後輩が上司になりまして。【バレンタインver.】

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 パタンとしまるドア。  瞬間、壁に押し付けられ、いわゆる壁ドン状態で課長、否、恋人はこちらを睨んだ。 「どういうことですか先輩」 「えーっと、なに、かな」 「とぼけても無駄ですよ」  恋人はもう片方の手で軽く沙菜の頬をつまんだ。 「今日の朝、二人きりになった時そわそわしてたくせに、全然俺にチョコくれないから、デートの時に渡してくれるんだろうなーとか喜んでたのに、どうして俺より先に別の人に渡すんですか」 「そ、それは仕方がなくない?」 「仕方がなくないから怒ってるんですっ」  ムスッとした表情は課長とは思えないほど幼稚なもので、沙菜は小さく笑って、頬をつまんだ手に自分の手を重ねて「ごめんね、皇君」と謝った。 「私の特別な気持ちは、その、皇君だけだから、あんまり気にしてなかったの」 「そ、れはまぁ、そうじゃないと怒りますけど、だからと言って最初に俺にくれないのも癪に障ります」  壁についていた手を剥がし、沙菜の腰を引き寄せる。  顔が近づいたのでそのままキスをするのかと思いきや、皇は沙菜の肩に顔を埋めて「かっこわりー」と呟いた。 「どーせちんけな嫉妬ですよ。ガキみたいだって分かってます。先輩が配るチョコはあくまで感謝の気持ちだってことも分かってるし、俺へのチョコは大切なものだから、デートまで待っててくれてるんでしょ」  ぐりぐりと鼻頭と額を押し付けて言う。 「でも腹立つー。俺が最初にもらいたかったのにー。やっと先輩が俺のもんになったのに、先輩は相変わらず先輩だしなぁ」 「それで皇君のこと、傷つけてる?」  小さく訊ねると、「いーや」と埋めていた顔を少し浮かせて、今度は頬を乗せる。そして軽く首筋に口付けた。 「先輩らしくて、好きだから尚更複雑なんでーす」 「ん、ちょっとっ」  ちゅっと音を立てて口付けられた首筋に跡は残らないだろう。  それでも全身が震えそうになり、沙菜は両手で彼を押した。 「チョコっ、みんなに配るやつの一つだけど、持って来たからっ」  ポケットに手を入れて、それを取り出す。  包み紙に入った小さなチョコレート。袋詰めされているもので、単価にしたら数十円のものだろう。 「今はこれで許して」 「まぁ先輩からのものなら何でも嬉しいけど」  皇は押された分の距離を詰めることはせず、チョコレートを受け取った。 「これも皆に配るんなら、彼氏である俺には少しおまけしてくれてもいいよね?」 「え?」  カサカサ、と袋を開け、皇はチョコを取り出す。そしてそれを口に入れるのかと思いきや、「ん?」沙菜の唇に押し当てた。 「食べて、先輩」 「っ――――!」  まさかのそれに、沙菜は顔を真っ赤にさせて唇を閉じた。  だが皇の指の温度と唇の温度で溶けてきそうなそれに、皇は「溶けちゃうよ」と沙菜を急かす。 「~~~~っ」  沙菜はゆっくりと口を開ければ、口腔の奥まで入れることはなく、歯と歯の間くらいのところで止めて、皇は前かがみになってそのチョコに舌を伸ばした。  ペロリと舐める感触はチョコにしかない筈なのに、キス以上に恥ずかしいことをされているような気がしてならない。  またチョコを舐めて、それからその少し溶けたチョコと彼自身の唾液を刷り込むように沙菜の唇を辿った。 「んっ」  ぴくっと反応すれば、改めて腰を引き寄せられ、もう片方の手で顎を掬われる。そして唇が重なり、チョコの半分を齧り取られた。  そのまま咀嚼して食べるのかと思いきや、ドロリと溶けたそれが沙菜の口に残っているチョコに舌で塗りたくられ、そしてその舌で奥へと押し込まれる。  自然と沙菜の舌も動き、二人でチョコを溶かし合う。  甘い甘いチョコレート。  二人で飲む時の缶コーヒーよりも甘いそれはどこか新鮮で、けれど二人の気持ちのような感じがして、沙菜は両手を皇の背中に回して強く抱き着いた。  コクン、コクンと飲み込むものはチョコよりも唾液の方が多いだろう。  はぁ、と二人で熱い吐息を吐き出せば、やはり甘ったるい匂いがする。 「先輩……」 「ここ、会社なのに……ばか」 「その言い方、めっちゃえろい」  腰を抱き寄せる手がどこかやらしく撫でるのを、沙菜は「す、すとっぷ!」と上手く回らない呂律で言えば、「分かってます」と皇は唇の端に口付けた。 「イチャイチャすんのはデートの時、でしょ?」 「もう十分イチャイチャしてると思うんですけど?」 「俺は全然足りないです」  ムッとしつつも、どこか楽しそうな皇に沙菜は笑って「まぁ、ちょっと嬉しかったけど」と告げた。 「皇君って意外と独占欲強いよね」 「今更でしょう」  そう言って、顎を掬っていた手が沙菜の後頭部から髪の毛に指を差し入れる。そしてまた口付けて、少し乱暴な舌の愛撫に、「ぷはっ」と逃げるように唇を剥がせば、耳元で皇が囁いた。 「もう誰かにチョコ渡すの禁止。渡すなら明日にしてください。これ以上俺より先に渡されたら、仕事中にも関わらず彼氏としてその場でキスしますよ」 「ちょっと……」 「牽制って必要だと思うんですよね」 「もう……」  大きく溜息をついて、沙菜はもう一度皇に抱き着きなおす。そして今度は沙菜が皇の耳元で囁いた。 「それじゃあ皇君は本命のチョコは受け取らないこと」 「それはそうしますけど」 「もし本命のチョコを受け取ったら、」  ちゅっと彼の耳たぶを甘噛みした。 「全部私が口移しで食べさせるからね」 「っ~~~~!」  皇がその耳を押さえた瞬間、沙菜はその腕から逃げて距離を取る。  ニコっと笑って見せれば、「先輩、最近意地悪ですよ」と唇を尖らせた。それがなんとなくしてやったりで、沙菜は「そう?」と首を傾げた。 「本命をもらわなければいいだけでしょう?」 「口移しでは食べたいんですけど」 「じゃあ本命のチョコを受け取れば?」 「…………」  苦渋の決断をするかのような顔つきになってしまった皇に、沙菜は「嘘だよ」と笑って言った。 「今日は缶コーヒーやめようね。チョコの後に飲むと苦く感じるから」  その代わり、 「私の家でホットココアと一緒にチョコあげるから、待ってて」 「っ、デートの後、先輩の家に行っていいんですか!?」 「そしたら課長、私昼休憩取ってきまーす」 「ちょっ、先輩!」  出て行こうとすると手首を掴まれる。  それに振り返って、必死な顔の皇に微笑んで鼻頭にキスをした。 「甘いものは後のお楽しみってね――ってうわ!」  今度こそ出て行こうとすれば、また抱きしめられ口付けられる。  まだ若干チョコの味がする唾液をぐちゅぐちゅと掻き混ぜられ、口角からそれが零れ出した。 「すめ、らぎくんっ」 「楽しみにしてますね、先輩」  それを舐めとって、先にドアに手を掛ける。 「口移しのチョコ、約束ですよ」  そう言ってそのまま部屋を出て行った。  それをしばらく見つめてから、沙菜はやらかしたと壁に背中をついて溜息をつく。 「こういう時の皇君に、まだ勝てたことがないんだよね」  自分の方が年上なのに、部下であることのみならず恋愛偏差値まで劣るとはどういうことか。 「でもまぁ」  そういうところも許せるし、好きだからいいんだけどね。  そう笑っていられたのもつかの間で。  そういえば用意した皇へのチョコレートは、フォンダンショコラだったことを思い出し、それを口移しでどうやって食べさせたらいいのか悩む羽目になったのは自業自得であった。 END
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