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『拝啓、父さん、恭兄、美三子。俺は元気です。演劇学校は大変だけど毎日が充実していて楽しいです。』とだけ書かれた手紙を賢二はぐしゃぐしゃに丸めてランベス橋から投げ捨てた。こんな嘘っぱちを書くぐらいなら音信不通にした方がマシだ。
前田賢二は今年三月の高校卒業と同時にロンドンに渡り、九月にテムズ川近くに位置する演劇学校に入った。そこは決して規模は大きく無いが舞台以外にも国内外の映画やテレビでも活躍する大物の役者を出している歴史溢れる学校だった。その学校に入るにはオーディションが三つも必要で毎年千人以上が受けるのに学校に入学できるのは五十人足らず。その中に前田賢二が在ったことは本当に幸運だったと言わざるを得ない。周りはもっと凄かった。背も鼻も高くハンサムな容貌という目に見える物理的な存在感も去ることながら、精神的な存在感も賢二を圧倒させた。彼らは絶対的な自信を持ち、自分が受かると確信していた。たった一人の日本人でツテも無い賢二は誰と話すでも無くいつも一人に居たので周囲から浮いていた。特にジェームズ・アビントンという金髪碧眼の典型的な欧米人で、やれダンスはできるのか、何か劇団に入っていたのかその劇団の名前は何だ、としつこく質問責めした。どの答えにも「No」と答えると嘲るように爆笑した。賢二はその場では何も答えなかったが、アビントンが一次試験で落ちたと聞いて大いに溜飲が下がった。やはり実力がものを言う、人種など関係無いと胸がスカッとしたものだった。
それはどこまでも当たっていて、どこまでもシビアだった。候補生の中でも順位付け、格付けは存在し、オーディション時よりもはっきりしていた。賢二の成績は五十人中四十番代であの中では圧倒的に劣等生だった。順位一桁の入学性は全員欧米人で黒髪黒目に、顔の凹凸も無い東洋人を内心見下しているのは明らかだった。それ以外の候補生は最初こそ話しかけてきたものの、他人とつるむのが苦手な賢二に居心地の悪さを感じ、やがて誰も来なくなった。肝心の授業も芳しくなく、一番得意としていた演技すら先生に叱咤されるようになった。入学して二週間、賢二だけ一度も褒められたことが無い。今日など自分のせいで劇が何度も止まってしまい、とうとう出て行けと怒鳴られた。賢二は返事一つして校舎を飛び出した。スマートフォンも財布もロッカーだ。何にも無し。あったのは上着の中に入っていた書きかけの手紙だけ。それも今、川の中で役立たずの代物になった。
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