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7.
「我の血を流すことは、我が『血の主』を傷つける事と同じ……!
我が主人の力に恐れ慄き、死ぬがよい!」
紫檀が艶めかしく自分の肌を全て破くと、その下の暗い赤紫の皮膚は木の幹のように硬くなり、荒々しい形状の突起が生えた。
また体は痩せた体からは想像出来ない程筋肉が膨れ上がり、手下の獄鬼達よりも大きくなった。
最後に刀のように鋭利な一本の角が生え終わる。
髪飾りや紐の破片を撒き散らしながら、鬣のような赤い髪を振り乱した。
先程の人間に似た姿の紫檀の面影はなく、獣よりも禍々しい化け物の姿になっていた。
「何だい……あれは。」
おたまが怯えるすずねを庇いながら、呟く。
その場に居た者は今まで見たことが無い凶悪な鬼の姿に震撼した。
「夜光!撤退だ!撤退しろ!」
カムナが叫ぶ。
自分の3倍程もあるその巨体が洞窟の地面をヒビ割れさせながら突進して来るのを見、夜光の思考は一瞬停止した。
『死』と言う感覚が彼の頭を過ぎったのだった。
(背を向けたら確実に、……死ぬ!)
その僅かな隙は紫檀にとって接近するのに十分な短さだった。
紫檀は岩のようにゴツゴツとした拳で夜光を掴み、力一杯地面に叩きつけた。
その際、衝撃で激しく砂や岩が舞い上がり天井の一部が崩れた。
夜光の体は叩かれた衝撃で地面から跳ね上がり、再び地面に落下して仰向けで叩き付けられた。
頭からは血が流れていた。
その無防備な状態に再び紫檀の拳が振り下ろされる。
夜光はそれを一度受け止めるが、その重い突きに抑えきれず胸に衝撃を受けて苦しみに喘いだ。
紫檀は雄叫びを上げながらもう片方の拳を何度も夜光に叩きつける。
夜光を叩く度興奮状態が酷くなり、振り下ろす強さも激化していった。
「どうした!!人間の擬態なんか止めて俺と同じ『鬼の姿』に変化してかかって来い!」
紫檀が勝ち誇ったように嘲笑う。
「夜光が……死んじゃうよ!」
岩陰からすずねが声にならない叫び声を上げる。
夜光が激しく殴られ血を流す度に顔を背けていた。
おたまがカムナに詰め寄って頭の辺りを掴む。
「カムナ!あんたも妖怪だろ。奴を倒せそうな方法は?」
「……あることには、ある。」
「それは?」
「あの半端者の馬鹿は、普段あまり血を飲まなくても下級の鬼をぶちのめせるだけの力がある。
だから無理やりにでも血を大量に与えたら奴と互角に戦える力が出せるかもしれない。」
「わかった。」
おたまはすずねが回収していた刀を持って立ち上がる。
「待て。お前の血をやる気か?」
「外に行って食べさせる獣を仕留めてくる暇はないだろう?」
「確かにあの馬鹿は普段自分から人間を襲わないマヌケだが、『鬼』に変わりない。
人間の血に生理的欲求が抑えられなくなってお前の血を吸い尽くすか、暴れてお前らを見境なく喰い殺すもしれんぞ。
……まあ妖怪の俺にとっては、どうでもいいことだが。」
カムナは一方的に殴られる夜光を見ながら淡々と話す。
「わかった……。」
おたまは刀を抜き、鞘を投げ捨てる。
「ちょっと、お姉ちゃん!」
おたまはすずねの方を見る。
険しい顔を一瞬止めて、歯を見せて笑った。
そして、いつもの仕事に出かける時のような調子で言う。
「すずね。……後は頼んだよ。
私達と同じあの子を、一人ぼっちで死なしたくないんだ……。」
夜光は朦朧とした意識の中、自分の体が浮いていくのを感じた。
それは幼少の頃、鬼との戦闘で何度も経験した感覚だった。
紫檀が夜光を両手で掴んで握り潰そうとする。
「はあああっ!」
そこへおたまが助走を付けながら高く跳び、人間の首くらいの太さの紫檀の太い指に刀を突き刺した。
しかし、鬼の硬い皮膚には刃先が刺さる程度にしかならない。
おたまは地面に着地した後、もう一度跳ぶ。
そして槌で釘を刺すように刀の柄を強く両足で蹴る。
刀が深く刺さった指から血を流し、紫檀は唸り声を上げた。
そして夜光から手を離した。
夜光におたまが駆け寄る。
「邪魔だ!」
紫檀は手から爪を伸ばしながら、二人まとめて叩き飛ばした。
「!!」
夜光はおたまが夜光の頭を両腕でしっかりと包み込んでいるのを感じ、目を開けた。
赤メノウの玉が付いた簪が弾け飛び、長い髪が解けるのが見えた。
二人は吹き飛ばされて一緒に地面に転がる。
夜光は両手を突いて上半身を起こそうとしているおたまを見た。
着物のあちこち破けた箇所から見える素肌からは血が流れている。また、みぞおちから腹の辺りは特に濃い赤で濡れていた。
紫檀の爪が深く貫いたようだ。
「何で逃げてない……!」
夜光は声を絞り出す。
「あんただって逃げずに戦ってたろう……!」
おたまもまた震える声を喉から絞り出す。
「俺は弱かったからこのまま負けて死ぬだけだ……、何でお前まで死にに来る……!?」
おたまは精一杯の大声を上げた。
「ただ死にに来たんじゃない!助けにきたんだ!
……あんた、こんな所でこんな奴に負けて死んじまったら悔しいだろ?!」
「悔しいって……?」
「今までだってそうして来たはずだ。
鬼と辛い戦いをしてきたって話してくれただろ?
それはあんたが無意識に負けたくない、親に捨てられようが、それでも生きたいって望んだから、勝ち残って来れたんだよ!
だから諦めるな!」
そう言い終わるとおたまは血で手の平を真っ赤にしながら酷く咳き込んだ。
「なら俺とあんたに今何が出来る……。
終わりだ……!
弱いくせに、無駄死にだって分かれよ……馬鹿!」
夜光は顔を背けながら声を荒げた。
「……終わらないさ。私達はあんたを信じる……。
あんたは自分自身を信じるんだ……。夜光。」
おたまが震える手で着物の襟を大きく開くと、真っ赤なみぞおちから鮮血がボタボタと流れ出す。
流れ落ちた血が夜光の顔に降りかかる。
そしてその血は頬に幾重にも流れ、切れた唇の隙間に流れ込む。
夜光は再び視線を戻し、おたまの顔を見た。
(温かい……。)
夜光の脳裏に、知らない場所や人物の顔など、いろんな情景が走馬灯のように駆け巡った。
その途中で、ある女の姿が浮かぶ。
腰まで髪の長い女。
それは大分昔に見た記憶で、それが誰なのか覚えていなかった。
鬼や魑魅魍魎で埋め尽くされた森の中ー。
自分に覆いかぶさり、背中から血を流しながら安心したような笑みを浮かべた妙な女。
(そうだ。あの時も……。
そうまでして何故俺を生かした……!
何故……俺などを!!)
夜光は喉に溜まったその液体を飲み込み、黄金色の瞳を鋭く光らせる。
その光は片側だけに留まらず、もう片方の栗色の瞳も黄金へと変化し、同じように輝いた。
*
すずねは入り口に向けて洞窟を走る。
『お姉ちゃん、私が行く!こんなことになったのは私がお姉ちゃんの言いつけを守らなかったから……。それに私が死んでも、お姉ちゃんがいれば皆んな無事に暮らしていける。』
『馬鹿だね……!
そんな無茶をして来たのも、本当は一番に家族の事を考えてたからだって分かってるよ。
……私は出会った時ここの用心棒になる約束をして、その後もあんた達を守る代わりにあんた達からずっと『この家』を宿として借りてただけ。
今、その礼をしに行く。ありがとう。「洞窟の主、すずね」。』
おたまと交わした会話が何度も頭の中を巡る。
「最後の最後でそんな他人だったみたいな演技しないでよ!
私達は血の繋がった本当のお姉ちゃんのように思ってたんだから!」
ふと、夜光達が戦っている洞窟の奥からおぞましい雄叫びが聞こえてくる。金属を擦ったような高音と獣の声が混じったような音だった。
後ろが急に明るくなり、すずねは後ろを振り返った。
遠くに青い炎に包まれて輝く、鬼のような影が見えた。
「夜の色、黒い鬼……。」
黄金の目と一瞬目が合い、すずねは怯えて立ち止まった。
*
辺りは燃え盛る青い鬼火で包まれていた。
「なんだ鬼に変化出来るのか。下鬼らしい品の無い気味の悪い色だ。」
紫檀が目の前の『黒い鬼』を見下ろす。
その鬼・夜光は紫檀の半分程の背丈しかなかったが、禍々しく妖美な化け物の姿をしていた。
クセのある銀の髪を雲のようになびかせ、立派な二本の角と五爪を持ち、黄金の目を虎目石のように鋭く輝かせる。
力強い身体を覆う、鎧のように硬く黒光りする皮膚は、歩く度に月夜の海や、深い森のような色に輝き揺らめいていた。
カムナは目を閉じたおたまの隣で、夜光を黙って見ている。
「あの馬鹿……とんでもないものを隠してやがった……。
なれるじゃねえか、チクショウ!」
紫檀は夜光を引き裂こうと両腕を振り下ろす。
夜光は堂々と立ったまま、それを難なく受け止めた。
「!」
紫檀は自分の腕が夜光によって動かなくなっていることに驚き、蹴りを放って距離を取った。
手は離したものの、その蹴りも仰け反ったのは紫檀の方だった。
(なんだこの力と硬さは……。
それに下級の鬼でも人鬼でも出せない無い妖力……!
まさか我が主人と同じ……?!
いやそんなはずは……、『天鬼(あまき)』がこんな所に居るはず無い!)
紫檀は角に帯状の妖気を集め纏わせる。
夜光も同じように妖気や鬼火を角に集中させる。
やがてその二本の角は、熱した鉄や炉のように空気を熱しながら緋色に輝き辺りを照らし始める。
「待て!何故お前が『その技』を使える!?」
紫檀が怯えた様に叫ぶ。
夜光は輝く角を紫檀に向けたまま、白い火の粉を銀粉のように撒き散らし、銀の鬣を振り乱して走り出した。
紫檀もまた心を決めて吠えながら走り出す。
両者が交差した時ー、その肉に角を貫き通したのは夜光の方であった。
(まさか……こいつは『あの鬼』が十数年前に人間の女に産み落とさせたという……、
『酒呑童子・緋寒(ひかん)』の倅!)
角が刺さった紫檀の腹の傷口から真っ黒な煙が上がり、業火が彼を包む。
夜光は業火の中で悶え苦しみ暴れる紫檀の背中に両手を回し、五つの指の爪を突き刺して硬い皮膚やその下の筋肉を引き剥がす。
炎の轟音に混じって、獣の息づかいや皮や肉を裂く音だけがしばらく洞窟に響き渡った。
「……キサマはオニか?ヒトかそれとも別の……バケモノか。
いずれにせよオマエは、オニに、一族にホロビをもたらす……魔だ。」
体が炭の様になった化け物が最後の言葉を口にして崩れ落ちる。
夜光は燃え続ける青い業火の中で、洞窟の外まで突き通す程の声量で遠吠えした。
*
洞窟の外は日が落ちかけていた。
薄暗い草むらで、すずねとお仙、子供達が何かを囲んでいる。
煤だらけで、目をつぶったままのおたまだった。
「よりにもよって若いお前が……。」
お仙がおたまの額を撫でる。
すずねは泣かずに、ただおたまの手を握りしめていた。
「まだ、これが残っていた……。」
いつもの人間の姿に戻った夜光が近くの木につかまりながらフラフラと歩いてくる。
手にはおたまの玉簪を持っていた。
「夜光兄ちゃん……。」
目を涙で腫らした子供達が暗い顔を上げる。
その中で雀が立ち上がり、石を投げつけた。
「お前達のせいだ……!
お前達が、鬼が来たから!お前達さえこなければ!
あの時と同じ……最初は本物の母さん、今度はお姉ちゃん……。
お前達が僕から二度も母さんと呼べる人を奪ったんだ!」
「やめろ雀……!
おたま姉ちゃんが悲しむぞ!」
風太が涙を拭いて止めさせようとする。
「行けよ!どっか行っちまえ!」
雀は止めず、咽び泣きながら何度も何度も夜光に石を投げつけた。
血を飲む事で傷が塞がった肌を、投げられた石がまた抉って血を流させる。
それでも、夜光は微動だにせず無表情で子供達の方へ歩いて行く。
おたまの前でしゃがみ、簪を手に持たせてやった。
「大事な、戦いの証……。」
そう呟き、近くに居たカムナを拾って何処かへ歩き出す。
「待って!」
夜光が街道に出ようとした時、すずねが走って呼び止める。
息を整え、目を合わせる。
「夜光……ありがとう。
ごめんね。まさかこんなことに……。」
夜光の表情は変わらない。
「鬼とこうなるのも、人間に石を投げられるのも慣れている。
俺は『半端な鬼』だから。」
「夜光は全然悪くないよ!
命がけで戦ってくれた事も、お姉ちゃんの仇をとってくれた事も、感謝しても仕切れない……。
だから……。このまま一緒に!」
夜光はすずねから視線を外し、歩き出す。
「俺は、行くよ……。
人間といると変な気持ちに、何故か胸が痛くて苦しくなるから……。」
「待って……!せめてこれ。」
すずねは簪を夜光の腰帯に刺す。
「あげる。……今はこんな事しかできないけど。
きっと旅の安全をお姉ちゃんが守ってくれる。」
再び歩き出す夜光に、すずねが呼びかける。
「またいつか……!。
その時だって、みんなで楽しくご馳走食べて笑ったりできるように、いい『お家』にしておくから!
また戻って来てね!」
すずねは振り返らない夜光をずっと、ずっと見守った。
*
しばらく歩いてから、夜光は夕焼けで黄金色の光に照らされ草むらの中で立ち止まる。
「カムナ。」
「ん?また忘れ物か。」
カムナがぶっきらぼうに返事する。
「俺はまた生き延びている。何故だろう。」
夜光は手探りで腰帯の簪に手を触れる。
赤メノウの玉はわずかに温もりが残っていた。
カムナはため息をついた。
「さあな。
……人間達が勝手にそうした事だ。
お前は『鬼』だろう?気に病む事じゃねえ。
まあでも、まだ美味いもの食って、暴れられると思えばいいじゃねえか。
少なくとも俺はお前をこき使っていた方が、飯に困らないがな。」
「そうだ。俺は『鬼』。
……そうだ。」
夜光はカムナを両手で持ってじっと見つめた。
「なんだよ……。」
「カムナ……。
焦げ臭い。なんか煤けて汚い。」
「はあん?!」
「どっかに川は……。」
「てめえから真面目な話しといて勝手に話題を変えるな!アホー!」
日が落ちた後も空には夕日の赤が残り、優しく滲んでいた。
(黒む鬼・完)
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