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集中力が途切れ、窓の外に視界を遣る。本日は雨ふり模様で、46インチの窓は斑の雨粒がガラス面を伝っては落ちていった。その背では軒先から垂れる雫がとぎれとぎれの細線を描いている。
4人も並べば道が塞がれてしまいそうな通りに、ところ狭しと立ち並ぶ凹凸の煉瓦ビル群。空間を埋めるように配置された蛍光色のレーザー看板が目の痛くなる彩光を放っていた。
その下を多色の傘が往来し、細道は迷路のように延々と続く。雨音と電飾に紛れたこの街の喧騒を形容するなら、絢爛たるアリの巣の観察キットといった様相。
1000年前、原初のアロイコア、【コアナンバー1】がその自我を自覚した時、世界はまだ人類の生活感が残っていたのだという。
記憶もノウハウもないままに放り出された地で生きていくことを強いられた祖先たちは、1000年前に人類が残した文明の跡を唯一の手掛かりに、それらを倣った、アロイコアという生の様式を長時間をかけて確立した。
その最中で発展した、まるで死体に咲く花のようなこの街に名前はない。誰からか教わることもなく、人々は、荒涼たる大地の一角に根を張るここを【骸郷】と呼ぶ。外の景色については考えたことがなかった。
「いつもその本を読んでいますね」
ジェットの背後から姿を現したのはレストランに長く在籍する女性ウェイトレスで、勤務時間を終えたためか普段は見慣れない私服に着替えていた。肩から合成革のバッグを吊るしている。口元にえくぼがあるのは10年くらい前に流行った外形パーツで、大人びた豊かさに加え、時代に囚われない安定感という価値を揮発し始めしていた。
ジェット個人としては、好みだなとひっそり思っている女性だった。
廉価のジーンズと、フェルトをつなぎ合わせて作ったような造形の悪いセーター。
この街ではポピュラーないで立ちだが、年齢にあわず若々しく見える彼女の躯体もあってか、これから夜遊びに繰り出す支度を終えたようにも見えた。
『――あら、あんたに声をかけてくれる女の人なんて珍しいわね。気があるかもよ』
″ちょっと静かにしてくれ。会話の処理が追い付かなくなる″
「本を読むのにはどんなプラグインも必要ないですからね。金のかからない趣味です」
対比するように、ジェットは自分の服装について考え直した。アシュリーは言及せぬが、何年も着まわしているストライプスーツに袖を通してレストランで本を読んでいるというのは、他に着る服がないレベルの貧困層なのかと勘繰られることもありうる話だった。
手入れこそ小まめに行っているが、年期に勝てるクリーニング法は未だ発見されていない。刷新が間に合わないことはみすぼらしさに直結する。
座席の空いたスペースに丸めて置いているこげ茶のトレンチコートを着込めば、ワーキングプアを探す街頭調査で真っ先にマイクを向けられるような冴えない中年男性型アロイコアが完成する。
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