叫び声よ、鐘を鳴らせ

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 ウィリアムが捲し立てるのに比例するように賢二の我慢と忍耐は限界に達していた。賢二は密かに周囲を見回したが、橋を渡る人間は訝しげに見るか、気味の悪い表情で足早に通り過ぎるかのどちらかで誰も助けてくれない。これはもうウィリアムの言う通りにしないと解放される望みがないことを悟った。 「……分かりました。やります」と賢二は観念した。「俺が演じるのは妻子を相次いで亡くして絶望する男です。妻は交通事故で死にますが、明らかに相手側の過失なのに有力なコネクションがあって無罪放免になってしまいます。男は遺された子どものために立ち直りますが、今度はその子どもが銃乱射事件で殺され、犯人は生きて逮捕したもののも精神疾患の気があってそれほど重い刑に服さないことが分かります。今から演じるのはその男がこの世に絶望して今から自殺を遂げる場面です」 「うん、どうぞ」とウィリアムが頷いて腕を上げた。賢二は立ってウィリアムをジョーンズ講師に重ねた。よし、今度こそ唸らせてみせる。 「三……二……一……アクション!」  パン! と手が打たれた瞬間、賢二は表情を絶望のそれに変えた。演技をしている間、前田賢二はいなくなる。全く別の人間、別の存在、別の立場に早変わりする。その瞬間が一番好きだった。何者にもなれるからだ。子どもの時からの夢だったスーパーマンにも、学生になって知った世界中の偉人にも、知識が増えるにつれて二面性があると考えることが増えた犯罪者にも何にでもなることが許される。 『神に言うべき言葉はただ一つーーー呪われろ!!』  最後の台詞を口にした瞬間、パンと手が打たれた。演劇は終わり、前田賢二が戻る。賢二の心にあったのは確かな満足だった。確実に絶望する男になりきった充実。そして今の演技なら誓い通り散々駄目出しをしたジョーンズ講師と落ちこぼれ、成り上がり、紛れ当たりと嘲る同期生たちを見返せるという確信だった。 「ケンジ……」賢二の気分とは裏腹にウィリアムの声と目は淡々として静かだった。「君は今、何を考えて絶望する男を演じたんだ?」
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