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「どういうお話なのです?」
あ、席いいですか、と言われるまでもなくジェットは手の先を伸ばして向かいの空席へ誘う。文庫本にはしおりを挟み、表紙を上にして資料を提出するように、さりげなく机に置いた。
「伝統的なミステリーもの、といったところですね。これは人間がいた時代の作品なので、ある意味では古典と呼べるのかもしれませんが。誰かの死をテーマに据えて、その真相と隠ぺいされた動機を推理する物語といえばいいのでしょうか」
なるほどなるほど、と、女性はにこやかにうなづいた。
ジェットの記憶が正しければ彼女の胸元のネームプレートの文字は「ミレナ」だったか。
「まぁ、わたしは本を読んだことがないのでよくわかりませんが」
「実は僕も、わかっていないことがあって」
雨脚が強くなったが、店内に流れるジャズミュージックがそれをかき消した。
「この物語は事件の収束、いわば真相の解明こそが目的地なのですが。登場人物の心情は『犯人を見つけること』が全てなのです。事件の真相に興味があるのは主人公の探偵くらいのもので、舞台上の人物達の思想は全てがそうというわけでもない。それなのに物語は私が知りたい領域を目指して動いていく」
「そりゃあ……」ミレナはちらと腕時計を確認し、もう少しゆっくりできると判断したのかジェットの方を向きなおした。「ジェットさんはあくまでも読者ですから舞台の外です。舞台の内側の登場人物と、外の観衆とでは視点が違いますもの。2つの手綱を同時に握って、観衆の心を揺さぶるために登場人物を動かして目的地を目指すのが芸術作品ではなくて?」
「その通りだ。だからこそ、わからないんだ。その前提があるからこそ」
文庫本の帯を指さした。読者の購買意欲を刺激するための文言が、計算されたフォントと大きさ比率で配置されている。
――圧倒的感情移入!! 衝撃のラストにあなたはきっと涙する!!
「人間は読書の愉しみ方として、感情移入という手段を用いるみたいなのだが、舞台の外と中という決定的な隔たりのせいでそれができないんだ」
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