闘技場のケモノ

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「さあ、おまたせしました!当コロシアムの看板!世にも珍しい獣人!トゥルクの登場です!」  司会が口上を述べると観客は湧き立ち、円形闘技場の門に視線が集まった。開いた門から人の形をしていながら皮膚が深い紺色の毛に覆われ、頭部は狼のようにせり出している獣人・トゥルクが威風堂々と現れた。  トゥルクは闘技場の中心まで歩いていくと、アォーンと狼のように雄叫びを挙げる。その声に応えるように観客は湧き立ち、トゥルクの名を叫んだ。トゥルクもまた観客の声に手を掲げて応える。  トゥルクは円形闘技場をくるりと見渡した後、司会とその奥に鎮座する天蓋の席に向けて一礼した。 「ご覧の通りトゥルクは狼の血をその身に宿した男!対する剣闘士は幾人もの獣人を打ち倒してきた狩人!アウレリウス!」  アウレリウスと呼ばれた剣闘士もまた、観客から多くの拍手によって迎えられた。門から出てきたアウレリウスは胸部と腰回りに鎧をつけ、小ぶりの木盾と直剣を両手に掲げてアピールした後、観客と司会に一礼をする。 「両者、位置に!」  司会の号令で両者は位置につく。観客は闘いが始まるのを今か今かと待ちながら口々に両者を鼓舞、もしくは囃し立てる声を投げかけた。 「始め!」  司会の号令と共に、両者はじわりじわりと距離を詰めていく。トゥルクは腕をだらんとさせ、アウレリウスは前方に盾を構えながら。円を描くように互いの間合いを図っていく。  先に仕掛けたのはトゥルクだった。前にかがみ込むようにして地面に手をつくと、跳ねた。左手の爪で鎧の隙間の腹部を狙い一閃する。それをアウレリウスは盾を掲げ、爪を受け止めながら受け流す。ガリガリと音を立てながら木製の盾に深い五本の溝が刻まれ、トゥルクとアウレリウスの位置が入れ替わる。  トゥルクが着地したのと同時に、アウレリウスは盾を掲げながら突進し剣を払い上げる。それをトゥルクは横に転がりながら避け、そしてまたアウレリウスに凶爪をもって襲いかかる。今度は盾を持っている左手ではなく剣を持った右手に目掛けて。  アウレリウスもそれに剣を横に一閃することで対応しようとする。しかしアウレリウスの剣は空を切り、それよりも早くトゥルクの爪がアウレリウスの腕に食い込み、引き裂く。少量の血が当たりに飛び散った。  剣を避けようとして体勢を崩したトゥルクの爪はアウレリウスに致命傷を与えるには至らなかった。アウレリウスは荒い息を整えると、大きく叫び声を上げながらトゥルクの胸に向かって剣を突き刺そうとする。アウレリウスの喊声に反応が遅れたトゥルクは上体を反らしつつ腕で剣の機動をずらして致命傷を避けようとするも、その結果としてアウレリウスの剣はトゥルクの腕の毛皮を裂き、血が飛び散る。  両者が手傷を負って血をポタポタと流すことで観客はヒートアップし、更に戦え戦えと歓声を上げた。  その歓声に呑まれる事なく、トゥルクとアウレリウスは冷静に相手の動きを図る。再びトゥルクがアウレリウスに飛びかかり、戦闘の口火を切る。最初と同様にアウレリウスは盾を掲げて爪を受け流そうとし、それを予想していたトゥルクは盾にしがみつき、そのまま自身の重さでアウレリウスから盾を奪い取った。アウレリウスも盾を手放すと同時に剣で追撃を図るも、それは空を切る。  両者が再び姿勢を整えると、アウレリウスは剣を両手で持ち、トゥルクは盾を構えた。 「アアアアォオオオオオオオオオンンン!!」  空気が震えるような大声でトゥルクが叫ぶと、盾を両手で構えて走り、そして突っ込んだ。トゥルクの喊声に気圧されたアウレリウスは身体を硬直させたままそのタックルをまともに受けて、後ろに倒れ込み、その手から剣がこぼれ落ちた。トゥルクはアウレリウスを盾と体重で押さえつけたまま手を挙げると、鬨の声を上げた。  観客はトゥルクの名を叫び、その武勇を讃えた。司会の男が天蓋に囲まれた席に座る豪奢な男から何か指示を受けた後、再び声を上げた。 「両者直れ!楽にしてよい!」  トゥルクはその声を聞いてアウレリウスの上から退くと、盾を脇に投げてアウレリウスに手を差し伸べた。アウレリウスは胸に手を当てて苦しそうにしながらも立ち上がると、トゥルクと共に玉座に向けて膝をついた。 「アントニウス王は両者の武勇を讃え、そしてアウレリウスに恩赦を与える!」  観客は司会の声を聞き届けると、口々にアントニウス王の慈悲を称える声援を送った。アウレリウスはその言葉を聞き、ほっと胸をなでおろした。続けて司会がトゥルクと、彼を応援する観客に向けて言った。 「これまで多くの名試合を行ったトゥルクにアントニウス王より直々の月桂冠を戴く名誉を与える!」  その言葉を受けて観客はおお、ついに、とトゥルクのこれまでの闘いぶりから納得する者の声と、彼の闘いを見れなくなることを悲しむ者の声、そして万雷の拍手をもってその功績を讃えた。  その言葉を聞いたトゥルクは、 「ありがたき幸せ」 と面を伏せたまま応え、口許を歪めた。  トゥルクはアントニウス王の前まで衛兵に連れられると、衛兵に促されるまでもなく手を後ろ手に組むと膝をつき、頭を垂れた。槍をもった周りの衛兵は爪という凶器が後ろ手に回されたことに少しホッとしながら、それを見守った。  アントニウス王は玉座からゆっくりと立つと、トゥルクの目の前まで歩き、言った。 「トゥルク、これまでの貴殿の闘いに敬意を表し、この月桂冠を与える」  お決まりの言葉をアントニウス王が読み上げると、側近に持たせていた月桂冠を手に取ってトゥルクの頭に被せた。 「今日を以て貴殿は自由となる、面を上げよ」  トゥルクは満面の笑みを浮かべながら顔を上げ、 「そなたを――」  その言葉が終わる前に、アントニウス王の首元にかぶりつき、噛みちぎった。トゥルクの狼のような歯で首の肉を強引にちぎり取られたアントニウス王が、言葉にならない声を発しながら膝から崩れ落ちていく。トゥルクは血生臭く反吐の出る肉をペッと吐き捨てた。  悲鳴と血の匂いに満たされる中、周りの衛兵が槍を持って突撃してくる。世界がゆっくりと動くように見えながら、今はもう話す者のいなくなった言葉でトゥルクは静かに吐き捨てた。 『我が一族の報いを受けるがいい、バケモノどもめ』
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