御殿の場 八汐、千松殺めの場

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御殿の場 八汐、千松殺めの場

ee4a5ab3-4908-4186-8836-8e718b8e81ea 栄御前が顎を勺って八汐に目配せをした。大仰に、恭しく栄御前に頭を下げて八汐は、腰元が捧げてきた白饅頭が五個乗っている菓子台を、若君鶴千代の座っている目の前に置いた。 八汐は、鶴千代に向かって、此れは管領家から若君さまへの御見舞いのお菓子です。おうおう、美味しそうなこと。どうぞお召しあがり下さりませ。と鶴千代に三指を着いて平伏した。 政岡は、白饅頭をひと目見て、此れが小槇の夫の御殿医が作った毒饅頭だと見抜いた。 若君に、食べては為りませぬ。と必死の思いで鶴千代に耳打ちしたが、政岡が毒殺を恐れて極めて粗食な食生活を強いられていたので、若君は食べ物に飢えていたため、政岡の忠告を振り切って本能的に手を出した。政岡は慌てて鶴千代を抱き抱えて食べさせない様に必死で止めた。 9cacdaf3-0b02-4c26-aaa9-4a7b0cb5c94c 何しやる!と栄御前が金切り声で政岡を叱りつけた。それでも政岡は、鶴千代を抱き締めて、饅頭を欲しがる若君の眼を打掛で覆った。そうさせてはならじ、と栄御前が芝居を打って激怒した。無礼者おお、政岡!そちゃ、此のわらわの見舞い菓子を拒否するのか? 何と云う慮外者めが!と意気込んで、帯に手挟んだ懐剣袋の房に手をかけ、巻き付けてある懐剣房紐をひと巻ずつ解き出し、直ぐにでも懐剣をぬきまするぞと、圧力をかけた。管領家からの見舞いの品を拒否されては面目が立たぬ、妾が命に代えても、鶴千代殿の口を割ってでも食べて貰うぞよ。と言って、更に懐剣を抜く仕草をして、鶴千代と政岡の目の前に迫った。 c06263c5-7917-4f38-a3f1-ead38d8f0600 政岡の眼が宙を彷徨った。自分が饅頭を食べようか?それとも懐剣を抜いて不忠者の名を背負って、栄御前と八汐を、懐剣で刺し殺してから、この場で自害して死んでゆくか迷った。政岡に取っては今まで生きてきた時間よりも、永遠の様に長く感じられた。 政岡が思案していたその時、隣に正座していた千松がパッと畳を蹴って、「この菓子欲しい!」と、栄御前が手にしている白饅頭に手を伸ばし、ひとつを掴んで口に放り込みパクリッと噛んで、奥御殿の迎賓の間を駆け廻った。 奇想天外な行動を取った千松を、栄御前と八汐は驚きと憎しみを籠めて眺め、乳母の政岡は如何仕様も無い母親の顔で千松を見た。遊び回っている千松の足が縺れて咳こんで、口からゲボゲボと血を噴水の様に吐き出した。千松が食した饅頭は明らかに毒入りの証拠であった。 93cae845-ad44-4549-a9e2-bd285ca61edc 真っ青に為ったのは、栄御前、八汐そして政岡だった。予想もしない千松の行動に驚く栄御前は、若君毒殺の企てが判らぬ内、妹の八汐に千松を殺める様、目で指示した。 姉の意を介した妹の八汐は、銀蘭の打掛をパッと脱ぎ、紫色の懐剣房を握り、縦に引いて、巻いた房紐ををあっという間に解き、黒鞘の柄を強く握り、懐剣をギラリッと鞘から抜いた。真っ白な綸子の着物の裾を翻し、真っ赤なふきを跳ね上げて、懐剣を片手に握って千松を追いかけ回すが、身の軽い幼児の足は速くて捕まえる事ができない。 dab84501-7293-46fd-9350-467847c2426b やがて毒が回って千鳥足に為った千松を、八汐が懐剣を片手に、ようやく捕まえた。その間の政岡の心境は如何ばかりか?筆舌には尽くせない。「断腸の思い」とは此の時の政岡の気持ちを云うのであろう。何と云う強靭な精神力なのだ! 髪を振り乱した八汐は、右手に持った懐剣を口に咥えて、必死で捕まえた千松を両手に抱き上げて綸子の着付けの膝に乗せた。そして氷の様な鋭い懐剣の刃を一度横に構え、振り上げ、鬼の形相で一気に振り下ろして千松の首筋をグサリと刺した。 5a602492-648c-4e4a-901e-47aecc9a0de9 ブスっ、グエッ 痛い! と千松の悲鳴が挙がったが、政岡は顔色一つ変えない。八汐は突き刺した懐剣で、千松の喉首を力強くグリ、グリ、と何度も抉った。握った懐剣は八汐の手の強さで、千松の首筋深く刺し込まれた。八汐の目がつり上がって般若の顔だ。千松の首から鮮血が噴水の様にビューッと吹き上がって、八汐の顔と純白の綸子の衣装に血汐の飛沫がザザザッと掛った。 dd24bbdc-0bca-4eff-8467-9c3e4acc3f10 殺害を指示した栄御前でさえも顔を背ける惨劇に為ったが、赤鬼と化した八汐は、無礼者、千松そなたが悪いのじゃぞえ、管領家から献上の品を盗み喰い、足蹴にするとは呆れた悪飢鬼じゃ、親の顔が見たいわ。と政岡を睨みつけながら千松の喉首を、懐剣で錐の様に揉んでは、グリ、グリ、と強く抉り、更に懐剣を握った手を大きく円を書くように抉り廻す。八汐は懐に挿しこんでいた手鏡を手に取り、千松の首筋に突き刺している懐剣の柄頭を、トン、トン、トンと叩く。叩くたびに懐剣が傷口を広げる。そして千松のか細い声が大広間に響く。八汐は手鏡を広げ、鏡に映る政岡の表情を伺う。 274de8a4-35fc-4c5c-95ea-c9e71a78946c おのれえ、不埒もの、こりゃ千松、痛いかいのう、苦しゅうないか?此れでもか?此れでもか?苦しゅうないか、痛くは無いか!と、幼い千松のか細い喉首を刺しては抉り廻す。八汐は突き刺した懐剣を一度引き抜き、更に突き刺し、突き立てた懐剣を抉って抉って抉り回す。そして八汐は千松を甚振りながら政岡に問いかける。他人のわしでさえも目を背ける。政岡!そなたの子、千松の首筋に懐剣が突き刺さったさまをみて、なんとも思わぬか!政岡は「何のまああ、管領家からの大切なお菓子を蹴散らした、千松の成敗はお家のため」涙を見せずに気丈に答えた。!そりゃ政岡、見やれ!これでもか!これでもか!これでも悲しゅうないか!と懐剣を突いて抉り回す。懐剣に力を入れるたびに着付けの袂が振れ、金襴緞子の胸高で形の良い、大文庫結びの羽根の垂れが大きく揺れる。その度に千松の苦しむ声。かかさま、かかさま、苦しい!痛い! 政岡はその声を聴いても涙をこらえ、若君を打掛の中に被せてその修羅の場を見せない。政岡の右手は帯に手挟んだ懐剣袋の房に手をかけ、直ぐにでも懐剣を抜いて八汐に襲い掛かりたいが、我慢している。おそばに控える奥女中、沖の井、松島も打掛の中の懐剣袋の房に手をかけているが、涙目で我慢している。栄御前はその政岡をみて、「八汐、更に突け、更に抉れ、慮外者に思い知らせよ!」と声を荒げる。八汐はもう人間では無かった。悪鬼その物だった。千松の声が次第にか細く為って、もう事切れる寸前だった。しかし、八汐は憎しみをこめて懐剣で抉り続ける。 42b81aa2-f69e-4d04-a956-51f2cc58b29b312db481-325f-4f87-b17b-8b8ebf8dff8c
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