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 その男がバケモノを見たという噂は瞬く間に広がった。  隣村からさらに隣の村へ。やがてはお城のお殿様の耳にまで届き、男はお殿様に呼ばれることとなった。  慌てふためいたのは男である。  隣村までの使いが面倒くさくてついた嘘だとは言い出せるはずもない。 「バケモノを見たというのは其方か?」 「へ、へぇ……ッ!」  村の庄屋の家が馬小屋に見えるほど広い部屋の奥で、一段高い席に座った豪華な着物の男が鋭い目つきで小汚い男を睨んでいた。 「正直に申してみよ。バケモノとはいったいどのような姿をしておったのか」  無論、そんなものはわかるわけがない。 「え……ええ……そ……、それがですね……」 「足は何本であった? 目は? 口は? もしや頭が三つか四つほどついていたのではあるまいな?!」 「は、はぁ……ッ、足、は普通に二本だったような……目は二つ……鼻も口も一つずつで頭も一つで……」 「ええい、ハッキリせいッ!! ではどのあたりがバケモノだったのじゃッ!! よもや、人を喰っておるところでも見たのではあるまいな?!」  激しい口調で矢継ぎ早に浴びせられる質問に、男の頭はあっけなく限界を迎えた。 「お……お許しくださいぃぃぃぃッ!!」 「な、今なんと申した?!」 「オイラ……い、いえ、それがし、本当はバケモノなど見てはおらぬのですッ!!! 遠方への使いが嫌でつい、この口があらぬことを……ッ。お殿様を騙すつもりなど毛頭なかったのでございますッ。どうか…どうか何卒お許しをぉぉぉぉッ」  キョトンとした顔で一瞬黙った後、お殿様は人が変わったように朗らかに笑いだした。 「ははは。よいよい。そもそもバケモノなど余も初めから信じてはおらなんだわ。面白そうな噂であったからどのような物かとからこうてやろうと思っただけじゃ」  はっはっは。声高に笑い続けるお殿様にただただ頭を畳にこすりつけて礼を言い続ける男。 「苦しゅうない。そなたはまっこと正直な男じゃ。村に帰って正直に話し、村の者たちを安心させてやるがよいぞ」  男が側近の者たちに連れられて退室した後、豪華な着物を着た男はごく小さく呟いた。 「……勘のいい男じゃ」  夕刻ごろ。城の地下で刀を腰に差した着物姿の男が二人、暇そうに話していた。 「それにしてもぶったまげたぜ。まだバケモノを見たなんて言い出す奴がいるとはなぁ」 「ええ。私も驚きましたよ。もうこの国は全て入れ替わったものとばかり思っていましたが」 「まだ食い残しが紛れていたとは……笑わせやがる」 「本当に。あの噂を聞いた時は腰が抜けるかと思いましたよ」  その男がバケモノでないという噂を聞いた時には。
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