17人が本棚に入れています
本棚に追加
「おつかれさまでしたー」
大忙しのバレンタイン営業を終えてへろへろでロッカールームを出る。退勤直後、星児さんから耳打ちされた声がまだ耳に残っている。
「あいつ、いまあがってったよ」
珍しく、チカと退勤時刻が同じだったのだ。それなのに、今日はオレたちにとって大切な日なのに、チカはオレを待たずに先に出ていってしまった。もしかして今日、会わないつもりでいる?
チョコレートがたくさん収まった大きな紙袋の中身は、ありがたいことに毎年増え続けている。人気がどうというより、オレがこのタイムライン∞カフェに存在することをみんなに認められている気がして、素直に嬉しいと思えるようになった。
彼女たちはオレが裏で男のチカと付き合ってるとは知らない。それを隠すことでギリギリやれているのはわかっている。でもそれは、本当はもう既婚者なのにそんなそぶりをみせない岡部さんと、そとがわから見たらなにも変わらないんじゃないか。そう解釈してうまくやり過ごしていこうって、いまは思うことにしている。
仕事のことを考えるとき、星児さんのハッキリした線引きはつくづく羨ましい。彼に言わせれば、「仕事は仕事じゃん」のひとことで全部が済んでしまうから。オレはまだ、そこまできっぱりできてないってことなんだろう。
だからこそ、このままじゃだめだって、そう思うんだ。
「チカ……!」
大きな荷物の中身を振り落とさないように走って、その後ろ姿をようやくとらえた。急いで着替えてきてよかった。
「……サク」
立ち止まり振り向いたチカの表情は暗くて見えないけれど、声のトーンはひどく静かだ。身体の奥がきんと冷えるような緊張が走る。
最近は、髪色を真似たりすることが減ってきた。理由はわからないけれど、チカもチカなりに、少しずつ新しい距離感を模索しているところなのかもしれない。
「チカ。……今日、部屋……行ってもいい……?」
カラカラに渇いた喉が、かすれた音を押しだした。チカが一歩近づいてきたので、明かりがあたってその表情があらわになる。……よかった、笑ってくれた。
「うん。もちろん」
「……チカ」
一気に緊張がほどけて、声がへんなふうに震えた。
「これして」
勘違いしたのか、チカは自分の首に巻きつけていたマフラーを素早くはずし、当然のようなしぐさでオレの首に巻いてくれた。……チカの匂いがする。あったかい。
「……まだなにも言ってない」
「寒いくせに。サクがマフラーしてないとか」
「忘れたんだよ。今朝、バタバタしてて……」
帰りにそのままチカの部屋に行けるようにいろいろ準備してた結果、オレにとっては最重要なはずの寒さ対策すっぽり抜け落ちちゃったわけで。
「さっきまで店にいたくせに、もう鼻の頭赤いし」
最初のコメントを投稿しよう!