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6.
洞窟の中のかまどや岩の調理台のある、料理場らしき場所から湯気が漂っている。
中では獄鬼が包丁で野兎を捌いており、隣では釜の中でボコボコと湯が沸きたっている。
また天井に取り付けられた梁からは風太、ゆき、雀、お仙が逆さまの状態で縛られて吊るされていた。
風太は自分の隣で吊るされている仲間達の様子を心配そうに見る。そして今度は反対側で同じように頭を下にして吊るされたイノシシを見る。
イノシシは既に血抜きされ、臓物を抜き取られ、頭以外の皮を剥ぎ取られている。
その下には手桶が置かれ、捌く過程で流されたと思われる血が溜まっていた。
「僕たちもう終わりだよ……。」
雀はぐったりとした様子で呟く。風太はぎょっとした表情を浮かべた後、雀を睨む。
「やめろ……!すずね姉ちゃんが助けを呼びに行ってるんだぞ!」
「鬼の前では僕らは無力だ……!全員かじられて、引き千切られて……。
お父さん……お母さん……!」
雀は震えだした。
その姿を見たゆきが泣き喚きそうになり、風太は慌てて宥めた。
お仙は深く目をつぶりながら恐怖に飲まれそうになっている子供達の声を黙って聞いていた。
「さあて、へっへっへっ。次はお前らもじょぉる(料理する)か……!」
獄鬼が出刃包丁を片手に近寄って来る。
泣いていたゆきと雀が黙り、子供達の表情は凍りついた。
「誰がいいかなぁ?返事してごらん?」
「おお!加助!加助や!」
急にお仙が大声を上げた。子供達と獄鬼が一斉にそちらを向く。
「ああん?何だこのババア。おかしくなっちまってるのか?」
お仙は気に留める事なくずっと叫び続ける。
「お前さん、掟とはいえ私を山に捨てた事を後ろめたく思って戻って来てくれたんだねえ。親孝行な子だよ!」
「うるせえぞババア!黙らなきゃ先にぶっ殺すぞ!」
獄鬼が怒鳴り声を上げる。
「本当に優しい子だよ……、おかえり。」
お仙は大声を止めていつもの優しく穏やかな声でそう言った後、何かを確信したように微笑んだ。
タッ
「!」
壁を蹴るような小さな音がした後、獄鬼は背後を振り返った。
その時には飛び蹴りを放つクセ毛の少年が視界一杯に映っていた。
顔に蹴りが入り、獄鬼は悶えた。
「体を突き破れない……。こいつ、いつも戦う野良鬼より固い。」
夜光は蹴りの手応えから相手の様子を見る事にする。
「夜光兄ちゃん!」
風太が歓声を上げる。
「みんなお待たせ!」
夜光が獄鬼を引きつけてる間、すずねが皆の縄を解く。
怒り狂った獄鬼はその巨体に合った丸太のような腕を振り回し、夜光を捕らえようとする。
その風圧で周りにあった物が壊れて散乱した。
獄鬼が夜光を壁に追い詰める。
夜光は獄鬼の腕の動きに沿うように身を反らせ、素早く腕に跳び乗り、更にその勢いを保ったまま、大きな背中に跳び乗る。
獄鬼は更にそれを捕えようと手を振り回すが、夜光は構えながら好機を待つ。
そして獄鬼の両腕が背中に回った瞬間、前面に跳び降りながら首の太い血管左右二本を爪で引き裂いた。
獄鬼は呻き、首から血を噴き出たせる。
出血多量でフラつき、釜の湯煙に突っ伏して呻く。
やがて動かなくなった。
「へっ。湯加減はどうだい?」
夜光の背中にブラ下がってたカムナがカタっと顎を開く。安堵する夜光の代わりに、勝ち台詞を言ってみせた。
「やった!」
すずねや子供達が歓声を上げる。
しかし、再会の言葉を掛け合おうとしてる所を雀が遮った。
「待って、こんな事してる場合じゃない!
僕たちが縛られている時、おたま姉ちゃんが何処かに連れてかれるのを見たんだ!早く助けてあげて!」
*
洞窟の広い場所で火を焚く者がいる。
そこは昨夜、夜光と洞窟の住人が夕食を共にした場所だった。
しかし、今いるのは鬼の紫檀と縛られたおたまだった。
紫檀は胡座をかいてゴザの上に座り、盃の液体をすすりながら、時々床に置いた巻き紙に筆で何か書き込んでいる。
よく見ると筆先に付いた液体も盃に注いだ液体も、全て血だった。
「鉱山を開くための報告書もまとまったし、珍しい酒の肴も手に入ったし悪くない旅だったな。」
食事中ということもあって頭巾を外している。目元と頬骨に暗い薄化粧を施した中性的な顔と、女のように綺麗にまとめた赤髪が露わになっている。
額の角と黄金の目以外は、ほぼ人間と違いない姿だった。
「へえ、鬼が鉱山ねえ。人間の猿真似かい?」
おたまが嘲笑うように言い放つ。
横になった状態で手足を縛られいる。その横目は終始紫檀を睨んでいる。
「戦の為だ。お前たちを完全に家畜にするためのな。
そのように強がっていられるのも今の内。」
「……にしても。」
紫檀がおたまを見下ろしてニヤッと笑う。
血のついた筆先をおたまの滑らかな頬に置く。
「男の真似事の下に見える、色香と気性の荒さ。
これは喰って終わりは勿体無いな。」
力を込めて柔らかな肉に筆先を埋めさせながら、頬から首、首から着物の下の胸元へとゆっくりと滑らせる。
燭台の火が、薄く汗ばんだ肌の上の赤い筆跡と、歯を食いしばって呻くおたまの表情を照らす。
「私の血を与えて餓鬼にして、手駒としてずっと手元に置いてやろうか?鬼が下等動物を同族に迎えてやるなど滅多にないことだぞ。」
おたまの肩を掴んで無理やり身を起こし、耳打ちする。
おたまは紫檀の方を向き、顔に唾を吐き捨てた。
「御託はいい。早く子供達を解放しな!」
「っつ。……女狐が!」
紫檀は舌打ちして目を大きく開く。わなわなと震える手でおたまの襟を開いて、八重歯を肩に突き刺そうとする。
「……!」
肩に歯を当てた時、紫檀は何かに勘付いたように洞窟の出口の方に顔を向けた。
おたまを突き放し、立ち上がる。
「外の獄鬼どもがやられている。
この匂いは……鬼か……?」
「夜光?!あんたなんでここに……。」
夜光はいつもの無表情で紫檀に近づく。
拳はギュッと握られ、体にはいつもより力が入っていた。
「すずね。俺があいつと始めたらおたまの方に動け。
その後はどうにかして外へ出ろ。」
「う、うん。」
すずねはいつもよりはっきりとした口調で話す夜光に不安を覚えながら頷く。
「……それとカムナを宜しく。きっと汚すから。」
首に巻いていた白い髪の毛を外し、カムナと一緒に手渡す。
カムナは何か言いたげに小さく唸っていたが、何も言わなかった。
「夜光!あなたもやばかったら逃げてね。絶対!
先に外に出た風太達と待ってるから。」
夜光は射るようにずっと紫檀を睨んでいる。
「殺し合いはもう始まってる。多分、こいつからは逃げられない。」
「その姿……貴様どこの一族だ?その髪色じゃ赤鬼ではなさそうだが。
餓鬼と獄鬼とも違う、私と同じ人鬼か……?
人鬼ならば『血の主』がおろう。仕える主の名は?」
紫檀も夜光も構えずただ対峙するのみであった。
「俺は一人だ……!」
まず夜光が走った。
「唯の野良の鬼か……。」
紫檀は腕を組んで嘲笑った。
夜光は回避行動を取れる限界まで懐に入り、最小限の動きであらゆる急所へ突きを放つ。
紫檀はその速さに合わせて身を翻して後退する。
やがて夜光の手刀を捕らえる。
「成る程、相手に悟られない動きで血の噴き出す急所を狙うか。鬼は傷の治りが早い分、大量の出血で弱体化するからな。
小柄なお前が『下級の鬼』と戦うにはいい策だろう。」
夜光は掴んだ手を外そうと手首を捻らせ、紫檀の足元をすくう体勢を取るが、その手は少しも力を緩めない。
夜光の細い腕をそれと同じ位の細い腕が、骨を軋ませて今にも折ってしまいそうな勢いだった。
「そう、野良鬼や餓鬼、獄鬼などの『下級の鬼』ならね……。
お前、人鬼と戦ったことが無いんだろう?まあ、出会ったら生きてる方がそう無いがな。」
「どうしよう、カムナ!」
すずねがおたまの縄を解きながら、手に持ったカムナに呼びかける。
「人鬼ってなんだい?」
おたまもカムナに尋ねる。
「確か上級の鬼から力を与えられたとか言う……、お偉いさんの鬼達の腰巾着だ!
あの馬鹿……厄介な奴に喧嘩売っちまったみてえだ。普通の鬼以上の奴とやり合ってどこまで持つか……!」
カムナが低い声で唸る。
「そんな!」
「っく!」
夜光は顔を歪め掴まれた手を強張らせ、小さな青い炎を爆発させた。
紫檀がわずかに力を緩めたその隙に、距離を取る。
「ああ、『鬼火』ね。あまり使いたくなかっただろうなあ。それは結構体力を使うから奥の手だったはず。
まあ、私達は何の問題なく十分出せるがね。」
紫檀は額の角から青く揺らめく帯のような物を漂わせる。
夜光は紫檀の方を振り返りながら素早く後ろへ駆け出した。
「まずい!嬢ちゃん、どっか隠れろ!」
カムナが叫ぶ。
後ろから紫檀の放った鬼火が渦を巻いて迫り、爆発した。
「きゃっ!」
「すずね!」
おたまがすずねを庇う。
とっさに隠れた岩の後ろで、すずね達が頭を低くしながら悲鳴を上げる。
土煙がやむ。
紫檀は焚き火の跡の上でうつ伏せに倒れている夜光を見つける。
「弱い鬼に生まれた自分を呪いな。」
紫檀は夜光を嘲笑い、止めを刺そうとする。
夜光は足音が自分の前で止まった時、手に握っていた焚き火の灰を紫檀の顔に投げつけた。
「このっ!」
目を抑えた紫檀の腹に、夜光の手刀がかすめる。
急所は外されたものの、紫檀の横腹からは血が滲み出ていた。
紫檀は追撃の構えを取った夜光を力任せに殴る。
「我が主の血が……!」
そして、額の角を更に長く伸ばすと同時にその体を醜い怪物へと変化させた。
<ここまでの新しい登場人物>
・赤鬼の一族で天鬼の富路が従えている人鬼。
血を与えた主がパワーファイターでその力を受け継いでおり、同じく力任せに戦う。
弱い者は知的に見下すが、強い者には話術巧みにへり下っていい地位を手に入れようとして来た。下賤なものを見下し美学を重んじるが、戦う時は全て粗暴になる。
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