第一章 コーコ視点 雪国の朝は遅い

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「コーコちゃん、そろそろ買い出しに行かない?」 酒場の奥さん・・・いや、私のお母さんが、ドアから少し顔を出して私に呼びかける。丁度皿洗いが終わったので、私はお母さんと一緒に市場へ行く事に。 市場が開くのも、当然午後。農家は野菜を、魚屋は魚を、その他の売り場でも何かしら売っている。 城下町の方に行くと、お店の規制とかが厳しいけど、田舎町の市場では、普通の住民が自宅で採れた野菜も売っている。 取引はお金の時もあれば、物々交換の時も。大抵お金の取引が主流だけど、あんまりお金を持ちすぎても、この村では宝の持ち腐れ。 市場には、宝石などの高価な品は売られていない。買い手がいないから。でも家を直す時に使う岩などは売っている。 だからお金を貯めたピスタオ村の住民は、決まって城下町まで足を運ぶ。面倒くさいけど仕方ない。 私も数回は城下町に行った事はあるけど、馬を使っても一日かかるほどの遠出。 酒場にいた旅人さんに、城下町からピスタオ村まで、徒歩で一体どれほど時間がかかるのか聞いた事がある。 旅人さん達の歩く速度や天候にもよるけど、最低でも数日はかかってしまうらしい。中には1ヶ月を超えて村まで来てくれた旅人さんも。 雪の多いこの地域では、少し道に迷うだけで、死を覚悟しなければならない。 目印になる様な場所も少ないし、辺り一面真っ白だから、自分が今何処にいるのかも判断できない。 村を出て城下町に行こうとしても、道に迷って再び村へ戻って来てしまう人もしばしば。 でも、村に帰って来られただけでも幸運だ。村の住民の中には、家族や親戚が行方知れずのままになっている人も。 私達の国では、「行方不明者は探せない」という暗黙のルールがある。 探しに行けば、その探しに行った人々が、行方不明者として加算されてしまうから。 雪が溶け始める年の半ばになると、行方不明者の遺品などがあちこちで見つかる。 雪があまり降らなかった今年でも、行方不明者の情報あちこちの村や城下町からしばしば流れていた。 市場の掲示板には、「行方不明者名」という、行方不明になった人と身元が書かれている紙が、必ず貼り出されている。 でも、例え行方不明者として張り紙に書かれていても、見つかる確率は少ない。中には十数年前に行方不明になったままの人も。 別の国からすれば、行方不明者が数多く出ている私達の国は、だいぶ危険な国だと認知されてもしかたない。 私達にとっては、これが当たり前な日常だから。 それに、きちんと気をつけて対策を練っていれば、道に迷う事も、行方不明になる事もない。 その対策などが分からない旅人達は、よく行方不明者となってしまうけど。 だから掲示板にも旅人向けに、「『スガー大国』での旅・注意点と対策」という注意書きを張り出している。 ちなみにこの注意書きは、村にある学校の子供達が、授業で作った手作り。 国によって、勉強する内容は違う。地域の特色や環境などを学ばないと、安全に暮らせない地域だってある。 この雪国にある学校では、普通の数学などの勉強に加えて、雪による遭難の対処法や、雪国ならでばの決まり事などが、テストとして出される。 ちなみに私は、数学などのテストは普通だったけど、雪対策のテストはいつも満点。 「もうコーコ、雪山に住んじゃえば?」なんて言ってくる友人もいた。 雪対策のテストが良い子の職は、大抵山へ赴く狩人が多い。私の住む村でも、女の狩人は珍しくない。 でも私は、やっぱり歌を歌う事が好きだったから、幼い頃から歌の勉強は頑張っていた。 市場へ向かう最中にも、私は歌を口ずさみながら歩いている。 お母さんの話では、私は昔から歩きながら歌う癖があったらしく、迷子になっても耳をすませば大抵見つかったらしい。
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