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「写真すらないのよ」  ちゃぶ台に肘をつき、物憂げな表情で溜息を吐きながら、母がそう呟いた。一戸建ての広いリビングダイニングの中、四人掛けの大きなテーブルの一席を長時間陣取っては仕事の書類を読み耽る事が多かった母に、この六畳一間と小さなちゃぶ台という光景はひどく似合わなかった。カレーライスと抹茶オレを同時に摂取するような、そういうちぐはぐな印象を僕は抱く。 「写真って?」  水筒にお茶を注ぎながら尋ねる。 「しゅうちゃんの写真に決まってるじゃない」  母は僕の手元を眺めながら答えた。しゅうちゃんというのは、秋一(しゅういち)という僕の兄のことである。秋に生まれた一人目の子どもだから秋一。春に生まれた二人目の子どもである僕は春二(しゅんじ)という名前だ。なんて安直なのだろう。 「せめてケータイがあれば、データが入っていたんだけど」 「お母さん、着の身着のまま僕と逃げたもんね」 「全部あの人が悪いのよ」  あの人というのは、僕のお父さんのことである。つまり母にとっては旦那で──いや、今となっては元旦那になるのだろうか? そういう法律の詳しいことは僕には分からない。とにかく母は父を嫌っているのだ。  前の家から持ってきたリュックサックに水筒とハンカチ、それからおやつ代わりに昨日の残りのご飯を丸めたおにぎりを詰めていく。特別お気に入りのリュックだというわけではないが、鞄は今これしか持っていない。 「あんな人に連れて行かれちゃって……。しゅうちゃん、元気にしてるのかしら」 「大丈夫、元気だよ」  最近の母はこうして鬱状態で悲しみに暮れることが多々あり、そんな時に何を言っても無駄だと分かっているので、僕は流れ作業のように淡々と言葉をかけた。そんな僕に、母は訝し気な視線を寄越す。 「まるで会ったみたいに言うのね」  ぎくりと心臓が跳ねた。これ以上墓穴を掘らないよう、慌ててリュックサックを背負う。 「それじゃ、行ってきます!」 「暗くなる前には帰るのよ」 「分かってるよ」  背中に投げられた言葉にそう返し、僕は勢いよく玄関を飛び出した。
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