EP.1

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◆ 「おい、ヴァネッサ」  レーゼル・クインターベイはこめかみに指を押し当て、脳内の通信機構を起動した。コール音を鳴らすことも相手の受話を待つこともなく、ぶっきらぼうに女性名を呼び捨てるが、10秒待っても応答がない。もう一度、語調を強めて繰り返した。  ほどなくして内臓スピーカーが「うーん」と伸びる声を遠くにて拾い、彼女が離れた地点から受話器に向かってくるのが段階的に大きくなる足音から理解できた。椅子のキャスターが引かれた。 「レディを呼び捨てなんてたいそうな男ね」  ヴァネッサが機嫌の悪そうな声を上げながら席に着いた模様。女性の中では低い声帯を導入しているのは、明朗な通話を実現するためのものだ。休日はアイドルと呼ばれる人種の声帯データに差し変えて出かけていることを知っている。  レーゼルは溜息を吐いた。 「また寝てただろ」 「そんな訳ないじゃない」後押しの欠伸(あくび)が続く。 「侵入者を捕まえた。コアナンバーの照合をしてくれ。293818Qだ」 「ちょっと待ってよ。まだデータバンクにアクセスしてるところだから。もう一回言って」 ◆ 「えーっと。ベアリクス・マードマン。【下部】在住の一般男性。AgeVer.は39.11。来月で四十路だったのね」ヴァネッサの語り口は事務処理のような温度で、表示されたデータを読み上げるためだけの無機質なものだった。声色に弾みがなく、ニュースキャスターのような風体で佇む彼女の姿をスピーカー越しに想像するが、あまりにも似合っていないなと思い思考を止めた。 「職業は?」 「登録コードがないわ。現在は職業についていないみたい」 「まぁ、薄々とそんな気はしてたがな」  窓下にもたれかかったままのマードマンは俯いており、レーゼルの言葉にも何一切の反応を示すことはなかった。  それは眠っているのではなく、文字通りの機能停止状態にある証左で、彼が嘱目(しょくもく)しているコアナンバーを心臓部から抜き出す時、秘匿性の強い個体は抵抗感を示す場合もある。  レーゼルが持ち込んだ絶縁錠(ぜつえんじょう)――電力供給を妨げる特殊な磁気で対象の機能を一時停止させる、片腕だけの手錠。バッテリー式の為、拘束し続けられるわけではない――で身動きを取ることも、何かしらを思考することも封じられていた。  この世界の生命体一人一人を識別する「コアナンバー」は、彼らにとっては心臓と同義である「アロイコア」に刻まれている。  野球ボール大ほどの合金製の球体で、アロイコアが物理的接触によって破壊される、もしくは内部電池がなくなって機能が完全に停止してしまうことがこの世界における死の定義だった。  また、そこから転じてレーゼルを始めとした自律機械生命体達は自らを【アロイコア】と包括的に定義していた。
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