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 校舎の一階の廊下は教室よりは風通しがいいため、五、六人の仲間とたむろしていた。湿気のある夏の暑さも、いくぶんかましに感じる。  中心にいる俺を囲む形で、いつもつるんでいる女子と男子が各々思い思いに会話している。盛り上がっていた女子たちが興奮気味に手を叩き、廊下に大きな音を響かせた。そしてすぐに遠慮のない笑い声がつづく。  仲間とつるんでいる時間は楽しい。しかしすべてがいつも通りすぎて、俺は仲間に囲まれながらも暇を持て余していた。 「あれ、薫くん、おはよー」  右に立っている男子が何かに気付いたかのように顔を上げたかと思えば、間延びした声で挨拶をする。気だるげに顔を同じ方向へと向けると、ひとりの男子生徒が身体を縮ませるように廊下を歩いていた。  俯いている顔にかかる長い前髪と、気まずさで硬くなっている歩き方。どこをどう見てもそれは自分の番だった。教科書らしき物とペンケースを抱えているから、移動教室かなにかだろう。  ぺこり、と会釈した薫は足早に俺たちの前を通り過ぎる。すれ違うときに一瞬、前髪の間からのぞいた瞳が俺に向けられていたのを見た。慌てて視線を外すなら最初から見なければいいのにと思う。べつに見られただけでキレたりはしないが、薫はいつも俺と目が合うとびびって俯く。 「雅紀、薫くんに声かければ?」 「いいんだよ、ほっとけ」 「えー、ひどい」  ひどいと言いながらもおかしそうに笑うそいつは俺の肩に腕を乗せる。かけられる体の重さと、絡まれるうっとうしさを払いのけるため、肘で体を押しもどした。またもやひどい、という声が浴びせられる。  よくつるんでいるような連中は薫と俺の関係を知っている。自分たちとは正反対のタイプである薫に興味があるらしく、こうして薫が通りがかったりするといつも何かしら絡んでいた。まぁ薫とは会話らしい会話になったことはないが、声をかけること自体が目的なのだろう、会釈を返すだけの薫に満足げに笑っている。 「でもさぁ、やっぱ番がいるって羨ましいわぁ」 「そうか?」 「そうか?って……その感覚こえーよ」  たしかに、いまここにいるやつらは俺以外全員ベータだ。俺は自分がアルファだと知ってからも番という存在を気にしたことはなかったが、自分にはいることのない相手だとすると、羨ましく思う気持ちも生まれるのだろうか。 「で、どうなの?」 「なにが」 「そりゃあ相性のことでしょ」  にやにやと下品な笑みの浮かんだ顔が俺に向けられる。ただでさえ身体に張り付く夏の空気がうっとうしいのに、さらにうっとうしい絡み方をされてげんなりした。 「さぁな」 「えー、教えてくんねぇのかよ」  期待はしていたのだろうが、俺がそういった話題にのらないと半分諦めていたのか、残念そうに眉が寄るもののからりとした笑い声が上がる。なんかこいついつも楽しそうだなと少し感心してしまった。  乾いた笑い声を聞きながら自分の中に疑問が浮かぶ。番という存在と何をしているかなんて誰であろうとわかりきっているはずだ。別に教えてやっても良かっただろ。それなのになんでその話題を避けるかのようにはぐらかしたのだろう。  考え出した俺の頭に、薫の顔が浮かぶ。行為の最中の、とろりとした顔、うっとりとした眼差し、赤く染まった頬。そして吐息に混ざる甘い声に、俺を締め付ける身体、もっととねだる腰つき。さっき俺たちの前を緊張気味に通った薫からは想像もできない乱れた姿。  相性という言葉では生ぬるい、本能と本能が混ざり合い、お互いの身体が溶け合うかのような強い感覚。言葉で説明をするのが難しいところもあるが、心のどこかで俺は、これを他人と共有しないことを選んだのかもしれない。  身体も息も熱くて、考えることをやめた頭で何度もただお互いを求める感覚を思い出すと、思わずごくりと喉が鳴った。  顔を隠す長い前髪のあいだからのぞいた瞳が、どんなに熱っぽい視線を向けているかは俺だけが知っていればいいなんて思ってしまった。これが番に抱く特別な感情なのだろうか。それとも相手が薫だからなのだろうか。今の自分には答えがわからないが、不思議とわからないことが苦痛ではない。  薫という番がいることがいつのまにか当たり前になっていた。それなのに俺は、いて当然だと思う相手のことを何も知らない。 「俺、薫のこと何もしらねぇわ」 「じゃあデートでもしたらいいんじゃねぇ?」  無意識に落とした呟きに対して返ってきた言葉のあまりの軽さに隣を凝視する。そいつはそいつで俺の視線に、なんだよ、と身じろいだ。
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