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夜光や子供達、そして若い男女が森の近くに置かれた船に乗り込む。
雛菊は頼まれて青鬼の赤ん坊を抱いて乗る。
船と言っても竹を籠のように立体的に張り巡らせて布を掛けた、巨大な張りぼてのような物である。
「袋は持ったか?じゃあ掴まってろよ!」
冠羽はそう言うと膜の袋を空気でパンパンにして、下から風を吹き上げる。
船は風の力で上昇し、数十メートルの高さで止まる。下から冠羽が風を吹かして滞空させているのだった。
銀色の月に照らされた船が、波に乗るように揺れ動く。
揺れの中、八重の長い髪が流れて輝きを放つ。
心ここにあらずと言うかのような横顔は、憂と艶っぽさを秘めていた。
夜光はそれを何度も盗み見、風の音と共に胸の奥が騒めくのを感じた。
風の中で、子供や若い男女が空っぽの布袋を一斉に高く掲げ、風に靡かせる。
「こうやって、新しい風を捕まえると、子供の成長とか安産の助けになったり、幸せになれるんだって。」
雛菊が説明する。
「よし、これ位にするぞ。」
(おかしいな……。今年の秋風は変に粗い。)
冠羽は顔をしかめると、風を弱めて船をゆっくり下ろし始めた。
その時、急に北西から突風が吹く。大江曽山のある方角だ。
「お前らしっかり捕まってろ!」
船が大きく揺れ、子供達が悲鳴を上げる。
その時、雛菊が転び、青鬼の赤ん坊から手を離してしまう。
赤ん坊は骨組みの隙間からコロンと転がる。
「いけない!」
「あっ!八重ねえ!」
八重が隙間をくぐって手を伸ばし、赤ん坊を抱き留める。
しかし、揺れでバランスを崩して、放り出されて落下した。
「八重!」
「おい夜光馬鹿止めろ!死ぬ死ぬ死ぬっっ!!!」
夜光も飛び降り、黒い鬼に変化しながらカムナの髪を肩に巻き、腕を伸ばす。
八重の髪が大きく広がって群青色に発光しているのが見えた。
風の中、彼女を抱き留める。
夜光は風圧の中で旋回し全身に神経を集中させる。
(森の方に向いてる風を伝えば……!)
夜光は鋭く後ろ蹴りを放って、落下位置を調整する。
無事に木のある場所の真上に辿り着き、木を引っ掻いて摩擦を加えながら地面に着地した。
「アヒャヒャ!ウヒョヒョ!生きてるぅ!生きてるってすげえええええぇーっ!!」
カムナは落下の恐怖で錯乱し、そのまま気絶した。
夜光は地面に跪き、腕にしっかりと抱えた八重の様子を見る。
無事だった。青鬼の赤ん坊をあやしながら、ほっとした表情を浮かべている。
髪から群青色の光が引いていく。瞳も黄金から栗色になる。
「八重……、髪光って……。」
八重は腫れ物に触れられたかのように目を逸らす。
「何でもないわ……!」
「やっぱりお前、戦ったり、必死になっている時にその色になる。
その時のお前の匂いは鬼の……。」
八重は怯えたように声を荒げる。
「み、見ないでっ!!」
夜光は寂しそうな顔をした。
「何で嫌がる……。
俺は……お前のその髪がいい。
その青色を見ると落ち着く……。」
「っ!!」
八重は目を見開いた。潤んだ瞳を震わせる。
彼女はまた過去の記憶を巡らせた。
彼女の髪色や力を見て「妖女」、「鬼女」と気味悪がる人々。
その中で、夜光と同じように彼女の輝く髪色を褒め称えた、たった1人の『人間』。
その時、八重は声にならない吐息を漏らしながら、僅かに唇を動かした。誰かの名を呼んだようにも見えた。
夜光はその鋭い爪の先で八重の髪を一房摘む。
彼は穏やかな気持ちになっていた。その黒い鬼の姿で何体もの鬼を葬って来た事など忘れてしまう程。
しかし、八重は夜光の胸を押して腕から這い出た。
みゅーみゅーと泣く赤ん坊を抱きしめたまま、背中を見せる。
「……私は嫌い。自分に鬼の血が流れているって思い出すから。」
突き放すような言い方だった。
「八重、やっぱり鬼なのか?」
「半分だけ血が流れているわ……。」
八重は声を震わせている。
「じゃあ、俺と同じ……?!」
夜光は声を上げる。心の中が少し明るくなるのを感じた。
しかし、八重は拒絶するように、震えた声を絞り出す。
「私は……鬼が憎い!」
夜光は青い炎を纏って人間の姿に戻った。
「じゃあ、本当は俺が……嫌いなのか?」
「……。」
八重は答えない。
「俺だって……。
今は完全な人間だったら良かったのにって思っている……!」
すがるように八重に近寄る。
「それでも、お前は俺や珠にあんなに温かくしてくれたよな……?なんで……。」
「言ったでしょ。赤鬼と同じように卑怯な事するのが嫌だって。」
「あんなに、楽しそうに笑ってくれていた……。それも全部本当じゃ無いのか?」
「……っ!」
八重はぎゅっと目を瞑り、夜光の言葉に心を閉ざすように首を振る。
「人間であるか、鬼であるかも関係ない!
俺はお前がいい……!」
八重は夜光の言葉に一瞬だけ心が揺らめいたが、直ぐに悲痛の表情に染まる。
「それでも、私は鬼を許せない……!
だって一番大切な人を壊したのも『鬼』だから……!」
八重はその場を去ろうと歩き始める。
「俺が、そいつを倒してやる……!だから!」
しかし、夜光は咄嗟に彼女の腕を掴んで引き止めようとした。
「離して……っ!」
八重が泣きそうな声で引き剥がそうとするが、夜光は手を離すことが出来なかった。
「お前といると、温かくて、眠くなって、生きなきゃ、戦わなきゃっていうのを忘れられて……!」
彼自身、自分のその行動に驚いている。
ただ、以前通りに笑っていて欲しいという気持ちに反して、拒絶の表情を見せる彼女を見る度に、胸が締め付けられ腕に力が入った。
縺れ合い、どうにも出来なくなり、八重は夜光の頬を叩く。
「……!」
夜光の脇をすり抜けて、駆け出す八重。
頬の振動が体を麻痺させ、夜光は動けなかった。
その痛みは鬼達との戦いと比べれば大した事はない。しかし、胸の奥をどっしりと重くした。
森の中。
夜光は1人、温もりの残る空っぽの手の平を見つめた。
「ごめんなさい……、ごめんなさい……!
貴方に花を供えた後なのに……。
『貴方と同じ言葉』に……。」
八重は頬を赤く染めて泣きじゃくりながら森を駆ける。
何者かへの懺悔の言葉を何度も漏らす。
前方に青い鬼、冠羽がふわりと降り立つ。
「無事だったか……。それならいいんだ。」
八重は慌てて涙を拭く。冠羽もそれを見ぬフリするように背を向ける。
「この子を……。」
八重は赤ん坊を託す。そのまま冠羽の横をすり抜けようとした。
冠羽は口を開く。
「今日、儂がおめえさんを引き止めて夜光達と遊ばせたのは、おめえにもっと気持ちを楽にして生きて欲しいと思ったからだ。」
「復讐を止めろと言いたいんですか……?!」
八重は立ち止まり、体を震わせる。
「簡単じゃないだろう。でも儂の『雷神の相棒』、つまり『おめえさんの父親』もそれを願っている……。」
「あの人は最後までお母さんの側にいなかった……!
その後も、私がその悲しみを乗り越えて、やっと掴んだ幸せ、それまでもが壊れて苦しんだのも知らない……。」
八重は我慢できず叫んだ。
「事情があったんだ……!おめえさんも知っているはず……。
だからこそ、影で見守る道を選んだんだ。どうかあいつを責めないでくれ……。」
「知らないっ!勝手すぎるわよ!
何で人間の母さんを愛したの……。何故私を産ませたの……。お父さん……。」
近くの木に額を着け、泣きながら恨めしそうに爪を立てる八重。
「ごめんな……。」
冠羽がやった事ではない。しかし、友人の代わりにただ頭を下げた。
そこに、熱を帯びた風が通る。
奥から四つ足の何かがやって来る。
揺らめく九本の尾。
いろはだった。
速さを緩めず、勢いをつけて縦回転し、その長いを尾を叩き付ける。
狙いは冠羽だった。
冠羽はふわりと上空に後ろ跳びして避ける。
「やはりここか……。あの墓のある場所の隣村だったな。
クソの青鬼の作った霧の結界……。
通りで途絶えた匂いと気配があっても上手く見つけられない訳だ。」
「いろは……!」
いろはは尻尾で八重を包み込むようにして庇う。
「向こうで鷹文を読んだ……。
頼光殿の命令だ、『赤鬼の姫』を連れて直ぐに帰るぞ……!」
いろは荒い息遣いで言葉を絞り出している。
尾から紅の火の粉が舞っている。
「姫?まさか、珠ちゃんのこと?」
八重はいろはから少し離れようとする。
しかし、いろはは八重の腕を甘噛みして無理矢理腹の方に引き寄せる。
八重は少し怯えた顔をする。
「おめえさんも相変わらず……、いやちょいと悪化してるな。
その子はその子だ。似ていても『彼女』じゃない。
その子の保護者だと思うなら、解き放ってやったらどうだ?」
冠羽は一触即発のいろはに警戒する。
「俺は『彼女との約束』を守り、八重の望みを叶えてやるだけだ……。」
「本当にそうか?……その子の復讐心を利用してるだけじゃねえのか?」
冠羽は毅然とした態度で問い質す。
「黙れクソ鬼……!早く鬼の小娘を連れて来い……!
でないとてめえの素っ首噛み千切るぞ!」
いろはは歯を剥き出しにして唸り声を上げた。
「いろは、落ち着いて!」
「ふー。分かった、分かった。」
冠羽は軽い調子で宥め、村の方に向かう。
八重も付いて行こうとしたが、いろはが腕を噛んで離さなかった。
(八重からあの黒い鬼の匂いがする……!
……二度と同じ事を繰り返させるか!)
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