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 ついこの前と同じように、移動教室のため廊下を歩いている僕の少し先には、不良たちがたむろしていた。その中に明るい金色を見つけ鼓動が早くなる。それと同時に、水族館で見た無邪気な笑顔が頭に浮かんだ。 「あ、薫くんだ、おはよー」  僕に気づいたひとりの男子が緩い挨拶をしてくれる。いつもどおりぺこりと会釈して通り過ぎようとした僕を、違う声が呼び止めた。 「薫」 「……なに?」  呼ばれた声に驚きながら顔を向けると、廊下にしゃがんだまま雅紀くんが僕を見ていた。仲間と一緒にいるときに呼び止められたのは初めてで、うろたえながらも雅紀くんと視線を合わせる。 「二週間後の日曜、予定空けとけよ」 「えっと、なんで?」 「花火行くぞ」  花火。そういえば二週間後の日曜日に、この地区の花火大会が予定されていることを思い出す。用件だけを短く伝える雅紀くんの言葉に、気づいた時には頷いていた。 「うん、わかった」 「おー」  雅紀くんは僕なんかと出かけることを他の人に知られたくないと思っていたから、仲間と一緒にいる今ここで花火に誘われることは意外だった。雅紀くんは僕と出かけることを隠していない。そのことが嬉しくて、にやける口元を隠すため俯いてまた歩き出す。 「雅紀、よくできましたー。オッケーしてもらえてよかったねぇ」 「うるせぇ」  少し離れた後ろからじゃれ合いのような声が聞こえる。友達との会話に僕の存在があることにも喜びを感じて、にやける口元がさらに緩んでしまった。  誰かの声がうるさく響いて、強引に意識を引っ張り上げられる。ぼんやりとした頭のまま瞼を持ち上げても視界は真っ黒で、あれ、と思う。 「お、やっと起きたか」  下品な笑い声が耳元で聞こえる。誰だろう、と思っていると、急に視界が明るくなり思わず目を細めた。 「お前が薫くん、だよな?」  僕の耳元で喋っていた人物が正面に移動する。坊主頭で眉を剃っているその男子の目はぎょろりとしていて、どこか普通ではないような危ない感じがする。手に黒い布があり、自分がそれを被せられていたのだとわかった。 「お前、萩本雅紀のお気に入りなんだって?」  身動きしようにもイスにテープでぐるぐるに巻かれているため、身体は一切動かせない。唯一解放されているのは口だった。  どうしてこんなところにいるんだ、と記憶を辿る頭の後ろが重く痛む。そういえば下校途中、後ろから誰かに呼びかけられて、そのあとの記憶がない。  僕の正面にいる男子も、その周りを囲むようにいる大勢の人たちも着ている服は同じだった。見覚えのあるその服は、隣の市の高校の制服だ。僕が通っている学校とその学校の不良同士が縄張り争いのようなことをしていると聞いたことがある。 「俺たち萩本に話があるんだよね。だからあいつが来るまで大人しく待っててよ」  にたりと笑う顔に、背後にぞわっとしたものが這いあがる。寂れた廃工場のような場所で大勢の不良に囲まれていることも、目の前の危ない目つきの男子も、これから何をされるかわからない今の状況も怖いのに、僕はなぜか口を開いていた。 「……僕を連れてきても、雅紀くんは来ませんよ」 「へぇ」  震える声で喋る僕に、にたにたと深まる笑み。舐めるように僕の身体に注がれる視線を受けながら、ぎゅっと手のひらを握った。この状況を僕ひとりではどうにかできないとわかっているけど、雅紀くんが来たら彼は酷いことをされるのだろうともわかった。  前に立っている男子が近づいてきて、僕に視線を合わせるように身体を屈める。思わぬ近さに離れたかったが、何をしても身体は動かない。 「萩本が来なかったら薫くんで楽しませてもらうからどっちでもいいや。いや、萩本が来るまで楽しませてもらおうかな」 「うわ、先輩悪趣味っすね。そいつ萩本の番なんでしょ」 「一回オメガとヤッてみたかったんだよ」  暴力的なことをされるのかと身構えたが、近くにいる男子との会話で、違うことをされるのだと知る。殴られるのも怖いが、それよりも酷いことをされるのだと、顔からさあっと血の気が引いた。 「……いやだ、やめて」 「萩本にもそう言ってんだろ?こりゃそそられるな」  制服のポケットから取りだした何かがきらりと光る。見ればその手には折り畳み式の小さなナイフが握られていた。青ざめる僕のワイシャツを、身体に巻きついているテープごと切り裂いていく。  こんなところで、こんな人に、雅紀くん以外に触られるなんて嫌だ。どうしようどうしよう、と痛いくらいに動く心臓を押し付ける僕の耳に、鋭い声が届いた。 「萩本が来ました!」 「あーあ、いいところだったのに」  チッと舌打ちした男子はすぐに新しいおもちゃを見つけたかのように、にやりと口元を歪める。僕から身体ごと振り返った男子と同じ方向に顔を上げると、他校生の不良に囲まれたなか、ゆっくりと歩いてくる雅紀くんが見えた。  落ち着いているように見えるがそうではない。全身から怒りが溢れている。初めて見る雅紀くんの本気の怒りに、僕まで気圧されてしまいそうだ。 「薫」 「雅紀くん……」  切り裂かれたワイシャツから肌を見せている僕に雅紀くんは深く眉を寄せる。こぼした声は震えて小さくなってしまったが、雅紀くんは僕を安心させるかのようにひとつ頷いた。 「てめぇら、泣き喚くまで後悔させてやる」  地を這うような低い声を合図に、周りの人たちはいっせいに雅紀くん目がけて飛び掛かった。  僕が連れ込まれた廃工場に立っている人はいなかった。雅紀くんを除いて。  あんなに大勢いた不良たちをつぎつぎと雅紀くんはひとりで倒してしまった。鉄パイプや大きな工具が転がる地面に、多くの身体が倒れている。悔しそうに逃げて行った人もいた。  口元に血を滲ませよろめきながら僕の前まで来た雅紀くんは、近くに落ちていたナイフで僕の身体のテープを切っていく。やっと身体が自由になった僕に、倒れこむように雅紀くんの身体が被さり、強く抱きしめられた。 「薫、怖かっただろ。わりぃ」  荒々しく不良たちを殴っていた雅紀くんからは程遠い、優しい声。まるで僕の存在を確かめるかのような強い腕の力とその声に、気づけば嗚咽が漏れていた。 「……なんで来たの?」 「ばーか、んなこと聞くな」 「……ありがとう」 「……ばか、んなこと言うな」  頬を伝う涙が雅紀くんのワイシャツを濡らす。今はもう、雅紀くんのことを怖いとは思わない。抱きしめ返すために腕を背中にまわし少し力を込めると、雅紀くんは身じろいだ。 「いてぇ」 「ご、ごめん」  耳元の声に慌てて身体を離そうとする。しかし痛がった雅紀くんはそれでも身体が離れるのを許さないかのようにさらに僕の身体を引き寄せた。  触れ合っている身体の温度が、じわりじわりと僕の恐怖を溶かしていく。ときどき呻き声の聞こえるそこで、僕たちはしばらくそうして抱き締めあっていた。
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