EP.1

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◆◇◆  銀盆に乗った合成肉のグリルが、芳香を炊きながらジェット・レミオンの嗅覚をかすめていった。青と白の給仕服を着たウェイトレスの後ろ姿を意味もなく視線で追い、角席の男性のテーブルに置いたところで意識を文庫本に戻す。  国営大衆レストラン【ジブ】店内の込み具合は、週末の夜にしてはまばらだった。決して常に人がにぎわうような派手な店でこそないが、落ち着いた雰囲気と手の届きやすい値段の料理が多いことから幅広い層の客が集まる。  アロイコアにとって食事とは嗜好の一つに過ぎなかった。定期的な充電さえ行えば運動のエネルギーには過不足がないからである。むしろ食費が電気代以上にかさみ、取り込んだ資源を排出する手立て――人によって方法こそ異なるが――をこなす手間のことを思えばもたらす不利益の方が多いように思えた。  それでも祖先の人類が持っていたという三大欲求の一つ、食欲という概念を満たす行為は多幸感をもたらすらしく、多くのアロイコアが食事用のツールを身体に導入している。恋人や家族を連れて至福のひと時を満喫する者もいれば、ジェットと同じように軽食とコーヒーだけを注文して長く居座る者も少なくはなかった。  必要不可欠ではないがだいたいの人は導入しているという意味で、貧困層が集う下部街でもレストランの数は多かった。 『――ねぇ、面白いの? それ』  ジェットの脳内ステレオを伝播して声を上げた高音域の機械声の主については、質量を持ってこの世界には存在しない。彼がプラグインとして導入している人工知能、【アシュリー】によるものだった。  脳内という狭い領域にもう一人の確立した人格と同居することに、末わからぬ恐ろしさこそ伴わせたものの、当時のジェット自身は嬉々として受け入れた。  即興的に多様な思考が求められる自身の仕事にメリットをもたらすことを期待したのが半分、天涯孤独の寂しさを紛らわせてくれる期待で導入したのがもう半分。しかし、数年も文字通り寝食を共にしていると頭痛の種としての機能も持ち合わせていることが判明したのは誤算だった。 ″読書中は語り掛けないでくれと言った筈なんだけど″ 『暇なんだもん』 ″もうじきで約束の時間だから辛抱してくれ″
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