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0話/闇行く鬼
薄暗い森の中、土砂降りの雨が降っている。
辺りには焦げた妖の肉片が散乱していた。
その黒炭の世界の中に生きている者がいる。
10代半ばの華奢な少年と、腰まで長い髪を持った女だった。
少年は目を閉じている女を黙って抱いて、その女の背に布を当てがっていた。布は血で滲んでいる。
そこに大人用の長い着物を羽織った幼子が裾を引きずりながら、ヨタヨタと歩いてくる。
白い肌に、クセのある黒髪、目は片方が栗色、もう片方が黄金。
人間の子供となんら変わらぬ可愛らしい顔であったが、額には小さな突起を生やしていた。
鬼の子供であった。
少年が疲れ切った顔を上げる。
そして鬼の子を突き飛ばした。
「お前らがいなければみんな幸せでいられたんだ!姉さんも、姉さんでいられたんだ!
お前なんかここで殺されるか、勝手にどこかへ行って野垂れ死んじまえ……!」
少年は憎悪を込めて罵った。
鬼の子は訳がわからず、泣くこともできず、立てないままそこに座り込んでいた。
「鬼なんか死んじまえ!鬼め!鬼め!鬼めえ!」
歯をむき出しにして何度も泥を掴んで投げ付けた。
泥だらけになった鬼の子は無表情のまま立ち上がり、雨に打たれながらとぼとぼと歩き出した。
やがて森の陰に入り、その姿は見えなくなった。
* * *
雨がしとしと降っている。
地面は泥と雨水が混じり合い渦巻き、時には何処かへ流れて行く。
そんな汚水の水溜まりに墨色の建物が映る。
倒壊した門だった。
2階建ての構造になっているこの門は、屋根に瓦が貼り巡らされ両端に角飾りが付いた立派な門だったようだ。
しかし今見る限りでは壁面の殆どは黒くススだらけになり、屋根や梁(はり)が焼け崩れ、建物全体が右に傾いていた。
この世が今のような乱世となるより昔、この門の奥には栄えた都市があった。今は建物や塀が崩れてその面影は殆ど無く、地面には雑草一本さえ生えていない。
主要都市の一つとして機能していたのも、政を行い帝を保護する立場にあった『将軍』がある戦いで敗死する以前の話。
今の世は一つの国が地方を統治する事が出来なくなり、それに代わって地方の国々が力を増して潰し合う戦の世となっている。
そんな事情で都市運営が成り立たず、衰退しやがて解体されたこの場所。今ここに住みたがるのは廃墟を好む盗人などの悪人、もしくは貧しさから仕方無くこの地に流れてきた者だけであろう。
しかしここ最近はそんな人間達さえも殆ど姿を見かけなくなった。
いや、『すぐにいなくなってしまった』と言った方が良いかも知れない。
門の2階から怯える女の声がする。
「嫌……。来ないで!」
そこはほぼ真っ暗闇な部屋だった。雨の日の頼りない外の光が小さな格子窓から差し込みはするが、それは極一部しか闇を照らしてくれない。
そんな部屋の奥に人間の親子がいる。
一人は女、もう一人は5歳位の子供。母親が子供を庇っていた。
怯えた親子の視線の先から濁った低い声が聞こえてくる。
「痩せてはいるが両方とも柔らかそうだな。お前どっち喰う?」
暗闇に浮かぶ、黄金に光る4つの円。
よく見るとその円の周りは黒くて濃い影になっており、荒々しい呼吸と共に一定の間隔で揺れ動いていた。
大きさはそれぞれ親子の2倍位で、頭らしき部分に長い突起があった。
2匹の鬼だった。
鬼とはーー。
時折、山から降りて来る人型の生物。妖の一種とも見なされる。
人間より一回り以上の大きさである事が殆どで、筋肉質な体に巨木の幹のように硬化した皮膚をもち、鋭く尖った角を前頭部から生やしている。
闇夜では虎目石のような黄金の目がより一層光る。
特にこの2匹は『野良鬼(のらおに)』と言う種類で、人間が野菜や魚を当たり前のように食べて糧にするのと同じ様に、『血の流れる生き物』を平然と捕まえて喰う。
勿論『血の流れる生き物』には人間も含まれる。
「俺は子供がいいな。臭みがないし、滑らかだからな。」
「じゃ、俺は女。香りが良くて脂がのってそうだ。」
鬼の一人が丸太のように太い腕を伸ばす。鎌のような五爪が鋭く光る。
母親は子供を庇って後ろへ押した。逃がす為だ。
するともう1匹の鬼が母親の腕を引っ張る。
「お逃げ!」
「お母さん!」
しかし子供は逃げ回る間もなく、すぐに鬼に捕まってしまった。
鬼たちは抵抗する二人の親子を力尽くで抑え、手足を引っ張ったりしながら着物を食い千切ろうとする。
破れた衣服の繊維の締め付けや、関節を無理矢理曲げられる痛みで子供は悲鳴を上げた。母親は顔を歪めて止めるように訴える。
「痛いよぉっ!わああああ!」
「やめてっ!!私を食わせてやるからその子だけは逃がして!」
そんな鬼たちが騒がしくしている後方で何かが光る。 白骨化した人間の頭蓋骨。その両目に青白い火が灯っていた。
「……全く、ここも騒がしいな。
妖避けの札もないし人間が寄り付かないからいいと思ったら、野良鬼の宴会場かよ。
雨は冷たいが別の場所へ行くか。『夜光(やこう)』?」
このくぐもった男の声は頭蓋骨から発せられている。
この生物は『ムクロカムリ』と言い、人間や動物の骸骨に寄生する妖怪であった。
ムクロカムリの灯りが側にいる少年らしき人物の膝元を薄っすらと照らす。
少年は頭蓋骨を膝に乗せ、壁に背を預けて座っていた。『夜光』と、名前を呼ばれた主だろうか。
夜光は白く長い髪を襟巻きのように首に巻いている。その髪はムクロカムリから生えたものだ。
夜光自身の髪はクセのある黒髪で、それで両目や口元が隠れて表情はよくわからない。
「……いや終わるの待って、残飯にありつかせて貰うのもいいな。ああ、久しぶりに完熟じゃないが人間の髄が吸える……。」
その時、夜光が無言で立ち上がる。
「何だ?!急に立つな!小便か?!」
急に手を離されたムクロカムリは夜光に絡ませた髪の毛のお陰で落ちずに済んだ。夜光の胸元でブラブラとぶら下がる。
「『カムナ』、うるさい。」
夜光は抑揚の無い声でボソッと呟く。
そしてカムナと呼ばれたムクロカムリを背中の方に投げ、白い髪も邪魔にならないよう肩に掛けた。
「坊や!!」
「騒ぐな!仲良くしゃぶり尽くして骨にしてやるから……うん?!」
母親を押さえつけている鬼が、背後の夜光に気が付く。
「まだ誰がいたのか?
痩せっぽちの男に用はねえ!どっか行けや!」
鬼は喉から濁った声を絞り出して吠える。
しかし、夜光は微動だにしない。
鬼は苛立ち、棍棒のように固くなった腕を上げる。
そして夜光の頭めがけて振り下ろした。
だが、夜光は無傷だった。
「お前!?」
夜光が鬼の腕を受け止めたのである。重いはずの鬼の腕を軽々と押し上げていった。
「調子に乗るな!チビが!」
鬼は母親を放り出して、もう片方の腕を振りかざす。
鎌のような爪で夜光を引き裂こうとする。
夜光は鬼の腕を掴んだまま素早く後ろに足を引き、その足を軸にして背中側に回り込んだ。
そして鬼の背中を、か細い腕で突く。
腕は勢い良く鬼の硬い皮膚を貫いた。まるで鋼の槍のようだ。
「えっっっ……!!」
鬼が焦燥の表情を浮かべた時、夜光は既に腹まで腕を貫通し終えていた。
夜光が素早く腕を引き抜くと、鬼は怯えた獣のような声を漏らした。腹の穴と口から真っ赤な血を鉄砲水のように流す。
その返り血の一部はカムナにかかった。
「わーー!!臭え血が体に付いた!
もうちょっとよく考えてから抜け!ヘタクソ!」
無表情で血を噴き出す鬼を見る少年。
その顔を、格子窓から入るわずかな光が照らし出す。
中性的な顔立ちに、目は片方が栗色、もう片方が黄金だった。
年齢は10代後半に見える。体型は痩せ型で、身長は高くもなく低くもない。
怠そうな目付きと石のように動かない表情が少し不気味だった。
そして先程は暗闇ではわからなかったが、額の辺りには黒髪の隙間から伸びる短い2本角が見えた。
獣のような野良鬼とは違う、人に近い姿をした鬼だった。
子供を食べようとしていた方の鬼は、ほんの数秒の出来事に呆然とした。
慌てて子供を捨て、身を低くしてニィっと笑顔を作る。
「な……おい!お前も鬼か?!その見た目は人間にでも化けているのか……?
兎に角、同じ鬼同士、餌の人間ならこのままやるから無駄な殺しは止めような?な?」
夜光は聞き取り難い程小さな声で呟く。
「鬼の仲間なんていない。人間も食べたくない。」
クセのある黒髪から黄金の瞳を覗かせ、じっとりと睨む。
虎に睨まれた兎の気持ちになる鬼。
耐えきれず身構えて飛びかかったが、喉元に手刀を突き刺されて絶命した。
母親と子供は身を寄せ合い、戦慄した表情で夜光を見る。
夜光は少し怠そうな足取りで親子に歩み寄る。
子供は決心して拳を握りしめて、母親を庇うように立ちはだかった。
膝が笑っていたが、ガチガチと鳴りそうな奥歯をしっかり噛み締め、口をへの字に結んで夜光と目を合わせている
子供の行動で我に返った母親もまた慌てて子供に駆け寄って庇う。
夜光はそれをただぼうっと眺めていた。
夜光の脳裏にある女の姿が浮かぶ。
腰まで髪の長い女。
自分に覆いかぶさり、背中から血を流しながら安心したような笑みを浮かべる妙な女。
それは夜光が大分昔に見た記憶で、それが誰なのか覚えていなかった。
「『あの時』もそうだった。
弱ければ死んで無くなるだけ。
見込みがなければ、生きていても辛くなる。
……なぜ庇うんだ?」
母親ははっきりとした声で言い放つ。
「見捨てて生きていけましょうか。……親ですもの。
今は弱くとも、身も心も満たされる時が来ると信じて、この子の明日を繋げる為にこの身を捧げるのです。
子が先に死んだらこの老いた身に、あと何が残りましょうか。」
夜光は今一わからないと言うように首を傾げた。
「今がままならないのに、明日のことを言う。
人間の親って、変なの……。
とても変な気持ちになる。」
夜光は興味を無くしたように踵を返して、部屋から去っていった。
* * *
外は雨が上がり、雲間からやんわりと夕日が差していた。
「あーあ。勿体無い。いっつも食い物になりそうな人間を生かしちまって。
……にしても夜光。
気まぐれなお前が、何で親子だけすぐに助けに入ろうとするのかね……。
昔おかーちゃんとなんかあったのか?」
夜光は立ち止まった。
そして徐に首に巻いていた白い髪の毛を外して、カムナを深めの水溜まりに投げ込んた。
「え、ちょ、やめ!ガボボボボボボ……。」
「カムナ、さっき血で汚れたから。」
夜光はボソっと呟いて袖をまくる。
「っぷふー!だからって芋みたいに洗うな!」
「なかなか落ちない……。」
「くそー!
頭抜けてるお前に真面目なこと聞いた俺がバカだった!」
(闇行く鬼・完)
<登場人物>
・鬼と人間との間に生まれた特殊な鬼。
過去のトラウマのせいか鬼でありながら人間を食べたがらない。
中途半端に短い二本角、片目が黄金、癖のある黒髪をもつ。
小袖を着崩し、頭骸骨のついた長く白い髪をマフラーの様に首に巻いている。頭骸骨はムクロカムリという妖怪・カムナが寄生している。
勘鋭く洞察力があるが、感情表現に乏しく人の感情を深く理解できない。反面、自分の意思に素直で、表裏のない無邪気な性格でもある。
・『ムクロカムリ』という、人間や動物の骸骨に寄生する妖怪。本体はガマガエルくらいの大きさで腐肉や脳髄を吸う為の長い舌を持っている。
髪の長い女の頭蓋骨に寄生している。
皮肉屋で悪知恵が働くが、詰めが甘いので大概計画通りにならない。
夜光とは腐れ縁のような関係。
<登場した敵>・山奥で獣のように自由気ままに暮らす鬼。
食性は肉食を好むが、飢えてれば植物性の餌も食べる。食料が足りなくなると時々山から里に降りてきて農産物を荒し、人を襲って食べる。
体色は褐色など地味な個体が多い。
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