった……。わらわが育った里ではそんな風に叱ってくれた者がいなかったから。悪い事したら痛いお仕置きしてくるだけだったのに、八重ねえは叩くの我慢した。  ありがとう。」  珠は八重の体から離れ、真剣な面持ちで向き合う。  「もう絶対八重ねえが悲しくなる事言わない……。  人間に悪い事したり、言ったりしない、約束する。もし、わらわが気が付かないで言ってたら今度は叩いてもいいから叱ってね……。」  八重は微笑んだ。少し遣る瀬無さが残っていた。  「所で。  兄上、そこで何してるの?」  夜光が近くの茂みから姿を現わす。人間の姿に戻っている。  珠は鬼故に、音や気配で存在に気が付いていたらしい。  「……何かあったかと思ったから。」  (少しあった『別の鬼』の匂いが消えてる?)  夜光は珠の問いかけに答える。  「おめえらこそ、そんな所でなに気色悪い事やってんだ。」  カムナがボソッと言う。    「……聞いてたの?」  八重は目を逸らしていた。  「……ああ。」  「聞くも何も、キンキンとでけえ声出してやがったのはお前だろ?」  カムナが付け加える。  「……嫌だったのか?」  「……。  いいえ。」  八重は気まずそうに目を逸らしたままだった。    そこに、人間形態に戻った冠羽が歩いてやって来る。  「八重……どうしても帰るのか?」  「おじ様……、本当は話す事何て無いはずですよね?」  「いいや。祭りが終わった後にゆっくり話したいと思っていたんさ。」   冠羽は真面目な顔付きになる。  「私は、人を襲う鬼にも『青鬼』にも、もう関わりたくないんです……。」  八重は小声で呟き、踵を返そうとする。  「待ちな。  もう夕刻に近いんだ。角狩のお前なら夜道がどれ程危険が分かるだろ?少し冷静になったらどうだい。」  冠羽は八重の様子を伺う。  八重は少し考えた後、不服そうに承諾する。  「……分かりました。  でも、どうしても寄りたい所があるんです。」  冠羽は少し考え、思い出したように声を上げる。  「隣村だった『あの場所』か?  火消しなら儂がやった。もう危険はねえ。」  「ありがとうございます……。でもどうしても散らかってないか確認したいんです。」    冠羽は腕を組み、夜光をチラッと見る。  そしてニヤッとする。  「夜光、速攻で乗せてってやれ。  修行だ。日没まで往復して帰って来い。」
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