雑貨店の春へ

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雑貨店の春へ

 「ありがとうございました。」  店の戸を閉めると、向こう側から声がする。  特に何も買わなかった。ふらふらっと寄ったつもりで雑貨店で、色々眺めてから高価なものすぎて諦めたのだった。  それでも、店主は、私に向かって『ありがとうございました』なんて言ってきた。  多分もう二度とこの店主にも、この店にも足を運ぶことはない。  すーっと涙が頰を伝った。泣きたい訳じゃなかったのに…。いつも行動は、考えていることの正反対に進んでく。  バックの奥底からスマホを取り出して、「Miyu」という連絡先を一気に削除した。これでもう、何もかも終わりだ。  電話もメールも繋がらない。トークアプリとかのアカウントも全てブロックした。  私たちの関係性は、赤の他人としての新たな旅路に足を踏み入れた。誰ももう繋ぎ止められることは無い。  これで、新たな道をお互いに進める。「さようなら」だ。  その言葉に負の意味はない。お互いの発展を願って別れるのだ。  <Miyu>の雑貨に出会ったのは、3年前のこと。私が友達と喧嘩したのを思い出して、終わった話ながらに泣いて着いた家路の途中。  新装開店のお店だった。木目調の温もりのある店内に、夕陽がこれでもかというぐらいに美しく差し込んでいた。  ガラス張りの戸を開けると、カランコロンと戸の上部の鈴が音を立てた。  店主らしき男性の人物は、カウンターにいた。しかし、ピクリともせず、こちらに目も向けなかった。黙々と何か作業をしている様だった。  無愛想な店主だと思った。しかし、その後に、その男性が、 「Miyu come here.It is time to welcome the new guest.I need your help」 と言った。  店の奥から、綺麗な黒髪の女性が出てきた。彼女は、澄まし顔で、 「いらっしゃいませ。どうぞごゆっくり」 と言ってきた。  だから、私は男性が店主でないと分かった。そして、黒髪の女性の美しさに羨ましさを覚えた。  3年も通い詰めて自分のお金で買えたのは、たったの3つだけ。高価すぎて、一般庶民には、定期購入が難しい。  けれども、家にはダンボール3つを余裕でパンパンにする位に、沢山の<Miyu>の雑貨がある。  店主が善意からプレゼントしてくれたのだ。と、思いたかったのだが、今日はその真意を偶然にも耳にしてしまった。  私と同じく常連の栗原さんという人が店主に、 「善意でこんなに沢山常連にプレゼントして大丈夫なんですか?」 と訊いていた。  すると、 「プレゼントですか?違います。」 とあっさり否定し、 「それは非売品です。所謂ゴミです。」 と少し笑みを浮かべる様な顔で言った。  驚いた私を前に栗原さんは、 「Miyuさん、またご冗談を。謙遜するところではありませんよ。」 と言った。  店主は、 「私が謙遜しているとでも?ご冗談を。」 とニンマリと笑うと、 「だってそれは全てJohnが貴方たちのためにと作った物ですよ。そんな物売れますか。そんな浮気男の汚らしいもの。」 と言った。  戸から、隙間風が入ってきた。鳥肌がたつほどに、場が凍った。  「Johnとはもう別れました。だから、別に変に気を使わないでください。でも、もし出来るなら、そちらの方はもうここに足を運ばないでください。もう私の前に現れないで。」 私の方を指差して、少し涙目になりながら言った。語尾は、怖いくらいに強かった。  栗原さんが、 「何故ですか?」 と訊くと、 「彼女がこの店に来た日の彼が、1番上機嫌で1番私が好きな彼だったんです。今思えば、彼は私より貴方といたかったのかもしれない。そう考えると辛いんです。私さえいなければって。そして彼に嫌われる様にいろんな手を使いました。それで別れたんです、私達。私は想いが残ったままで。分かってます。過去の話だって。今でもこの店は赤字経営で、我儘は言えないと分かってるんです。それに自分で言って馬鹿らしいと。でも…。」  もう彼女は、続きを語れないと知った。そして、彼女の悲しみの原因は私なのだとも知った。  その場にいたたまれなくなった。栗原さんももうこれ以上は、探るまい。  いろんな手というのは、友達のことも使ったりしたのだろう。その度に何を想われただろうか。そして、どんなに嫌われるのが辛かっただろうか。  私にはまだ未知の領域だ。申し訳ないけど、辛いのだろうということしか分からない。  私は、そうして今日店から出た。というか単純に逃げ出した。申し訳ない気持ちになった。  店主の気持ちを想うと、涙を流さずにはいられまい。涙を拭うのに使ったハンカチはもうグショグショに濡れていた。  実は友達になりたくて、店の公式アカウントとずっと連絡をとっていた。でも、彼女を苦しめたくない。  冷たい風が無情にも私を撫でる。涙が止まらない。街の人から見れば明らかに変人だ。  もう、どう思われても構わない。  そう考えると、無性に叫びたくなった。 「ごめんなさーい。」 スッキリしない。  街はそろそろ春を迎える。美しい春だ。  私のために苦しんだ、Miyuさんに美しい出来事があります様に。  心の中で何度もお祈りすることにした。
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